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あらゆる価値の転倒へ向けて:ニーチェ「人間的な、あまりに人間的な」


「人間的な、あまりに人間的な」は、ニーチェの思想の展開のうえで画期的な著作である。彼がこれを書くにあたっては、ワーグナーに対する深刻な失望があった。その失望とは、ワーグナーの中における一種の俗物根性への失望である。ニーチェはその俗物根性をドイツ的なものと同一視した。つまりワーグナーはドイツ人になりきってしまうことによって、精神の貴族性を失い、俗物の一人に成り下がってしまったというわけなのである。その辺の事情についてニーチェは、後年の著作「この人を見よ」の中で次のように語っている。

「バイロイトで私を取り囲んだ一切のものに対して覚えた深刻な隔離の感情が、本書の前提の一つである・・・いったい、どうしたというのだ! 人々はワーグナーをドイツ語に翻訳したのだ! ワグネリアンがワーグナーの支配者になったのだ!・・・可愛そうなワーグナー! どこへはまり込んだというのだ! せめて豚の中だったらまだましだったのに、ドイツ人の中へ!」

ワグネリアンがワーグナーの支配者になったということは、俗物としてのワーグナーが本来のワーグナーを押しのけてしまったということである。その本来のワーグナーとはなにか。それはニーチェがワーグナーのうちに観ていたワーグナーらしさをさしているわけだが、そのワーグナーらしさがもともとワーグナーの中にあった資質であるのか、それともあたかもそのようなものとしてニーチェが思い成していたにすぎなかったのか、その辺は問題とはなっていない。問題となっているのは、ニーチェがワーグナーの中に認めていた高貴なものが、いつの間にか消え去って、その代わりに俗物根性だけが残った、と感じたことなのである。

それではニーチェがワーグナーの中に見ていたものとはなにか。それは一言で言えば、ロマン主義の精神と言うことだろう。ロマン主義と言うのは、合理主義的で主知主義的な世界解釈を批判し、人間や世界における非合理的で情動的な要素に注目する態度のことである。こうした態度を非合理主義・反知性主義と言い換えてもよいが、そうした態度が意味を持つのは、人間や世界についての深い理解が前提になる。そうした前提を欠いた非合理主義はただの痴愚蒙昧に、つまり俗物根性に陥る。ワーグナーの場合がそうだった、そうニーチェはいって、烈しくワーグナーを批判したわけである。

ワーグナーへの批判はショーペンハウアーからの離脱をももたらした。ショーペンハウアーの哲学も一種のロマン主義といえるが、ニーチェはワーグナーのロマン主義を否定することによって、ショーペンハウアーのロマン主義をも否定することになったわけである。

そこでニーチェにはどんなことが起きたか。彼はもともとロマン主義的な姿勢を取ることで合理主義的な哲学を批判してきたわけであるが、そのロマン主義とも決別することで、ロマン主義が主張していたような世界解釈をも否定するに至る。それは、合理的=非合理的という二項対立のどちらの要素からも離脱したことを意味する。そうなることでニーチェは、世界についての解釈や理解にとっての、ありあわせの(既製品としての)基準を失った、というより、自分からそうした基準を放擲したということだ。したがってニーチェにとっては、合理主義であれ非合理主義であれ、既成の価値基準にもとづいた判断はすべていかがわしいということへ自ずからなっていく。ニーチェにとっては、すべての既成の価値は、いまや根底から疑われなければならぬ。

ここからニーチェの有名なテーゼ「あらゆる価値の転倒」が出てくる。

こうして今や「あらゆる価値の転倒」に向けて、破壊者として邁進すべきニーチェがあらわれるに至った。そのようなニーチェにとっては、とりあえず足がかりとなるような立脚点はない。自分で立脚点を定めながら、ハンマーを振りかざし、ひとつひとつ価値を破壊していかねばならない。そんなニーチェにとって、ヴォルテールの知的な明晰さがひとつの手本となった。明晰で確実な精神を以て世界をひとつひとつ立て直していく。その立て直しの作業に既存の形式は使えない。形式と言うものは、それが表現すべき内容と表裏一体となっているゆえに、表現すべき内容が従来とは全く違ったものになれば、それに応じて形式もまた変わらざるを得ない。ニーチェはそんな新しい形式として、アフォリズムを選んだ。アフォリズムは体系的な記述の正反対にあるものだ。今や体系の破壊者として立ち上がったニーチェにとって最もふさわしい形式と言えよう。

