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カール・シュミットの大衆民主主義論


カール・シュミットは、「現代議会主義の精神史的状況」のなかで、民主主義と議会主義とがかならずしも結びつかないということを主張したが、「議会主義と現代の大衆民主主義との対立」という小論の中では一歩進んで、民主主義と議会主義との根本的な対立について述べている。ここでシュミットが想定している民主主義とは、民主主義の現代的な形態としての大衆民主主義のことだが、それは単純化して言えば、多数による支配の徹底ということらしい。

多数による支配は、民主主義のどんな形態においても存在するものであるが、大衆民主主義においては、それが極端な形をとる。多数派が数に物を言わせて、自分たちの言い分をごり押しする、というのが大衆民主主義のイメージだが、こうなると議会がたいした存在意義を持たなくなる。議会の存在意義というのは、公開と討論の原則を通じて、合理的な政策を追求するところにあるが、数が物を言う世界では、公開性と討論が軽視され、その結果多数派のむき出しの利害がそのまま通るようになる。

民主主義が政治のあり方として優れているのは、それが議会主義の原則と結びついている限りにおいてであり、議会主義との結びつきを失った民主主義はかえって危険なものになる、というのがシュミットの見方である。大衆民主主義は、議会主義の原則を骨抜きにすることで、民主主義そのものを危機に陥らせる。その結果どうなるか、民主主義がその反対物である独裁を生むことになる、とシュミットは言う。現代は、大衆民主主義が独裁を生んだ例にことかかない。ボリシェヴィズムとファシズムがその典型だというわけである。

シュミットは、現代の議会が陥っている状況を次のように分析する。議会主義の二つの原則のうち、討論については、責任ある議員による自由な討論が行われているとはいえない。議員はもはや、独立した身分ではなく、政党によって拘束される立場にある。かつては、国民全体の代表者として公正な議論を期待されていたものが、いまでは政党の投票マシンになり下がって、党派的な態度をとるようになっている。一方、議事の運営は密室での取引によって行われる部分がますます多くなり、公開性は骨抜きにされている。

こんなわけであるから、「すでにあらゆる公的事項が党派とその従属者の獲物と妥協の対象に変ってしまい、政治エリートの仕事であるどころか、かなりに軽侮された階級の人びとのかなりに軽侮された事業になって」しまっている。それは、「現代大衆民主主義の発展が、論拠にもとづく公開の討論を空虚な形式にしてしまったからである。今日の議会法の多くの規範、とりわけ、議員の独立性や会議の公開性についての規定は、したがって、余計な装飾のように、無用で、それどころか痛々しいものになっており・・・今日ではもはや相手に正しさと真理を説得することではなくて、多数を獲得しそれによって支配することが問題なのだ」(以上、樋口陽一訳)

こうしたシュミットの分析は、そのまま今日の日本の議会主義のありさまにもあてはまるようである。シュミットは、こうした状況から独裁が生まれるのだと強調したわけだが、日本にもその可能性が無いとは言えない、というより、かなり大きいと言えるのではないか。

ともあれ、以上のような分析を踏まえて、シュミットは何が言いたかったのか。議会主義の危機を云々しながら、それでは議会主義を救うための方策を考えよう、とは言わない。何故なら議会主義はもはや修復がきかない程度に、つまり徹底的に損なわれてしまったからだ、というのがシュミットの見立てである。彼は議会主義にはもはや期待できるものは何もないと考えているわけである。

では、独裁は不可避だとして、それを受け入れようと考えているのか、というとそう簡単ではないようだ。シュミットは、少なくともボリシェヴィズムには強い拒否感をもっている。イタリアのファシズムにも良い感情はもっていないようだ。この文章を書いた時点では、ヒトラーの勢力はまだ表に出ていなかったから、ナチズムは考慮のほかだろう。そうすると、この論文を書いた時点でシュミットが独裁に好意的だったと推測する根拠はあまりないようである。

しかし、独裁は大衆民主主義が最後に行き着く先だというふうに考えつつ、しかも独裁を避けたいと思うなら、残された選択肢は、民主主義そのものを破壊することしかない。民主主義が無くなれば、独裁への強い傾向もなくなるわけだから、これは理屈としては、ありえない話ではない。

この論文を書いた時点では、シュミットはそんなことを言ってはいないし、またそういう気配もあまり感じられない。しかし、大衆民主主義という形をとった民主主義については強い危機感を持っている。

その危機感はどこから来ているのか。それは恐らく当時のドイツの政治状況に対するシュミットの強い違和感から来ているのだろうと思う。当時のドイツはワイマール憲法のもとで、民主主義の建前が強く叫ばれていた。ところが国家としてのドイツは、第一次大戦の敗戦国として、惨め極まる状況にあった。そうした状況を、ドイツの民主主義は救うことが出来ない。このような意識が強く働いたからこそシュミットは、民主主義への強い違和感を表明したのだと思われるのだが、とりあえずはそこまでで、それを越えて、民主主義に代わるものを提出するところまではまだいたっていなかった、というのが正直なところかもしれない。




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