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熊野純彦「マルクス資本論の哲学」


熊野純彦は広松渉に学恩があるそうだ。その広松を通じてマルクスに接してきたらしい。哲学的なマルクス論というと、マルクスの初期の文章を手掛かりにして疎外論を展開するものと、資本論によって物象化論を展開するものとに大別される。広松は後者のタイプの研究者だったが、熊野はその広松の学風を受けて、資本論を中心にマルクス論を展開しているわけであろう。

今日資本論を読む意義は、「マルクスの見て取っていた資本制の原初の光景、その暴力的な原像を、現在の風景のなかにも見とどけること」だと熊野は言う。その例として、児童労働や過酷な長時間労働の問題が、あいかわらず解消されていない現実をあげている。「子どもの尊厳すらいまだ商品となっている」というわけである。

熊野はまた、「フロイトの言葉をもじって言えば、資本制による世界創造の計画のうちに、人間の幸福は含まれていないのです」とも言う。こういう見方は、資本主義の本質を、労働者を賃金奴隷にすることだと喝破した広松の義侠心を受けているのだろうと思わされる。実際熊野も、「労働者は奴隷ではありませんが、『ローマの奴隷は鎖によって、賃金労働者は見えない糸によって』やはりつながれているのです」と言うのである。

資本制の暴力的な性格は、近年の日本でも失われていないとして、熊野は羽田空港建設や成田空港建設に際して、住民に振るわれた暴力を例に挙げる。成田では抵抗する農民たちが立木に我が身を縛り付けていたが、その木ごと切り倒されてしまったのだと。

主流の経済学、つまり近代経済学は、資本主義のこうしたマイナス面はとりあげない。そういう現象は、もしあるとしても例外的で付随的なものとして、問題にしない。ところがマルクスの資本論は、そういう現象を、資本制の本質がむき出しにあらわれたものとして捉える。その捉え方には、人間としての怒りが込められている。だからマルクスの資本論は、たんなる経済学の書物ではない。それはむしろ、経済学の批判なのだと熊野は言う。マルクスの資本論は、経済学そのものの批判であって、資本主義的事象を経済学的に批判することが目的なのではない。

熊野は言う、「マルクスにとっては経済科学がイデオロギーなのです。経済学批判とはだから経済学ではなく、経済学の基本的な前提の覆いをとって発見し、暴露するくわだてにほかなりません」

とはいえ資本論は経済学批判として、資本主義的経済への深い洞察を含んでいるとも熊野は見る。熊野が資本論の意義としてあげるのは、商品交換が共同体と共同体との間で発生したこと、したがって貨幣制度も共同体同士の接触面で発生したこと、その貨幣とは一つの商品、特権的な商品であって、その本質は交換を円滑に媒介することにある、ということなどである。資本主義が高度に発展すると、貨幣はその商品としての本質をむき出しにする。つまり利潤を生む商品として意識されるのである。この利潤そのものは、資本主義的生産のプロセスから生まれるものだが、個人的な意識にはそういうプロセスは捨象されて、時間が富を生むように表象される。貨幣を投資すれば、一定の時間が経過した後には利子が生じるのが普通だからである。これをマルクスは社会的な関係の物象化と呼ぶわけである。

マルクスは、商業資本は剰余価値を生まないと主張する。剰余価値を生むのはあくまでも生産過程である、というのがマルクスの基本的な立場だ。だから商業資本の受け取る利潤は、生産が生んだ剰余価値の一部だということになる。もっとも商業資本はそれを無理やりもぎ取るわけではない。商業資本には、生産のプロセスを円滑にすることで、剰余価値の増大に寄与するという性格もある。だから商業資本の受け取る利潤は不正なものとは意識されない。また、生産における剰余価値は、部門ごとに異なるのが本来のあり方だが、利潤は産業全体としては平準化される傾向にある。なぜなら利潤率のよい部門と悪い部門との間で平準化されるプロセスが働くからである。このプロセスを通じて商業資本は、生産から生じた剰余価値=利潤の再分配に寄与するわけである。マルクスによれば商業資本とは、「利潤の生産には参与することなく、その分配には参与する」資本である。

貨幣が貨幣を生むようになると、貨幣は一つの商品、利潤を生むという使用価値をもった商品となる。そうすると貨幣は投機の対象となる。実体的な生産とはかけはなれたところで利潤を生むようになると、そうした貨幣がそれ自体として投資の対象となるからである。投資は容易に投機につながる。投機が横行する社会の合言葉は「わが亡きあとに洪水は来れ」である。投機に支えられたシステムがいつまでも続かないことは誰もがわかっている。いつかは破綻する。しかしその破綻が自分の死んだ後にくれば、自分としては何等の問題にはならない、というわけである。

ともあれ、マルクスは資本主義的経済を究極的には乗り越えられるべきもの、それも外部からの力によって破壊されるというよりは、内在的な力の発現を通じて自壊するものと考えていた。資本主義経済が自壊した後には、より人間性にかなった経済関係とそれにもとづく自由な社会が樹立されるだろうとマルクスは考えていた。しかしマルクスの未来社会についてのイメージは、資本論において展開されることはなかった。それを提示しているものとして熊野は「ゴータ綱領批判」を取りあげる。この綱領は、資本主義以後の社会を二段階で想定している。一段目は過渡的な社会主義社会であり、そこでは各自はそれぞれの働きに応じて適正な分配をうける。二段目は完全な共産主義社会で、そこでは人々は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける。そのことをマルクスは「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて」という形で定式化している。

熊野はこの定式が実現すれば、資本主義を彩っていた交換に代わって、贈与が社会の原理となると言っている。贈与というのは、「他者との関係と他者の存在そのものを無条件に肯定する」ことである。そういう贈与が原理とされる社会こそが真に人間的な社会のあり方なのだと熊野は言うのである。だいたい、私たちの生そのものが贈与に支えられて可能になっているのだ、とも熊野は言う。「自然それ自体からの無償の贈与、先行する世代からの無数の贈与、ともに生きている他者たちからの不断の贈与を受け取らずに紡がれていく生など、およそありうる」はずがないと言うのである。

こういう具合に熊野のマルクス論は、資本主義の非人間的な性格を暴露してくれるものとして資本論を見るとともに、資本論での経済学批判を超えて、真に人間的な社会の到来を展望するものとなっている。広松を含めて資本論の論者にありがちな、物象化論の枠組に閉じこもるということはない。



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