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カール・シュミットの戒厳状態論


カール・シュミットは「独裁」の最終章を「既成法治国家的秩序内における独裁」と題して、戒厳状態に関するかなり詳しい議論を展開している。章題から伺われるようにシュミットは、戒厳状態を独裁と密接に結びつけて考察する。それはここで分析されている戒厳状態が、近代的な意味での権力の分立を廃止し、権力の一元化をもたらすとの認識から来る。シュミットが独裁を国家の危急(例外)事態における主権者の振舞と明確に規定するのは「政治神学」においてであるが、この著作においては、戒厳状態がなぜ独裁を要請するようになるのか、そのメカニズムを考究することで、独裁と主権とをつなげる道筋を明らかにしようとしたのだと思う。

シュミットは危急事態における独裁の事例としてフランス革命を取り上げる。フランス革命以前の独裁は、ローマの独裁概念を受け継いでおり、基本的には委任独裁であった。それには権力を委任する主権者が独裁者のほかにいて、独裁の内容も限定されたものであった。権限も限定されていた場合が多く、期間もまた限定されていた。委任された目的が成就すれば、独裁は速やかに解消されるべきものだったのである。これに対してフランス革命で実践された独裁は、ヨーロッパ諸国の歴史上はじめての本格的な主権独裁だった。独裁は、主権者以外に委任されるものではなく、主権者自らが行使する、その期限も基本的には無限定だ。こうしたフランス革命期の独裁を考察することで、現代的な意味での独裁概念が明確化する、そうシュミットは考えたわけであろう。

シュミットが現代的独裁の基本的な特徴としてあげるのは、次の諸点である。まず、主権独裁であること。委任するものと委任を受けるものとが分裂していない。主権者自らが独裁を行使する。この場合、主権者は国民全体である場合もあり、また君主のようなものである場合もある。大事なことは,主権者自らが独裁の主体となることである。

次に、独裁発動の条件は、いわゆる危急(例外)事態の発生である。これは対外的な戦争の危機という形をとることもあり、また国内的に深刻な内乱の危機が迫っているという場合もある。シュミットは、フランスでの独裁発動の歴史を分析した結果、現代社会での戒厳令の発令=独裁の成立は、基本的には内乱への対応という色彩を強くもっていたとする。1832年及び1848年に発動された戒厳令は、プロレタリアートの武力的な反抗を力ずくで押さえ込もうとしたブルジョワジーの動きだったと位置づけている。

また、独裁の効果としては、憲法の停止と、そのコロラリーとしての無法状態の現出があげられる。憲法はここでは法治国家の枠組として観念されている。権力の暴走を防ぐ為の立憲主義的な規定、国家の暴力から個人の権利を守るための基本的人権尊重の規定、こうしたものが無力化される。主権者は、自らの目的を遂行する為なら、いかなることでも許される、というシニカルな見方が支配する。というのも、「『戒厳令』の本来的な核心は、危急事例において露呈する。すなわち法的顧慮から解放され、しかも国家目的に奉仕する行動なのである。この行動は、法形式にはなじまないものである」(「独裁」田中、原田訳)。

最後に独裁を実質的に遂行する主体。これは形式的には主権者ということになるが、実質的には軍隊である。主権者はその意思を、軍隊を通じて実現する。独裁体制の下では、軍が執行機関であって、しかも無法状態の下で、自らの意思にもとづいて何でも決定する権能を持っている。軍が、執行機関と立法機関を兼ねるばかりではなく、司法機関をも兼ねる。独裁体制のもとでは、軍が万能となる。もっとも軍はあくまでも、主権者の手足として働くに過ぎないのではあるが。それにしても独裁において軍が果たす強大な機能に注目したのは、いかにもシュミットらしい。

以上の議論を通じてシュミットが強調したかったのは、現代的な主権独裁の政治的意義についてである。現代は、諸国家が覇権をめぐって対立しあう一方、先進国ではどこでも社会主義勢力の進出に直面している。つまり対外的には戦争の危機が常に存在し、国内的には内乱の危機が高まっている。つまり危急事態が日常化している。そうした時代背景にあっては、独裁の政治的な意義も飛躍的に固まっている。我々に必要なのは、自由主義的なおしゃべりにうつつを抜かすことではなく、危急事態を乗り越えて、国家としての存続を揺るぎないものにすることなのだ。そうシュミットは発破をかけるわけである。

シュミットは、こうした問題意識に立って、ワイマール憲法48条が規定する戒厳状態について考察を加える。シュミットによればこの条項は、フランス革命の教訓から出てきたのであり、国家の安定のためには、主権者自らが独裁的な権力を振るわねばならない、という考えに立っている。そういう点では主権独裁の考えを採用しているわけだが、一方では伝統的な委任独裁の考え方も取り入れている。たとえば、この憲法が規定する大統領とは、シュミットがいうような意味での主権者ではない。ワイマール憲法は、主権者は国民全体だとしており、大統領はあくまで国民から委託をうけた国家機関に過ぎない。だから、その大統領の独裁は委任独裁という形をとらねばならない。委任独裁であるから、権限の内容やその行使の方法、委任の期間などは限定されている。だがそれで果たしてドイツの直面している危急事態を克服できるのか、そうシュミットは疑問を提出する。その疑問を解決するには、大統領の独裁をもっと強いものに変える必要がある。そういう方向にシュミットは議論を導いていこうとするように見える。




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