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フォーディズムとアメリカ資本主義:グラムシを読む


フォーディズムとかテーラー・システムと呼ばれるものは、大量生産時代を迎えた20世紀初頭に、アメリカで生まれた「科学的」経営管理法をいう。基本的には、労働者を合理的・効率的に働かせ、最大限の労働力を引き出すことを目的とする。要するに人間を、生身の生きものとしてではなく、労働力の体現したものと捉え、その労働力をできるだけ多く絞り出すために考案されたものと言ってよい。それが「科学的」という言葉を冠しているのは、人間を科学技術的な操作の対象として、目的合理的に捉えているからだ。

今日では、こうした「科学的」経営管理法を手放しで高く評価する動きはさすがにない。これは人間を単に労働力の担い手としか見ないので、人間は一方的な管理の対象とされ、その自発性とか、勤労意欲といったものに注目することはない。人間はただの労働力の担い手にはとどまらないわけであるから、こうした人間観に基づく経営はやがて限界に突き当たらざるを得ないのだ。今日では、労働の形態が多様化したこともあって、人間の働き方も多様化している。そういう状況では、フォーディズムとかテーラー・システムは時代遅れの人間管理方式とみなされざるを得ない。

しかし、大量生産時代を迎えた20世紀の、とくにアメリカにおいては、そうした「科学的」経営管理が大いにもてはやされた。フォーディズムはその代表的なもので、自動車の生産ラインを極度に合理化することによって、作業効率を飛躍的に高め、従来の数十倍もの生産量を可能にしたのだった。それを視覚的にイメージしたものとしては、ルネ・クレールの「自由を我らに」やチャップリンの「モダン・タイムズ」が有名である。どちらも、フォードの工場におけるベルトコンベヤ式生産ラインをイメージしている。

こんなわけで、常識的に見れば、アメリカ型経営管理方式は非人間的なところが大いにあり、したがって労働者には過酷な労働を強いるものとして、否定的なものと映るはずである。ところがグラムシはそれを高く評価するのだ。かれは、フォーディズに代表されるアメリカ型労働管理法を新しい時代の労働管理のあり方として、むしろ積極的に評価するのである。彼が獄中ノートの作成にとりかかったとき、まっさきにテーマに設定したのが「アメリカニズムとフォーディズム」と題したアメリカ型労働管理法の研究だったことからも、このテーマについてのグラムシの高い関心と評価を読み取ることができよう。

その評価のとりあえずの理由は次のようなものだ。グラムシは言う、「アメリカニズムとフォーディズムなるものは計画経済の組織化に到達せざるをえない内在的必然性から生じているのであり、ここで検討されるさまざまな問題はそれがまさに旧来の個人主義経済から計画経済への移行を画する環をなしていることができる」(「現代の君主」片桐薫訳)。つまりグラムシは、アメリカ型経営管理法を、旧来の個人的・自由主義的経営から大工場におけ集団的・計画経済への移行期にあたっての、新しい可能性を持った経営管理法として期待したわけである。要するに、アメリカ型経営管理法は、計画経済の時代にふさわしい経営のあり方だと思ったわけである。そういう傾向の中で、労働者もそれを否定するのではなく、かえってその可能性に気付いている、とグラムシは言う。じっさい、イタリアの大企業の労働者はみな、この新しい経営管理に賛成する者はいても、それを敵視するような者はいないとして、それが労働者にとっても有利な条件を作り出すと考えていたのである。

アメリカ型経営管理法をグラムシが高く評価した背景には、トリノにおける工場評議会運動の経験があったのだと思う。グラムシ自身深くかかわったこの運動は、工場経営への労働者の参加を展望したものであって、そこでの一定の経験が、大工場における新しい労働者像をグラムシに示した。その新しい労働者とは、規律に富んで、しかも創意工夫を重んじ、要するに従来のような賃金奴隷としての労働者ではなく、一人の主体的な人間としての労働者なのであった。そうしたグラムシの見方に甘いものがあったことは否めないが、高度に発達した資本主義経済は計画経済への道を進まざるを得ず、労働者もまた、その計画に深くかかわれるはずだし、経営者も労働者を巻き込まないでは高度な経営はできない、と考えたことには一定の合理性を認めることができよう。

