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蓄積と拡大再生産:資本論を読む


マルクスの単純再生産モデルは、理論上の仮定としてはありえても、現実的にはありえない。単純再生産モデルは、剰余価値のすべてが非生産的に消費され、あとかたもなくなってしまうことを想定していたが、現実には、剰余価値の一部は、生産の拡大のための追加資本として使われるのである。この追加資本の部分が、生産の拡大をもたらす。

したがって資本の蓄積と、それをもたらす拡大再生産のモデルは、もっぱら剰余価値の使い方をめぐる議論に費やされる。じっさいマルクスの、この部分での議論は、例の原始的な数式を用いながら、剰余価値の追加資本への転化をめぐっての、きわめて精緻なものである。しかしその割に言っていることは単純だ。要するに、剰余価値の一部がどのようにして拡大再生産の原資としての追加資本に転化されるかということであり、その際にどのような問題が生じるかということである。

拡大再生産の前提のもとでは、剰余価値の一部が、追加資本に転化される。それはとりあえず貨幣蓄蔵の形をとることもあるし、あるいは生産物の現物としての剰余価値の部分を、そのまま不変資本とりわけ固定資本に転化させる場合もありうる。どちらにしても、剰余価値の一部は、消費されてなくなってしまうのではなく、生産的消費のための追加資本として留保されるのである。

ここでマルクスがとりわけ注意深く議論するのは、剰余価値の追加資本への転化が、商品の流通にどのような影響を及ぼすかということだ。単純再生産モデルにおいては、生産された商品は滞りなく売れることが前提とされていた。単純な再生産モデルにおいては、すべての生産物は、ある種の予定調和によって、過不足なく流通するのである。

ところが拡大再生産モデルでは、そういうわけにはいかない。剰余価値の一部が、商品流通から引き上げられることで、その部分についての需要が減ってしまう。言い換えれば、剰余価値が流通から排除されることで、それに対応した部分の生産物が売れなくなり、その部分だけ過剰生産が生じることとなる。

この理屈を、例の生産財と消費財のモデルを用いて説明して見よう。単純再生産モデルにあっては、分野Ⅰ(生産財)のv+mは、分野Ⅱ(消費財)のcに対応し、最終的にはそれらが相互にすべて交換されることになっていた。ところが拡大再生産モデルにおいては、v+mのうち、mの一部は流通から引き上げられて、追加資本に転化される。つまり消費されないわけであるから、その部分については、分野Ⅱのcの一部は売れ残ることとなる。

以上は単純再生産モデルを出発点として論じたわけだが、これをもっと一般化すると、拡大再生産においては、分野Ⅰのv+mは、はじめから分野Ⅱのcの部分より小さく設定すればよいということになる。分野Ⅰのv+mが、分野Ⅱのcと同じかそれよりも大きいと、分野Ⅱのcの部分が過剰生産ということになる。

以上は、拡大再生産が商品間の流通のバランスに及ぼす影響の一端であるが、拡大再生産は、そのほかの部面にも様々な影響を及ぼす。それを単純化していうと、拡大再生産においては、剰余価値の一部が流通から引き上げられるので、その引き揚げられた部分について、一時的な需給のミスマッチが起り、それが度を越すと、短期的な恐慌が起こる可能性があるということである。マルクスの恐慌論は、基本的には過剰生産を原因とするものだが、その過剰生産の可能性が、拡大再生産のモデルには、もともと組み込まれていると考えるわけである。

資本の蓄積と拡大再生産についてのマルクスの議論は、資本主義経済学の主流派においては、経済成長の理論として論じられる。経済成長論のうちもっとも影響力のあるのは、シュンペーターの理論だが、シュンペーターは、経済成長を不況や恐慌への対処策として考えている。不況や恐慌が起るのは、シュンペーターによれば、商品が売れなくなることによるのだが、商品が売れなくなるのは、消費者の欲望が沸点に達していて、あらたな消費のためのアクションを起こさなくなるからだとされる。これに貨幣への選好度の高まりが絡んで、消費者の消費行動は余計に抑制的になる。これを突破する鍵はイノベーションである。イノベーションによって、消費者の消費衝動を高めるような商品が現われれば、新たな消費が生まれる。そこから経済の拡大が生まれる。そういう具合に、シュンペーターの経済成長の理論は考えるわけである。

これに対してマルクスの恐慌論は、資本の均衡が乱れることに起因すると考える点で、モデルとしては静的である。経済システムを構成するさまざまな要素が均衡を保っている間は、経済はうまく動いていく。しかし何らかの理由でその均衡が崩れると、システムがうまく働かなくなり、場合によっては恐慌に発展すると考えるのである。その究極の原因は、経済というゲームの参加者の目に、全体が見えていないことにある。したがってシステム全体に目を配りながら、均衡が破壊されないよう調節すれば、恐慌は防げるという考えである。

これに対してシュンペーターの経済変動論は、動的なモデルである。経済はある一定のレベルまで拡大すると、そこで成長がとまったり、あるいは不況になったりするが、それは消費者の消費選好が弱まったことの結果であり、ある意味当然の現象である。再び成長軌道に乗るためには、新しい消費需要を生み出さねばならない。それを生みだすのはイノベーションである。イノベーションによって、これまでになかった商品が生まれれば、それに対する消費意欲が刺激され、経済が新しい発展段階に入っていく。歴史もそれを証明しているのであって、エネルギー革命や自動車などの交通革命、あるいはIT革命などの新しいイノベーションが、世の中を劇的に変え、経済の規模をそのたびに拡大してきたことは、だれでも知っていることである。



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