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価値形態論:資本論を読む


資本論は商品の分析から始まる。商品というのは、交換つまり売買を目的に生産されるもので、当然価格がついている。マルクスはその価格の根拠としての人間労働を考察したうえで、その人間労働の受肉したものが価値だとした。労働価値説である。労働価値説は、マルクスが経済学研究を始めた頃には、経済学の常識になっていた。その労働価値説にもとづいて、商品の価値を分析し、商品の取引の過程を通じて特殊な商品としての貴金属が貨幣に転化するさまを分析した。更にその貨幣が資本へと転化する過程を追っていくのであるが、その叙述の方法はヘーゲルの論理学のそれを強く感じさせる。マルクスのそうしたところについては、資本論とヘーゲル論理学の比較として、興味深いテーマになるだろう。

マルクスは商品を,使用価値と交換価値からなるとした。学問としての経済学にとって重要なのは、無論交換価値のほうで、これが商品の価格を形成するわけだが、マルクスがわざわざ使用価値を問題にするのは、商品に使用できるという有用性がなければ、そもそも商品にはなれないからだ。使用価値というのは、商品のみの特性ではなく、あらゆる有用な生産財に認められるものだ。そういう意味では、歴史を超越したものである。一方交換価値のほうは、商品の交換を前提としており、その意味では歴史のある段階で現われるものである。商品の交換が全面的に展開するのは資本主義的生産様式のもとである。資本主義的社会というのは、商品の交換つまり売買を前提として、すべての経済活動が展開される社会なのである。それゆえ商品の分析から始めることが、資本主義社会を理解するためのポイントとなるわけである。

商品が適正に交換されるためには、その交換を成立させる要素がなければならない。その要素とは、交換を媒介するものだ。二つの商品が交換される場合には、それらの価値が互いに等しいということが前提となる。なにがその等しさを担保するのか。人間の労働である。あらゆる商品は労働生産物なのだから、そのうちに一定量の人間労働を含んでいる。この人間労働が、第三の媒介項として、二つの商品の等価交換を成立させるとマルクスは考えるのである。

商品のもつ使用価値と交換価値に応じて、労働の性格も違ってくるとマルクスは言う。使用価値を構成するのは、具体的な有用労働である。これは商品の質にかかわる。それに対して交換価値を構成するのは、抽象的な人間労働である。それは純粋に量の問題であって、質の問題ではない。労働の質は捨象されて、抽象的な労働の一定時間の投入が交換価値の実体となる。それは商品の生産に必要な平均的な労働時間という形をとる。特定の労働が特定の価値を形成するわけではなく、ある商品の生産の為に社会的に必要な平均的労働時間が価値を形成するのである。それを最終的に決定するのは競争である、というのがマルクスの基本的な立場だ。

いわゆるブルジョワ経済学の末裔たちは、商品の価値の実体をもはや考慮しない。かれらが唯一考慮するのは商品の価格である。価格は需要と供給の関係から生じて来るので、純粋に現象の問題である。価格は需給関係から事後的に生じて来るのであって、そこに価格を成立させるための実体的な要素を持ち込む必要はない。その実体的な要素の根拠となるものをマルクスは人間労働に求めたわけで、これは当時の経済学の常識を踏まえた見方だったわけだが、今日の主流派経済学は、そうした一切の前提を無視して、価格は需給関係だけから決まると主張するわけである。マルクスも、需給関係を無視するわけではない。ただそういう言葉を使わずに、競争という言葉を使う。特定の商品の生産に費やされる労働量には量的なでこぼこがありうる。そのでこぼこをならして、一物一価を成立させるのが競争だと見るのである。

労働価値説を前提としたうえで、マルクスは商品の交換を分析する。価値形態論といわれるものである。ある商品Aとある商品B、たとえば20エレのリンネルと一着の上着の交換をとりあげる。これは20エレのリンネルを一着の上着と交換したと言える。これはまた、20エレのリンネルが一着の上着と同じ価値を持つと表現できる。つまり20エレのリンネルの価値が一着の上着で表現されたといえるわけだ。この場合に20エレのリンネルを価値形態、一着の上着を等価形態と呼ぶ。この概念セットを用いながらマルクスは価値形態論を展開していくのである。

単純な交換から複雑な交換へと、マルクスは分析を進めていく。一番単純な交換は、上述したような二つの商品の交換である。この場合には、一方が価値形態として、他方が等価形態として現われる。

つぎは、一つの価値形態を複数の等価形態と交換するケースで、マルクスはこれを展開された相対的価値形態と呼んでいる。具体的には、20エレのリンネルを、一着の上着、10ポンドの茶、40ポンドのコーヒー、1クォーターの小麦等々と交換するというもので、交換相手たる等価形態としては無数の商品が付け加わる。

三つ目は、無数の価値形態を一つの等価形態と関連付けるもので、これは二つ目の関係を逆向けにしたものである。具体的には、無数の商品を一つの商品と関連付けるものだ。どんな商品も唯一つの商品、たとえばリンネルでもって交換できるということになる。リンネルは一般的な等価物になっているわけである。

この三つ目の図式を発展させたものが四つ目のもの、つまり貨幣形態である。三つ目の図式のリンネルを金で置き換えれば、それが貨幣となるわけである。価値形態論は、貨幣の抽出を以て、とりあえずの目的を果たす。

この価値形態論が物語っているのは、貨幣としての金は、商品から発展したもので、商品のそなえている特徴はすべて備えているということだ。商品であるから、使用価値と交換価値を持っている。金の使用価値は、貴金属としてのさまざまな利用価値のほか、交換手段として使えるということが含まれる。一方金の交換価値のほうは、それに含まれている人間労働の量によってあらわされる。金も又、人間労働の産物なのであって、その価値はそれの生産に費やされた労働の量によって測られるとマルクスは考えるのである。

ところでマルクスは、価値形態論の先駆者として、アリストテレスに注目する。アリストテレスは、商品の貨幣形態が単純な価値形態の一層発展した形態であることに気づいていた。すなわち貨幣形態とは、商品の価値を任意の他の一商品で表現したもののいっそう発展した形態でしかないと気付いたのである。だがアリストテレスは、そこで分析を中断してしまう。その理由としてマルクスは、商品の価値の内実は人間の労働であり、その労働はすべて同等でなければならないが、アリストテレスの時代には、ギリシャ社会が奴隷労働のうえに成り立っており、したがって人間やその労働の不等性を自然的基礎としていたからだと言っている。



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