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グラムシの国家論


マルクスは国家を、基本的には階級支配の道具と考える。だから、プロレタリア革命を経て階級が廃絶されれば、国家は死滅するものと考えた。これに対してグラムシは、国家は単なる道具ではなく、社会が成立するための基盤であると考えていたようだ。だからグラムシは、社会主義国家という言葉を多用する一方、国家の死滅というようなことは言わなかった。グラムシは、社会主義革命を通じての社会の抜本的変革は、一朝一夕でなされるものではなく、気の遠くなるような長い時間を要すると考えていた。そうした長い時間において、プロレタリアートがヘゲモニーを確保するためには、国家を積極的に活用するほかはない。無政府主義者のように、国家を無視しては、政治はなりたたないのである。

マルクスが国家を階級支配の道具と考えた理由は、国家と政府を混同したことにあるとグラムシは言う。政府は官僚機構によって成り立ち、官僚機構は社会全体を統治している。そのような統治の機関として国家をイメージすれば、たしかにマルクスのような考え方も成り立つ。しかし国家は、政府には限定されない。政府の任務は国民を服従させることだが、その点で強権的な本質を持ったものだが、国家の役割はそれにとどまらない。国家は、国民を服従させるばかりか、国民からの積極的な同意を取り付けようとする。古来国民の同意なき権力は長続きしないものなのだ。

こう言うことでグラムシは、国家の本質を、国民の統治及び同意取り付けの両面から見ている。同意取り付けには、国民への教育が伴う。国家は教育を通じて、国家への国民の同意を取り付けるのだ。つまり国家権力は、国民を外から統治するばかりではなく、国民の内面に立ち入って、いわば国民の中からの改造をめざすのである。この権力による国民の教育とか国民の内面への介入とかは、フーコーの「介入する権力」の議論を想起させる。グラムシは早くから、こうした国家の国民の取り込みに注目していたわけだが、それはおそらくファシズムの成功に刺激されたのであろう。イタリアに成立したファシズム政権は、国民の内面に訴えかけ、その自発的な同意を調達することで、全体主義的なポピュリズムの確立に成功したのである。

グラムシの社会主義国家論は、こうした議論の延長にある。先ほど述べたように、社会主義は一朝一夕で実現するわけではない。気の遠くなるような長い時間をかけねばならない。その長い時間をかけて、プロレタリアは次第にヘゲモニーを確立するべきだというのがグラムシの主張だ。その場合にヘゲモニーをめぐる闘争は、とりあえず今の社会を牛耳っている階級(ブルジョワジー)の戦略を見習ったものになるだろう。ブルジョワジーはみずからの政治戦略を民主主義によって基礎づけた。それをプロレタリアートも尊重せざるを得ないだろう。グラムシには、ソビエトの経験から生まれた評議会制度への強い共感があった。これはブルジョワ的な三権分立を解消して、それらすべての権力を一つの機関に集中させるというものだ。この評議会制度のアイデアは、グラムシ自身が深くかかわったトリノの工場評議会制度の経験からもヒントを得ている。工場評議会は、工場単位で、労働者が中心となった経営体を確立しようとする運動だったわけだが、この経営の単位としての工場評議会を、政治的な実践における活動単位とみなし、それらが連合することで新しい権力を確立するというのがグラムシの基本的なイメージだった。評議会方式を基礎とすることでは、ソビエトとよく似ていることろがあるが、ソビエトが実質的には、スターリンによる専制を許したのに対して、労働者の自主性が最大限保証された新たな評議会制度の確立を模索したというのが、グラムシの基本的なスタンスだったのではないか。もっとも、ソ連における否定的な動きは、グラムシの生前には十分明らかにされておらず、グラムシは(ソ連における権力闘争などの)噂を通じて、かすかに知るばかりだったのではあるが。

三権分立を解消して、すべての権力を一つの政治単位に集中すると言ったが、その三権分立をグラムシはどう見ていたか。マルクスは三権分立を、ブルジョワジーのヘゲモニーが確立される以前に、諸階級のバランスをとるために発明された過渡的な制度だと見ていた。グラムシも基本的には同じ見方をしている。かれは三権分立を、「諸階級間に一種の不安定な均衡状態ができあがっているような、特定の歴史的時期の倫理社会と政治的社会とのあいだの闘争の所産である」(「現代の君主」上村忠男訳)というふうに定義している。こうした初期の三権分立においては、国王が行政(統治)権を握り、庶民(ブルジョワジー)が議会を握ることで国王の権力を制約する一方、伝統的な階級である貴族層が司法権を握って、国王や庶民の暴走をチェックするというような具合になっていた。ブルジョワジーがほぼすべての政治権力を一応掌握した今日においては、行政をブルジョワジーが握り、そのブルジョワジーの暴走をプロレタリアが議会を拠点にしてチェックするというふうに変ってきている。無論議会を抑えているのもブルジョワジーだが、プロレタリアートもそれに一定の代表者を送り込むことで、ある程度階級としての自分たちの意思を反映させることができるわけである。一方、司法権のほうは、そもそもの担い手である貴族層が没落してしまったあとは、階級的な基盤を離れた抽象的な存在となってしまい、そうした抽象的な立場から三権分立をはじめとしてブルジョワジー的な民主主義制度を担保する役割を演じるように変わってきている。

今日の国家において、もっとも重要なのは教育と司法の機能だとグラムシは言う。教育を通じて、道徳的・文化的領域でのヘゲモニーの確立をはかり、司法を通じてブルジョワ的民主主義の地盤を堅固なものにする。今日政治を語るものは、露骨な階級的な利害を度外視して、抽象的な理念をめぐる議論にふけりがちである。そうした抽象的な議論にあってもっとも好まれるのが正義という言葉であるが、その正義をもっとも体現しているのが司法だとされるわけであるから、司法がまともに機能することは、民主主義が成り立つための最低の条件だといえる。

ところで、政治権力の担い手が、今日では官僚制であることはいうまでもない。その官僚制をグラムシはどう見ていたか。官僚制はもともと統治の主体としての王の手足として機能していたものだが、ブルジョワジーが統治の権力を握った後は、特定のパトロンを持たなくなり、その結果それ自体が独立した社会勢力になった。要するに官僚勢力というような自立した階層が生まれたわけである。イタリアでは、南部の農村地帯が官僚の人材供給源になってきたという。ブルジョワジーは北部の工業地帯を地盤にしているのだが、その北部からは官僚の人材はあまり出てこない。南部の農村地帯の、地主たちの子孫が官僚の最大の供給源である。かれらは保守的な思想と独特の仲間意識を持っているので、社会の広範な世論を無視する傾向がある。そう言ってグラムシは、かれが直接見たイタリアの官僚制には否定的だった。しかし官僚制そのものを否定したわけではない。それをどうやってプロレタリアの利益を考慮したものに改めていくか、について考えていた。

グラムシの官僚の供給源にかんする議論はなかなか興味深い。それをもとに日本の官僚制を考えるのも有益だろう。



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