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マルクス「ユダヤ人問題によせて」


1844年2月に発刊した「独仏年誌」に、マルクスは二つの論文を発表した。「ユダヤ人問題によせて」と「ヘーゲル法哲学批判序説」である。いずれも市民社会における人間の開放を論じたものだ。マルクスの生涯をかけたテーマは、共産主義社会の実現を通した人間の開放であったわけだが、それが早くもこの二論文でのテーマになっていたわけだ。この時マルクスは25歳の青年だった。

「ユダヤ人問題によせて」は、ヘーゲル左派の論客ブルーノ・バウアーのユダヤ人論に対する批判というかたちをとっている。バウアーはマルクスより9歳年上で、マルクスに影響を与えたとされる。マルクスはバウアーの強い影響のもとでヘーゲル研究に入ってゆき、やがてフォイエルバッハなどを読みながら自分の思想を確立していったのである。そのブルーノを批判することがマルクスの出発点となったわけだが、その動機は二つあると思われる。一つはバウアーの反ユダヤ的な傾向、これはユダヤ人たるマルクスにとっては鼻もちならぬことだっただろう。もうひとつはブルーノの宗教論への違和感と、その前提としての市民社会についての理解の不徹底さに対する鋭い批判である。この批判を通じてマルクスは、市民社会における人間の開放とはどのようになされるべきかについての展望を開いていったのである。

マルクスがとりあげるブルーノの論文は二つ、「ユダヤ人問題」と「現代のユダヤ人とキリスト教徒の自由になりうる能力」である。前者ではブルーノの市民社会についての理解の不徹底さを批判し、後者ではブルーノのユダヤ人論が痛烈に批判される。

まず、「ユダヤ人問題」への批判について。ユダヤ人問題についてのバウアーの主張は次のようなものである。ユダヤ人は政治的な開放を求めている。その一方でユダヤ人としての宗教的な特権は放そうとしない。つまりユダヤ人のままで政治的な開放を求めているわけだ。しかしそれは虫のいい話だ。ドイツでは、ドイツ人でさえ政治的に開放されていない。その理由は、ドイツ人がキリスト教に縛られているからだ。だからドイツ人にとっての政治的な開放は、キリスト教からの開放を前提とする。それと同じように、ユダヤ人が政治的に解放されるためには、ユダヤ教からの宗教的な開放を前提としなければならない。ユダヤ教からの開放は、ユダヤ人でなくなることを意味するから、ドイツで政治的に解放されたいと思ったら、ユダヤ人からドイツ人になることが必要だということになる。

こうしたバウアーの主張に対してマルクスは、これは政治的開放と人間的開放とを混同することからくる誤りだと批判するのである。政治的開放とは国家にかかわる問題だ。具体的には公民権の獲得という形をとる。つまり政治へ参加する資格の問題だ。これに対して人間的な開放は、私的な利害を追求する権利を得るということだ。その権利は市民社会において自由に生きる権利を意味し、具体的には自然権という形をとる。法的には基本的人権などという言葉で表される権利である。宗教の自由もそうした権利の一つなのである。ところで近代国家においては、国家は個人の私的な領域には関与しないというのが原則である。したがって宗教の問題については、国家はそれを私的なことがらとして、干渉しないというのが普通のあり方である。このように国家の領域と市民社会の領域とを区別するというのが、近代国家の原則的な立場なのである。だから、宗教からの開放を政治的な開放の前提とするバウアーの主張は、近代国家のあり方を誤解していることから来ているのである。

こうした批判の文脈の中でマルクスは、わざわざフランス語を使って、オム(自然人)とシトワヤン(公民)を区別している。これはルソーが社会契約論で用いた概念である。オムは互いに共同して社会契約を結ぶことで共同体を形成する。その共同体は普通、国家という形をとるが、その成員がシトワヤンなのである。シトワヤンとしての人間は、政治に参加する資格を持つが、同時にオムとしての個人的な自由を追求する権利を持つ。政治的な領域と私的な領域は区別されるのである。もっともルソーは、それを前提としたうえで、オムとシトワヤンを相互に峻別するのではなく、それの統合を目指していた。その統合のもたらすものをルソーは、「各構成員の身体と財産を、共同の力のすべてをあげて守り保護するような結合の一形式を見いだすこと、そしてそれによって各人が、すべての人と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、依然と同じように自由であること」とした。

こうした統合の考えを、マルクスもまた打ち出した。マルクスは、政治的開放が人間を市民社会の成員としての利己的な独立した個人と、国家の一員としての公民へと分裂させるとしながらも、真の人間的開放は、その分裂した二つの人格が統合されることでもたらされると言っている。マルクスは次のように言うのだ、「現実の個体的な人間が、抽象的な公民を自分のなかに取り戻し、個体的な人間でありながら、その経験的生活、その個人的労働、その個人的諸関係のなかで、類的存在となったとき、つまり人間が彼の『固有の力』を社会的な力として認識し組織し、したがって社会的な力をもはや政治的な力というかたちで自分から分離しないとき、そのときはじめて、人間的開放は完成されたことになるのである」

ここでマルクスは人間の類的存在としてのあり方を持ち出しているわけであるが、現実にはそうした類的存在としてのあり方が実現されているわけではないという自覚に立って、本来のあり方からの逸脱という意味で、疎外論を展開することになるのである。(引用は城塚登訳岩波文庫版から)



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