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マルクスの貨幣論:資本論を読む


マルクスの貨幣論の特徴は、貨幣を特殊な商品と見ることである。あらゆる商品には、他の商品に対する等価物としての機能があるが、この機能が一般化して、他のあらゆる商品に対する一般的等価物になったものが貨幣だとマルクスは見るのである。そのようなものとして、諸商品の価値の尺度となることが貨幣の基本的な機能である。この機能にもとづいて、流通手段としての機能や支払い手段としての機能が付加される。それに付随して、貨幣の蓄蔵とか信用取引といった現象が生じるとされる。

そこで、貨幣がもつこれらの諸機能を、マルクスにしたがって見てみよう。この場合に、マルクスは金を貨幣として前提している。マルクスの時代には、紙幣は存在していたが、金によって兌換されることが条件とされており、最終的に信用される貨幣としては、金が標準的な貨幣だったのである。

まず、価値の尺度としての機能。貨幣が諸商品にとって価値の尺度となれるのは、貨幣と諸商品との間に通約可能な要素があるからである。人間労働がそれである。人間労働が諸商品の価値として体現されるのだが、それはもともと商品から変身した貨幣にとっても同じである。この人間労働が通約可能な共通の要素として両者の等価交換を可能にするのである。この事情をマルクスは次のように表現している。「諸商品は、貨幣によって通約可能になるのではない。逆である。すべての商品が価値として対象化された人間労働であり、したがって、それら自体として通約可能だからこそ、すべての商品は、自分たちの価値を同じ独自な一商品(貨幣)で共同に計ることができる」のである。

商品の価値は、交換過程においては価格として表示される。価格は「商品に体現されている労働の貨幣名である」とマルクスは言う。したがって、両者は基本的には一致するはずである。ところが、その一致は瞬時になされるわけではなく、一定時間をおいて、事後的に実現される。商品は無条件で売れるわけではなく、他の売り手との競争を経て、調整の結果実現されるからである。したがって、短期的には、商品の価格がその価値と一致しない事態もおこる。その結果、「一つの質的な矛盾、すなわち、貨幣はただ商品の価値形態でしかないにもかかわらず、価格がおよそ価値表現ではなくなるという矛盾」が起ることにもなる。たとえば、「ある物は、価値を持つことなしに、形式的に価格をもつことができるのである」

この矛盾をマルクスは、資本論のこの部分(第一篇第三章「貨幣または商品流通」)では、深く追求することはしなかった。しかし、労働価値説に立つ以上、価値と価格との関係は基本的な問題である。価格が価値に一致するプロセスを、矛盾なく説明することが、労働価値説のポイントになるだろう。何故なら、いわゆるブルジョワ経済学は、人間労働が体現された価値という概念を抜きにして、価格だけで経済現象を説明しているからだ。その説明を批判するためには、価格を価値と関連させながら、どのようなプロセスを経て、価格が価値に一致するようになるのかについて矛盾なく説明することが求められる。この説明は、別のところでなされるであろう。

次に、流通手段としての機能。この機能を説明するためにマルクスは、商品の交換過程をあらわした次のような図式を用いる。
 W-G-W
Wは商品、Gは貨幣である。この式の前半は商品から貨幣への変換つまり売りをあらわし、後半は貨幣から商品への変換つまり買いをあらわす。この前後二つの部分がなるべく時間をおかずに実現することで、経済は順調に動いていく。経済は商品の売買から成り立っており、売りだけでもまた買いだけでも成り立たないという単純な理由からである。

ところが、そうは問屋がおろさないというケースもある。「だれも、自分が売ったからといって、すぐに買わなければならないということはない」からだ。しかし「別のだれかが買わなければ、だれも売ることはできない」。その結果、経済は停滞し、場合によっては恐慌に陥る。

これは、売りと買いが分裂していることから起こることだ。売りと買いとの間に時間が介在するのは避けられないことだが、その時間があまりに長引くと上述のような問題が生じるのである。商品を売って貨幣を得た者は、それを蓄蔵することになる。貨幣の蓄蔵がなされるのは、貨幣が価値を体現しており、いつでも他の商品と交換できるという機能を持っているからだ。

順調な経済にとってやっかいな問題は、「貨幣蓄蔵の衝動はその本性上無際限である」ことだ。貨幣の蓄蔵があまりにも度を超して、売りと買いが順調に結びつかなければ、商品流通は寸断され、経済は深刻な停滞に陥る。この貨幣蓄蔵の問題を、その否定的な影響という面からとらえたものに、ケインズの流動性選好理論がある。ケインズ以前には、セーの法則が幅を利かせていて、作ったものは必ず売れると前提されていた。もしそれが真実なら、貨幣はつねに商品流通を円滑なものとしているということになる。しかし流動性選好があるために、商品を売って得た金で、他の商品を買うという動機が弱まり、その結果流通が阻害されて深刻な不況が起きる、とケインズは捉えたわけだ。

マルクスは貨幣蓄蔵の否定面を指摘する一方、その肯定的な役割にも注目する。流通する貨幣量の調整という機能である。流通に必要な貨幣量は、商品価格の総額及び貨幣の流通速度に比例するとマルクスは考えた。貨幣は商品にとっての価値の尺度であり、その価値が人間労働を体現したものであれば、貨幣量は商品の価値総額(とりあえずは価格総額)に応じたものでなければならない道理である。一方、貨幣は何度でも使用できるから、その使用頻度に比例して、必要な貨幣量も変動する。こういうわけで、市場に出回っている商品の動向に応じて、貨幣総額も決まってくるわけである。

このように貨幣はあくまでも、商品価値の総額と対応するというのが、マルクスの貨幣論の基本的な立場である。商品価値の変動にしたがって、必要な貨幣量も変動する。その変動を円滑にするものとして、貨幣蓄蔵が機能している。商品総額が増加して必要な貨幣量が増えれば、蓄蔵貨幣が市場に出てくるようになり、その逆に商品総額が減少して必要な貨幣量が減少すれば、貨幣は市場から引き上げられて蓄蔵されるのである。

この貨幣蓄蔵の問題は、近年の日本経済に大きな影響を与えた。折からのデフレ気味の経済を活性化すべく、日銀は大量の貨幣を市場にまき散らしたが、思うように効果が上がらない。日銀がまいた貨幣はとりあえず民間の銀行にいきわたったのだが、民間の銀行はそれを投資に回すのではなく、日銀の口座に還流させた。つまり貨幣を日銀の金庫に蓄蔵したのである。その結果、経済はデフレ気味のまま停滞しつづけている。日銀としては、貨幣をばらまけば、インフレを起こすと考えたのだったが、実際にはそうはならなかった。インフレを起こすのは、旺盛な経済活動なのであって、貨幣はただその経済活動を回転させるだけの機能しかもっていないのだということを、日銀は知らないようである。

第三に、支払い手段としての機能。これも売りと買いの分裂に根差すもので、ここから信用取引が生じる。これらの問題については、ここでは立ち入って触れない。ただ、近年では、この信用取引を利用して、マネーゲームが盛んになっていることを指摘しておきたい。



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