このようにして、「人間的な、あまりに人間的な」から「喜ばしき知識」に至る一連のアフォリズム集の中で、ニーチェは既存の学問、道徳、宗教などあらゆる価値の批判・破壊・転倒へと向かう。その破壊作業はまさにすさまじいものであった。そしてそれに用いられた知的な道具立ては、その後の哲学思想に多大な影響をもたらすのである。

これらのアフォリズム集の中でのニーチェの批判の対象は多岐にわたっているが、「人間的な、あまりに人間的な」のなかで最初に展開される批判の対象は、西欧の哲学の枠組である。この哲学の枠組についてニーチェは、それが二千年前にソクラテス学派によってはじめて定式化されて以来基本的には変わっていないという。それは一言で言えば、合理主義的な世界解釈である。ニーチェはまず、この合理主義的な思考態度を粉砕し、その後、その反対である非合理主義的な思考態度の粉砕に向かうであろう。

ここでは、「人間的な、あまりに人間的な」の中から、合理主義的世界解釈についてのニーチェの批判の言葉をいくつか抜き出してみよう。

「哲学上の諸問題は、今またほとんどあらゆる点で二千年以前と同じ問いの形式をとっている、いかにして或るものがその反対物から生じうるか、たとえば理性的なものが理性のないものから、感覚のあるものが死せるものから、論理が非論理から、無関心な観照が欲求的意思から、他者のための生が利己主義から、真理がもろもろの誤謬から、いかにして生じうるか? 形而上学的哲学はこれまで、一方から他方の生じることを否定し、一段高い価値をつけられている事物に対しては「物自体」の核心や本質から直接でてくるという奇蹟的起源を容認することで、この困難から身を脱してきた。それに対して自然科学と分離しては全く考えられないような、あらゆる哲学的方法の最年少者である歴史的哲学は、通俗的または形而上学的見解によくある誇張において以外には反対物などないということ、そして理性の誤謬もこうした対立化にもとづいているということを、個々の場合にわたって調査した・・・その説明によれば、厳密に言って、非利己的な行為もなければ完全に無関心な観照もない、両者とも、根本要素がほとんど蒸発したかにみえるような、そしてただもっとも細かい観察を向けてのみやっと存在していることがわかるような昇華物にすぎない」(「人間的、あまりに人間的」池尾健一訳、以下同じ)

ニーチェがここでいっているのは、従来の西洋哲学の本質を形而上学としたうえで、それを徹底的に批判しなければならぬ、ということである。形而上学は二千年前のギリシャにおいて初めて体系化された考え方であるが、それは、世界を現象と本質との二項対立において捉える考え方のことである。つまり、我々が日々経験している現象と言うのは実は非本質的な存在であって、つまり夢のようにはかないものであって、本当の存在は現象の彼方にある。それが本質とかイデアとか呼ばれるもので、現象界はこの理念的なものの写し絵のようなものなのである。

こうした二項対立は、もっとも大仕掛なものとしては、プラトンのいうように、現象界(この世)とイデア界(あの世)との対立と言う形をとるが、もっとスケールの小さなものとしては、真理と誤謬、理性的なものと非理性的なもの、肯定的なものと否定的なもの、といったもろもろの形をとる。そしてこれらの対立について、従来の形而上学はこの二千年の間まったく同じ姿勢を取ってきた。つまりこの対立を固定的なものとしたうえで、そのうちの一方の項に高い価値を与え、人間はそれらを理性によって認識することが出来る、というふうに考えて来たわけである。

ニーチェはこの二項対立を相対化させ、現象と物自体、理性的なものと非理性的なもの、あるいは善と悪といった対立はすべて相対的なものであることを暴き出す。その上でこうした二項対立の上に成り立っている形而上学が、砂上の楼閣であることを指摘する一方、人間の道徳もまた絶対的な基盤を持たないのだと主張するわけなのである。

こういうわけでニーチェは、ヨーロッパの思想史上で伝統的な形而上学に全面的な対決をした初めての本格的思想家となったのである。


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