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斎藤純一「不平等を考える」を読む:民主主義をめぐる原理的考察


斎藤純一は政治についての原理的な議論を展開しているそうだ。なかでも民主主義とはなにかについて、その本質と政治的可能性について強い関心をもっているらしい。民主主義とはなにかに、については、さまざまな議論がある。それらを大雑把に概括すると、自由・平等・友愛といったフランス革命の理念を体現したのが民主主義であって、現代の政治にとって基本となる思想であり、したがって人類共通の普遍的原理になるべきだとする議論がある一方、カール・シュミットのように、民主主義とは統治の主体にかかわる制度論であって、政治的な理念そのものとは本質的なかかわりはない、その証拠に、民主主義が専制政治と結び付いた例は、歴史の舞台に事欠かない、とする議論もある。

斎藤純一は、シュミットのような議論は退けて、民主主義は単なる統治の主体についての議論ではなく、正義とか平等といった政治に関わる普遍的な価値に関わるものと考える。シュミットは民主主義を、政治を成り立たせるための形式的な器と考えたわけだが、斎藤は民主主義を、政治の目的そのものと考えるのである。つまり斎藤によれば、民主主義とは政治のめざすべき理想の在り方ということになる。

そこで、あらためて民主主義とはなにか、定義の問題が生じる。斎藤は民主主義を、市民が対等の関係で政治に参加できることを保証する制度だと定義する。そこで市民の間の政治的平等が、民主主義にとっての死活的な問題となる。政治的平等が成り立たず、人びとの関係が不平等ならば、事実上強いものの利益が実現し、弱い者の立場は無視される。それでは政治的な決定に、正統性の根拠は得られない。政治はむき出しの力を体現したものであって、いかなる正統性も持たなくなる、というのが斎藤の基本的な立場のようである。

だから斎藤は政治的平等と、それを可能にする社会的平等を重視する。かれが、民主主義についての原理的な考察を行ったこの書物に「不平等を考える」というタイトルをつけたのは、平等を民主主義の根本条件だとするかれの原理的な立場を表明したものだろう。

この本は三部に分かれ、第一部では、民主主義にとって平等が持つ意味とそれを保障すべき制度の役割を論じ、第二部では、平等を実現するための社会的条件を保証するものとしての社会保障制度について論じ、第三部では、市民が平等に政治参加するためのさまざまな試みについて論じている。それらの議論を通じて、斎藤が依拠している原理は、ジョン・ロールズによって代表される英米型の正義論である。ロールズの議論は、基本的には功利主義の立場にたち、その欠点をカント的な理念で補おうとするものである。功利主義は強いものの利害を守るための理屈であり、カント的な理念は、弱い者にも花を持たせてやろうという企みだといえる。だからロールズの議論には非常に都合のよいところがあって、その都合のよさが、主として英米圏の政治思想家を魅了しているわけである。

一方で斎藤は、シュンペーターに代表されるような社会民主主義的な議論は排斥している。斎藤がシュンペーターを嫌悪する理由は、シュンペーターが市民の実力を軽視して、もっぱら官僚機構に歴史の進歩の担い手を見ることにある。シュンペーターには歴史必然的なところがあって、市民の自発性を軽視するばかりか、それがポピュリズムと結び付きやすいことを理由に、市民の政治的自発性を頭から否定するところがある。それが斎藤には気に入らないということらしい。

斎藤は、シュンペーターのように、歴史は自然法則に近い必然性によって動いていくというふうには考えず、市民の自発的な政治参加をバネにして動いていくと考えた。そこで、斎藤の議論は、ただに政治権力の中枢にかかわるだけでなく、広範な市民の政治的活動に注目することとなる。広範な市民が、それぞれ平等の立場で政治にコミットしていき、それら市民の政治参加が制度的な権力機構との間で相互影響を及ぼしあうなかから、真に民主主義的な政治的決定がなされていく、というふうに斎藤は考えるのである。

そういう点では、斎藤は、やはり英米系の政治思想である多元的国家論の思想を受け継いでいるといえる。多元的国家論は、政治的決定を、国家権力だけの問題ととらえるのではなく、広範な市民勢力が政治参加するなかから生みだされるべきだと考えたわけだが、そうした多元主義は、今日アソシエーショニズムという形で息を吹き返している。斎藤自身はアソシエーショニズムという言葉を使ってはいないが、市民の自発的な政治参加を重視する点では、アソシエーショニズムの一バリエーションと言ってよいのではないか。




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