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「哲学の貧困」独逸語版へのエンゲルスの序文


「哲学の貧困」をマルクスはフランス語で書いた。ドイツ語に翻訳されたのは(マルクスの死後)1885年のことで、その折にエンゲルスが長い序文を付した。序文といっても、本文の解説というのではない。ロートベルトゥスへの批判が主な内容だ。ロートベルトゥスはマルクスの批判者で、マルクスが自分の説を剽窃したといって非難した。その非難が的外れであることを、この序文で主張しているのである。

ロートベルトゥスはリカードの労働価値説を受け継いで、自分なりに展開した経済学者である。生産物の価値はそれに投入された労働の量によって決定されるとし、利潤と地代とは剰余労働の搾取であると主張した。そこまではなんと言うこともないが、自分のその説をマルクスが剽窃したと言ったことに対して、エンゲルスは見当違いな言いがかりだと反論するのである。

エンゲルスはまず、各商品の価値はその生産に必要とされる労働の量によって決定されるということ、及び、社会的労働の生産物は地主(地代)、資本家(利潤)、労働者(賃金)との三階級によって分配されるということは、リカードの「原理」の冒頭に掲げられた命題であり、それがすでに1820年代のイギリスでは、経済学と社会主義思想の常識となっていたということを指摘する。だからそれらの説を自分のオリジナルと主張するのは、世情にうといドイツ人くらいなものだと言って、ロートベルトゥスを嘲笑するのである。

エンゲルスはついで、ロートベルトゥスによる労働価値説の浅はかさを指摘する。ロートベルトゥスは、あらゆる商品の価格はそれに投入された労働量に正確に比例するとするが、それはあり得ないことである。商品の価格がそれに投入された労働の量に正確に対応するなら、一物について多数の価格が成立することになる。というのは、生産者によって生産技術の差異があるからで、一つの商品の生産について、ある生産者は一日の労働量を費やし、別の生産者は二日の労働量を費やすこともあるからだ。ロートベルトゥスの説によれば、これら二つの生産物には、労働の量に応じて、異なった価格が付けられねばならない。しかし現実には、そんなことはない。同一の生産物に対しては同一の価格が成立するのである。

ロートベルトゥスの誤りは、かれが競争を無視していることにもとづくとエンゲルスは言う。競争があるために、同一の商品の価格は一つに収斂するのである。こういうと、需要と供給の一致こそが価格を決定する要因であり、労働の量は問題にならないと思われがちだが、そうではない。競争の結果、もっとも実現しやすいのは、生産費のもっとも低い水準に価格が設定されるということである。完全競争が働いているところでは、一番安い価格の商品が売れて、相対的に高い価格の商品は売れない。その一番安い価格の商品の生産に要した労働の量が、その商品の価格を決定するのである。だから、労働価値説は、競争を通じて実現された商品の価格を通じて貫徹されるのである。ロートベルトゥスが夢想するように、生産に要した労働の量が、そのままストレートに商品の価格を決定するわけではない。

エンゲルスがロートベルトゥスを相手に言っていることは、マルクスがプルードンを相手に言っていたことでもある。プルードンの労働価値説は、労働の価値を独特の前提によって捉えており、リカードのような単純な労働時間に還元するわけではないという事情があるが、ともあれ労働の価値を絶対的な規準として、競争を無視する点はロートベルトゥスと異なるところはない。

マルクスは言う、「競争は、生産者をして、二時間かかった生産物をも一時間かかった生産物と同じ安値で売るの已むなきに至らしめる・・・価値を決定するものは一つのものが生産された時間ではなくて、それが生産されうる時間の最小限であり、そしてその最小限は競争によって明らかにされること、この点を強調することが重要である」

つまり競争が、同一物を同一の価格に収斂させるのであり、その価格で生産できるものだけが競争に生き残ることができる。できない者は市場から退去せざるを得ないのだ。こうして、市場において成立する商品価格は、それの生産に要した最小限の労働の量を反映したものに落ち着くわけである。

競争は労働者の賃金にも作用する。労働者の労働力も、資本主義社会においては商品に他ならないからだ。その労働力商品も、必要最小限に抑えられる傾向が働く。必要最小限とは、労働者の生活を維持し、かれの再生産を可能にする水準であり、せいぜいかれの家族を生活させるために最小限必要な水準である。それが賃金となる。賃金を超える余剰の部分は、利潤と地代として配分されるのである。



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