知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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デカルトとパスカル


デカルトとパスカルには共通するところが多い。まず外面的な事情からいうと、二人はともに科学者として出発した。デカルトは数学の分野では座標幾何学の基礎を築き、力学の分野でも多大の業績を上げた。他方パスカルはデカルト以上の天才振りを科学研究史上に発揮した。すでに16歳にして「円錐曲線試論」を書き、真空の実験、大気の圧力の実証(ヘクトパスカルという言葉に残されている)、水圧の原理の発見(パスカルの原理)、確率論の創始などさまざまな業績を上げた。パスカルがもし、一生を科学に捧げたならば、考えられぬような偉業を達成したであろうといわれている。

二人の共通性は神へのかかわり方においても見られる。デカルトは世界の存在を自分自身の意識の明証性のうちに基礎付けながら、その明証性のなかから神の存在についての確信を導き出した。これに対してパスカルは、デカルトのように理性から出発して神に至るというやり方はとらなかったが、人間の存在意義を常に神との関係において考えていた。

つまり二人とも、一方では科学的な合理思想を駆使しながら、己の存在意義の確信を神への信仰に立脚させるという点では共通していたのである。

この共通性は、彼らが生きた時代の精神が彼らの内面に作用した結果生まれたものだと解釈できる。デカルトの項で述べたとおり、宗教改革を経て一人一人の個人が直接神と向き合わざるを得なくなった精神的状況の中で、人びとはいかにしたら自分が神によって選ばれ、その恩寵にあずかれるか、この切実な問題を自分自身のこととして考えざるを得なくなった。その疑問に対してはカルヴィニズムや新教各派の教義がそれなりに手がかりを与えてくれていたが、最後は個人の内面におけるプライベートな問題なのだという意識が、時代全体を支配していたのである。

だからこの時代の思想家は、多かれ少なかれ、神と自分との直接のかかわりについて問題にせざるを得なかった。デカルトとパスカルはそれを最も突き詰めた形で遂行したといえる。

だが神へのかかわりにおける二人の共通性はここまでである。というのもパスカルはデカルトのいう神を頭から信用していなかったからである。

パスカルは「パンセ」のなかで、デカルトを「役立たずであやふや」 Descartes inutile et incertain. (ブランシュヴィック版断片76)と評している。その直後の断片77では、「わたしはデカルトを許せない」 Je ne puis pardoner a Descartes とまでいっている。

デカルトが「役立たず」なのは、その説が最も重大なこと、つまり神について本当のことを語っていないからであり、したがって自分には何ももたらすものがないからである。それが「あやふや」なのは、根拠の薄い仮説の上に全体系が築かれているからである。したがって、そのように自分の信仰に無関係でしかも根拠に乏しい説が世の中に流布していること自体、自分には我慢がならない、こうパスカルは考えたのである。

デカルトの神は何故パスカルに本当のことを語ってくれないのか。

デカルトの神は、啓示によって与えられるものではない。デカルトにとって啓示とは、カトリックの教義を象徴するものであり、自分の外から、しかも教会という外的権威によってもたらされる、そうデカルトは考えていた。デカルトが一身をあげて信仰する神とは、そうしたものではなく、自分の内面における明証性に支えられたものでなければならなかった。

デカルトは「考える我」という自分の内面の世界から、論理必然的な思考の過程を辿って神の存在を証明する。このようにして証明された神の存在性格は、いまや外面的な権威によって基礎付けられているのではなく、己自身のうちにその根拠を有している。しかもそれは、自分の主観のうちに存在するばかりではない。神はその存在の本質からして、私個人を超えた客観的で完全な存在である。だから私は私自身の内面の明証性と並んで、それをもたらしてくれた神の完全性によっても、支えられている。

こうしたデカルトの神の存在証明は、パスカルにとっては我慢がならなかった。このような理性による形而上学的な証明は、神についてなんら生き生きとした体験を生じさせない。大事なのは、神の存在を論理的に証明することではなく、それを心情によって感得することである。

ここでパスカルにとって、啓示というものが新しい光の下に浮かび出てくる。信仰は理屈によって云々すべきものではなく、己の存在をかけて、全身で受け止めるべきものだ。それは理屈では得られない。我々が神を感得できるのは、ある種の飛躍によってなのだ。それを神の立場から言えば、神からの我々に対する啓示なのだ。

神に対するデカルトとパスカルのこの姿勢の違いは、人間の理性に対する確信の相違に由来するのだろう。

デカルトにとって理性は万能であり、神の存在でさえ証明できるものであった。またそうして証明された神は、その本性において善良であり、人間を欺くはずがない。人間は理性を正しく行使することによって、神の光に照らされながら、確実で揺るぎのない生きかたを保証される。

しかしパスカルにとっては、神は隠れたもので、人間の理性では窺い知ることのできないものであった。つまり啓示でしか知りえないものなのである。またその神は、デカルトにとっては欺くことのないものだったが、もしかしたら、そんな風に思い込んでいる人間を欺いているのかもしれない。

パスカルがこういうことで主張しているのは、理性に対するデカルト的な礼賛への戒めであった。パスカルにとって、理性と感性、証明と啓示とは全く異なった秩序に従うものである。だからそれらは本来別々の領分を持っているべきなのに、デカルトは両者をごちゃ混ぜにしてしまった。

こうしてみると、デカルトとパスカルは、人間の理性に対する信頼という点で、やや異なったスタンスを取っていたことがわかる。パスカルにとっては、理性は万能ではありえなかったのである。

この両者は生涯に一度だけ出会ったことがあった。1647年、デカルト51歳、パスカル24歳のときである。デカルトはすでに円熟した思想を確立していたが、パスカルは科学者としての業績はともかく、哲学者としてはスタートを切ったばかりだった。だから両者の会話は、科学上のことが主なテーマになった。

デカルトは真空の存在を否定していたが、パスカルはその存在を実証していた。そんなパスカルにデカルトは突っかかったらしい。いづれにせよこの出会いは、パスカルにデカルトへの親愛感を植えつけなかったようである。



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