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歴史的ブロック:グラムシを読む


「歴史的ブロック」は、グラムシの思想におけるもっとも重要な概念の一つである。グラムシはそれをマルクスの「下部構造ー上部構造」の議論から導き出した。マルクスの議論は、ごく単純化して言えば、下部構造としての経済システム(生産力と生産関係の統合)が社会の土台・基盤であって、その上に、法的・政治的・文化的なシステムが上部構造として乗っているというものだ。その関係は、一方通行的なもので、下部構造が上部構造を規定し、上部構造のほうは下部構造の単なる反映に過ぎないとするものだ。無論、具体的な議論はそんなに単純なものではなく、マルクスといえども、政治的な意思が歴史を動かす力を持つことを認めているのであるが、その場合にも、そうした上部構造に属する事柄は、基本的には下部構造が設定した枠組みのなかに限定されると考える。

こうしたマルクスの見方に対して、もっと柔軟な見方がありうる。これもまた単純化して言えば、上部構造に一定の力を認めるという議論になる。上部構造は下部構造の反映として、下部構造から一方的な働きかけを受け、それ自体は下部構造への影響力を持たない、というふうに見るのではなく、上部構造にも一定の自律性を認め、上部構造が下部構造に重要な影響を及ぼす場合もありうると見るわけである。シュンペーターに代表される社会民主主義の思想は、そうした上部構造の自律性を重視する傾向が強い。グラムシにもそういう傾向がある。グラムシもまた、上部構造の下部構造からの相対的自律性を認め、その歴史推進力を高く評価するのである。

グラムシは、下部構造と言う代わりに、単に「構造」と言う。そして構造と上部構造との関係を、一方通行的なものとしてではなく、相互規定的なものと見る。構造と上部構造とは、それぞれ異なった次元のものとして対立しているわけではなく、互いに融合しあって全体としての社会を形成している。社会のそうしたあり方をグラムシは「歴史的ブロック」と言うのである。「歴史的ブロック」とはだから、一定の社会における、下部構造と上部構造の統合体ということになる。グラムシの直面した資本主義社会もそうした歴史的ブロックの一つの範例なのである。

「歴史的ブロック」という概念をグラムシはソレルから受け継いだと言っている。もっともソレル自身がその言葉を使った形跡はないという。ソレル自身は、革命家が所与の現実として与えられている「社会的諸条件の総体」というような言葉を使っており(「暴力論」への序文)、グラムシはそれを「歴史的ブロック」と言い換えて、自分のものとしたようである。これは余談だが、グラムシはソレルを敬愛していたという。ソレルはサンディカリストであった。サンディカリズムというのは、無政府主義的傾向の強い直接行動主義であるが、それを理論的に支えていたのは、人間同士の友愛の理想であった。その理想にグラムシは共鳴したのだろう。政治的な点では、サンディカリズムを厳しく批判したのだったが、その理由は、無計画で無鉄砲といえる刹那主義への批判であった。資本主義社会は、一時的な激昂で倒されるほどやわではないと、グラムシは認識していたのである。

「歴史的ブロック」の概念にはさまざまな考えが盛られているが、なかでも特に重要なものが二つあげられる。一つは、その歴史的制約性である。「歴史的ブロック」は特定の社会の特定の段階に対応して形成されるものである。たとえば、革命家としてのグラムシが直面したのは、20世紀前半におけるイタリアという、中途半端な発展段階にあった資本主義社会であり、イギリスでもアメリカでもなかった。そうしたユニークな「歴史的ブロック」を所与としては、それにふさわしいタイプの政治運動をする必要がある。グラムシの直面したイタリアは、イギリスと違うのだから、マルクスが考えたような先進国を対象とした革命のモデルは成り立たない。中途半端な資本主義国であるイタリアには、高度資本主義を前提とした革命理論は適用できない。そのあたりをグラムシは次のように書いている。

「①いかなる社会も、その解決のために必要で十分な条件がまだ存在しないか、または少なくともその条件が出現し、発展しはじめていないような課題を提起することはできないという原則。②いかなる社会も、その諸関係にふくまれている生活形態をすべて展開しつくした後でなければ、解消ないし取り換えられることはありえないという原則」(「グラムシ・セレクション」片桐薫編訳)

こう言うことでグラムシが、いわゆる敗北主義に陥っていると考えてはならない。社会の抜本的な変革とか革命は、社会自体の内部にその条件が熟してはじめて課題として持ち上がるのではあるが、その条件とは、「歴史的ブロック」全体にかかわるものであり、単に下部構造にかかわるものにとどまらない。

ここから、「歴史的ブロック」の二つ目の重要な意義としての、上部構造の総体的自立性が問題となる。上部構造には、下部構造に働きかけ、それを変えていく力もある。また、下部構造の変化が十分に進み、その矛盾が顕在化したといっても、革命とか変革が自然発生的に起こるわけではない。それが起こるためには、人間の政治的な意思が必要である。その政治的な意思は、グラムシによれば上部構造に入るわけであるから、その上部構造を革命に向けてきたえて置く必要がある。

こうした上部構造の社会変革的な働きを、グラムシは「ヘゲモニー」という概念を使って説明した。ヘゲモニーとは、基本的には上部構造の主導権をめぐる戦いのことをいうが、その詳細については別稿で取り上げたい。



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