なお、トリノの工場評議会制度が、ロシア革命におけるソヴェート(評議会)に刺激されたものであることは間違いない。ソヴェートは、遅れた経済を抱えていたロシアにおいては、大工場単位に形成されるというわけにもいかず、むしろ地域単位で結成されたのであったが、イタリアのようなある程度資本主義経済が発達していた国では、大企業単位での評議会の結成が可能であった。グラムシがかかわったトリノのフィアット工場は、ヨーロッパ有数の自動車組立て工場であり、20万人もの労働者を雇用していた。その工場を作ったのはアリエリで、かれはそこにフォード式の生産ラインと「科学的」管理法を持ち込んだ。それによって鍛えられた労働者が、単なる労働力の担い手ではなく、経営への参加を求めるものとして登場してきた。それをグラムシは、ロシアにおけるソヴェートに相当するものと見て、その歴史的可能性を高く評価したわけである。

フィアットにおけるアメリカ型経営は少数派であって、ヨーロッパ全体では、旧来の経営が幅をきかせていたが、やがてアメリカ型経営はヨーロッパ全体に広がっていくであろうとグラムシは考えていた。一つには、工場の大規模化がますます科学的・計画的な経営を要請するわけだし、また、利潤率の傾向的低下に対応するためには、労働力の合理的な管理がますます必要になるからだ。そのアメリカ型の経営管理をグラムシは積極的に見ていた。そういうことがアメリカで可能になったのは、アメリカ人が伝統とか因習にとらわれることなく、自由にものごとに対処できるからだ。そこがアメリカの最大の強みであり、その強みがアメリカを最大の近代工業国家にのしあげていくだろうとグラムシは考えていたのである。

話は脇道にそれるが、グラムシのアメリカ評価には、いくつかの面白いところがある。まず、グラムシは同時代のアメリカで行われた禁酒法とか一夫一妻制の徹底を高く評価している。労働者の管理は、工場の中だけにはとどまらない。その私生活をも含めて管理しなければならない。労働者に放埓な生活を許していては生産の能率にかかわるからだ。禁酒法は、労働者が毎日新鮮な気分で目覚めることを保証するのだし、一夫一妻性は労働者の性欲を一定の範囲に制約することで、労働者がつねに健全な気分で工場に出かけることを保証するのだ。その一方、従来型の資本家階級には放縦な暮らしが認められた。かれらは禁酒法の時代にも浴びるほど酒を飲んだのだし、また、高い金を払って高級コールガールを抱くことができた。こんな具合にグラムシの思考の足取りはきわめて地についたものといえるのである。

グラムシはまた、アメリカには、ヨーロッパにおける寄生虫のような連中がいないとも言っている。そうした寄生虫どもは、自分ではなんらの仕事をせず、資本が生み出す利子を目当てに生きているのであるが、そうした連中はヨーロッパの長い歴史の積み重ねの中で、滓のようにたまってきた。その滓が経済の停滞をもたらしている。アメリカは若い国であり、そうした滓がたまっていないので、社会全体で無駄な分配が行われることはない。そこでは経済システムのすべての参加者が、何らかの働きをしている。無為のままに金をむさぼっている寄生虫は存在しない、そう言ってグラムシはアメリカの国としての若さをたたえるのである。

もっともアメリカ型経営管理の可能性をめぐるグラムシの議論は、かれの死後を含めて、ほとんど取り上げられることはなかった。マルクス主義の主流の立場は、アメリカ型「科学的」管理法は、基本的には労働力を効率的に搾取することを目的としており、したがってきわめて非人間的な特徴をもち、これを新しい時代を予見させるものとは受け取れない、というものであった。



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