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饗宴読解その三


エリュクシマコスの次はアリストパネスの番だが、彼はエリュクシマコスが語っている間にしゃっくりが収まっていたのだった。彼は医師であるエリュクシマコスから、しゃっくりを収める秘訣を三通り教わって、それを試したのだったが、三つのうち最後の方法を試してやっと収まったのだった。それはくしゃみをほどこすというもので、それについてアリストパネスは、体の中の、エリュクシマコスのいう節度ある部分が、くしゃみのような騒音やくすぐりを欲求するものなのかと不思議に思うと言うのだった。

アリストパネスといえば高名な喜劇作家で、同時代人を劇の中でからかうのが好きだった。ソクラテスも例外ではなく、「雲」という作品の中で、ソフィストの巨魁として登場させられ、さんざんからかわれたのであった。そのアリストパネスが、ソクラテスと宴会に同席して親しく交際したという、信頼ある記録はないようである。そこでプラトンは、何にもとづいて、この作品の中でソクラテスとアリストテレスを同席させたか、疑問がないわけではないが、ここではその疑問を棚上げして、アリストパネスの言論を聞くこととしよう。アリストパネスのプラトンによる描き方は、幾分反感を感じさせるものだが、それは師匠のソクラテスをアリストパネスが戯画化したことへの、弟子としての意趣返しなのだろうと思われる。

アリストパネスのこの作品の中での言論は古来非常に有名なもので、夥しい人びとが引用するところとなった。彼はこの言論の中で人間の起源について言及しているのだが、その議論の奇怪さは脇へおいておこう。これが彼自身の実際に抱いていた考えであったのか、それともプラトンによる創作なのか、くわしくはわからない。アリストパネスは生涯に44篇の戯曲を書いたと言われるが、今に伝わっているものは11篇に過ぎない。失われた戯曲の中で、あるいはこの言論と通じ合うような話が書かれたことがあったのかもしれない。これほど奇怪でかつ楽しい話なのだから、もしアリストパネスが実際にこの話の内容を頭の中に抱いたことがあるのなら、喜劇作家としてのアリストパネスが、それを戯曲に書かないということは考え難い。プラトンはその戯曲を読んでいて、それをここに引用したということも考えられる。

アリストパネスによれば、太古の時代に人類が初めて生じた時には、人間の種類は三種だった。それは実に奇怪な生き物で、男同士が結びついて一体となったもの、女同士が結びついて一体となったもののほか、男女(おめ)というものが一種をなしていた。男と女が結びついて一体となったものである。これらはそれぞれ、球形のような形をしていて、頭が二つ、手足が合計八本あり、二人の人間が腹合わせにくっついたような形をしていた。したがって周囲は背中のようであって、頭は背中のほうを向き、隠しどころも背中の下のほうにあった。そんなわけで、男同士がひっついたもの、女同士がひっついたもの、男と女が引っ付いたものという三種類に、人間は分かれていたのである。

彼らは腕力が強く、驕慢であった。ホメロスは、彼らのうちから、神々を攻撃しようとして天上に登攀を企てた者もいたと言っている。こういうわけであるから、ゼウスはじめ神々は、どうしたらよいものか相談した。かつて巨人族を懲らしめるために、雷光で打って殲滅させたことがあったが、そうなれば、人間から神々にささげられる崇敬も神殿もなくなることなので、別の方法が思案された。それは人間どもを二つに切断するというものだった。そうすれば人間の力は弱くなり、今に比べればずっとおとなしくなるだろう。それでもなお傍若無人ぶりが収まらなければ、更に切断して、一本足でぴょんぴょんはねるようにしてやろう。さすがにそうなれば、人間も無力になるだろう。

方針が決まると、ゼウスは人間どもをかたっぱしから二つに切断した。そしてアポロンに命じて、顔を切り口の方へ向け返させた。また、皮を四方八方から切り口つまり腹のほうへ引っ張り寄せ、腹の真ん中でそれを結び上げたが、それが今日臍と呼ばれるものである。また彼らの隠しどころも腹のほうへ移させた。そうすることで、男が女の腹に直接種を植え付けることが可能になった。それまでは、地中に種をまいていたのである。

さて二つに切り分けられた人間どもは、かつて自分の相棒だったものを求めるようになった。人間はヒラメのように一つのものを二つに切り分けられたのであるから、一人一人が人間の割符のようなものであり、したがって誰でも自分の割符を探し求めるというわけである。こんなわけで、かつて男男だったものは、男が男を追い求め、女女だったものは女が女を追い求め、男女だったものはそれぞれ異性を追い求めるようになった。自分と同じようなものを追い求めるのは自然の摂理だからだ。これらの組合せの中で最も尊いのは男が男を求める同性愛である。なぜなら、男性原理は崇高なものであって、男らしい男が男らしい男を求めるのは極めて理にかなったことなのである。だから男の同性愛を恥知らずなどというべきではない。かえって名誉なことと思うべきである。

このように、人間には、自分と似た者を追い求める傾向がある。この場合、似た者同士が引き付けあい、結びつくという考え方は、おそらくギリシャ的なものなのであろう。ギリシャ人だからそう考える。中国人はそうは考えない。易経は古代の中国人の世界観を反映したものであるが、そこに盛られている思想は、異質なもの同士が引き付けあい、結びつくという考えである。易の基本思想である陰陽の原理は、陰と陽という異質なものが、引き付けあい結びつくという思想から成り立っている。だからこの思想によれば、男が女を求め、女が男を求めるのが自然にかなったことだということになる。中国人は、ギリシャ人のようには、同性愛に対して寛容ではなかったのだ。それは彼らの世界観に根差している。その世界観とは、宇宙は陰陽という対立しあう一対の原理で動いているというものだ。

とまれアリストパネスは、男同士の同性愛を神々によって基礎づけたわけである。だからといって、自分が男同士の同性愛を祝福することを、パウサニアスとアガトンのことを言っているのだと、受け取らないでくれとわざわざ断るのだ。おそらくパウサニアスとアガトンは同性愛の関係にあったのだろう。

以上の議論をアリストパネスは、エロースをたたえる言葉として述べたわけだが、そのエロースの中でも、男同士の同性愛がもっとも尊いということを言いたかったようだ。ギリシャ人にとって、理想的な愛は男同士の同性愛だということを、アリストパネスのような皮肉屋でも認めるわけだから、ギリシャ人の間にいかに男同士の同性愛が尊重されていたか、よくわかるというものである。




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