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カール・シュミットのルソー批判


ルソーの社会契約論における全体主義的傾向を指摘する議論は結構根強く行われているが、カール・シュミットはそうした議論の先駆者といってよい。彼のルソー批判は、全体主義を批判する議論の中では、いまだに強い論拠として引用され続けている。

カール・シュミットのルソー批判の眼目は、ルソーの一般意思が民主主義における治者と被治者の同一性を前提にしていることを理由にして、それが自由の抑圧と独裁につながりやすい傾向を強調することにある。

社会契約論というものは、ルソーのそれも含めて、互いに利害を異にした人間同士が、ある種の妥協をしながら、最低限一致できるところを土台にして共存しようとする制度を問題にしている。したがってこの議論の根底には、個人の間の相違を認めたうえで、それぞれの自由を保障するためにはどうしたらよいかというような問題意識がある。自由な討論を本質的な要素とする議会制度は、そうした問題意識に応えるものとして構想されたわけである。

ところがルソーの社会契約論が、一般意思を問題にすると、そこでは、個人の間の相違は無視され、国民は本質的には同質であって、全員一致が支配しているという想定が前面に現れてくる。ルソーの『社会契約論』に従えば、「国家にはいかなる党派も、いかなる特殊利益も、いかなる宗教上の違いも、人びとを分裂させる何ものも、財政制度すら、存在してはならない」(「議会主義と現代の大衆民主主義と対立」樋口陽一訳)ということになる。これが全体主義でなくて何なのか、とシュミットは言うわけである。

シュミットはまた、「国家は、『社会契約論』に従えば、その表題と最初の部分の契約的構成にもかかわらず、契約ではなく、本質的には同質性にもとづいている。この同質性から、治者と被治者との民主主義的な同一性が生ずるのである」と言って、ルソーの民主主義が全体主義への傾向を本質的に含んでいると主張するのである。

これに対して議会主義は、個人の自由と個人の間の相違を前提としている。だからそれは自由主義の原理にもとづいているのだとシュミットは言う。ロック以降の近代の社会契約的な政治理論にあっては、議会主義が民主主義と関連付けて論じられてきたが、議会主義と民主主義とは本来違う原理にもとづいている。議会主義は自由主義の原理にもとづいているのであり、民主主義は治者と被治者の同一性の原理にもとづいているのだ。それゆえ「この両者、自由主義と民主主義とが、たがいに区別されなければならず、そうすることによって、現代の大衆民主主義をつくりあげている異質の混成物が、認識されることになる」(同上)というわけである。

こういうわけであるから、民主主義においては、国権の行き過ぎを制限する担保が欠けている。治者と被治者とが同一化されれば、治者の暴走をとめるものはいない。そういう場面では国権は限りなく暴走する可能性がある。これに対して、治者と被治者との相違を前提した貴族主義的な政治には、治者の暴走をチェックする機能が含まれている。このことに関してシュミットは、プーフェンドルフの見解を引用しながら、民主主義のあやうさについて強調してみせるのである。

「命令するものと服従するものが同一である民主主義においては、主権者、すなわちすべての市民からなる集会は法律と憲法を任意に変えることができるが、『命令者がいるところには別の被命令者がいる』君主主義および貴族主義においてこそ、相互的な契約、したがって国権の制限が可能なのだ、というのがプーフェンドルフの見解である」(同上)

民主主義に対するシュミットのこのような懐疑は、大衆への侮蔑の感情から発しているのだろうと思う。シュミットが「議会主義と現代の大衆民主主義との対立」のなかでこうした議論を展開したのは、ドイツがワイマール憲法下で未曾有の政治的混乱(シュミットにはそう見えた)に陥っていたときである。シュミットはそうした混乱が、民主主義によってもたらされたのだと考え、そこから民主主義への厳しい批判をするようになったのだろう。つまり彼は同時代のドイツの民主主義を、あの伝統的な定式化である「衆愚政治」の典型として捉えたわけであろう。

シュミットは民主主義を批判する一方で、それを正すために、自由主義の長点を活用しようとは言っていない。民主主義に自由主義の長点を組み合わせれば、民主主義のいいところばかりが発揮されるだろうとする見方が、近代の政治理論の強い傾向として見られたわけだが、シュミットはそうしたものに幻想を抱いていない。民主主義と自由主義とは本来別物なのだから、その両者を無理に結びつけるのではなく、切離して考えるべきだ、というのがシュミットの立場であるように思える。

要するにシュミットによれば、民主主義には明るい未来はないということになるらしい。




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