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マルクス「経済学批判要綱」への序説 |
「経済学批判要綱」は、1857年から翌年にかけて執筆された。それまでの経済学研究の成果を踏まえ、本格的な書物の出版に先駆けて、足慣らしのようなつもりで書いたようである。本格的な経済学の書物は、1859年に「経済学批判」と題して出版された。マルクスのこの要綱は、序説と本文からなり、本文は貨幣と資本の章からなる。序説の部分については、岩波文庫版の「経済学批判」(武田外訳)の付録として、「経済学批判序説」の題名で収められている。 序説は、経済学の対象及び経済学の方法について述べたものだ。経済学の対象は、生産、消費、分配、交換からなる。中心は生産であり、ほかはそれとの関連において論じられる。生産を中心にして経済を考えるのはマルクスの基本的な特徴である。一方今日の主流派経済学は消費を中心に論じる。不況とか恐慌が発生する原因をマルクスは、過剰生産という具合に生産のファクターに求めるのに対して、今日の主流派経済学は、有効需要の不足といった具合に消費のファクターに求めるが如きである。 経済を論じる際のマルクスの視点は、対象となる経済的な事象を歴史の産物として見るものである。俗流経済学はもとより、スミスやリカードのような指導的な経済理論も、対象となる経済事象を永遠普遍のものの如くに前提している。だから、需要と供給というような経済的な関係も、時を超越した普遍的なこととして前提する傾向がある。そのため経済的な事象の本質を見誤っているとマルクスは言うのである。 需要と供給は商品の交換を成立させる条件であるが、主流派の経済学は、商品があたかも歴史の始まりから存在し、商品の交換も、それを媒介する貨幣も、歴史の始まりから存在していたかのように考える。しかし商品とか貨幣とか交換といった事象は、それが今日の経済学の対象となる限りは、資本主義的生産関係のもとではじめて成立するというのがマルクスの基本的な考えである。 主流派経済学によれば、人間が取り結ぶ経済的な関係は、歴史を超越したものであり、人間社会が存在するところでは、どこにでも見られる事象である、ということになる。しかしこれは歴史的な事実を無視した言い分だとマルクスはいう。経済的な関係は、商品と貨幣の存在を前提とするが、商品も貨幣も人間の歴史の始めから存在したわけではない。人間の社会が閉じられた共同体の内部にとどまっている間は、商品も貨幣も生まれて来る必然性をもたない。主流派経済学は、商品の交換は大昔から行われていたと主張するが、そもそも商品や貨幣が生まれたのは、共同体と共同体の境目においてである。共同体内部では、そのような交換は必要とはされなかった。巨大な民族共同体としての国家の内部で商品や貨幣が成立するのはずっと後の段階である。そして今日見られるような形の商品交換が生じたのは、資本主義的な生産関係が支配的になってからだ、というのがマルクスの考えである。 資本主義経済を構成する要素は、生産、分配、交換、消費である。これらは人間社会の歴史が始まったときから存在したわけではない。資本主義的な生産関係が支配的になって、はじめて経済の支配的な要素として確立したのである。それを促進したのは商品であり、特殊な商品としての貨幣である。資本主義の本質的な特徴は、商品が經濟をうごかす原動力になっていることである。資本主義は商品を前提にしているといってよい。一方、商品も資本主義を前提としている。要するに商品と資本主義とは、同じ事象を別の視点から表現しているにすぎないのである。 生産、分配、交換、消費というこの四つの経済要素は、互いに有機的な関連のなかにある。生産は消費を前提にしているし、消費は消費で生産を前提にしている。生産がなければ消費はありえないし、かといって生産はそれ独自の原理でのみ動いているわけでもない。消費から発する動機が生産を動かす関係にある。マルクスは「消費は生産の衝動を創造する」と言っている。また「消費は欲望を再生産する」とも言っている。消費自体は経済的な関係の外にあるものだが、それが生産を動機づける限りにおいては、経済を推進させる原動力となるわけである。 生産と消費とのこうした関係を、マルクスは相互依存性として表現している。「生産がなければ消費はなく、消費がなければ生産はない・・・両者のおのおのが、自分を完成することによって他方のものを創り出すのであり、自分を他方のものとして創り出すのである」。 分配は、生産物が社会の諸階級に分配される局面をさしている。資本家には利潤と利子、地主には地代、労働者には賃金という形で分配される。だから分配とは階級ごとの分け前ということになる。この分配の局面についてマルクスは、それを資本主義的な生産関係の結果として見るよりも、むしろ諸階級への社会の分裂が資本主義的生産関係の前提だと見ている。生産が分配を規定するのではなく、分配が生産を規定するというのである。 交換は、分配された生産物が、さらに個人の間で交換される局面をあらわす。それは商品の売買という形をとり、貨幣によって媒介される。その交換の範囲は、市場の大きさに左右される。逆に交換の規模が市場の規模を左右するともいえる。その交換、分配、消費との生産の関係をマルクスは次のような指摘する。すなわち、「交換の範囲が広がると、生産はその規模を増大し、また一層深く分化する。分配の変化とともに、生産は変化する。例えば資本の集積、都市と農村への人口のさまざまな分配、等々につれて。最後に消費の欲望は生産を規定する。さまざまな要因の間に交互作用がおこる。こうしたことは、どんな有機的な全体においてもおこることなのである」 |
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