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仲正昌樹「カール・シュミット入門講義」三:政治的なものの概念 |
カール・シュミットが「政治的なものの概念」のなかで展開した「友/敵」論は、彼の政治理論の核心をなすものだが、その評価をめぐっては、プラスとマイナス(肯定と否定)があい別れる。これを否定的に見るものは、シュミットが政治を「友/敵」の枠組に単純化することで、国家の行う戦争や内乱に積極的な意義を認め、その結果ナチスのようなものにも理論的な根拠を付与したと批判するもので、多くの政治学者はこの立場をとっている。シュミットが「ナチスの桂冠学者」といわれるのは、こうした見方が普及したことの一つの効果である。 「友/敵」論の肯定的な評価には二通りあるようだ。一つは消極的評価というべきもので、これはシュミットのこの議論を、彼が置かれていた歴史的な状況と関連付けながら見る。シュミットがこの議論を展開したのは、第一次大戦後の時期であって、ドイツは敗戦国として非常な困難に見舞われていた。その困難の原因は、戦勝国による敗戦国への過剰な抑圧にある。しかも戦勝国はその抑圧を、国際法における正義の概念などを持ち出して正当化しようとしていた。それは欺瞞だ。そうシュミットは考えて、国家間の関係はそもそも存在をかけた「友/敵」の関係だと協調することで、ドイツが国家として生き残る為には、敵(英仏を中心とする戦勝国)との間の存在をかけた戦いに勝利しなければならない。そう主張することがシュミットの「友/敵」論の主な目的だった、とこの見かたは捉えるわけである。 もう一つは積極的な肯定というべきもので、シュミットのこの議論を、国家間の安定的な関係を維持するための基礎的考え方を提供するものだとして、積極的に評価する。仲正自身もこの立場に立っているようである。 シュミットの「友/敵」論は、ヨーロッパにおける国家間関係の歴史的な事情を踏まえている。ヨーロッパ諸国はそれぞれが独立した主権国家として、互いに平等な関係にあった。その平等な国家同士が敵対しあって戦争状態になっても、相手を全面的に抹殺しようとする動機は働かなかった。敵と味方の関係は、たしかに国家の存在をかけたものではあったが、相手を殲滅しようとすれば、自分もまた相手によって殲滅される可能性について恐れねばならなかった。ここから国家間の関係を、殲滅戦にまで至らせない範囲で、規律するルールがおのずと生まれてきた。ヨーロッパ公法といわれるものがそれだ。ヨーロッパ公法は、平等な国家間の関係を、戦争を含めてルール化したもので、そこにはゲームのルールに通じるような、ある種の節度があった。 ところが第一次大戦を経てヨーロッパの国家間関係は劇的に変った。平等な国家同士が「友/敵」に別れて対立するというイメージに代って、普遍的な正義を体現したと自称する国際機関が国家間関係を律しようとするようになった。この新しい枠組のなかでは、普遍的な正義に従わないものは、「無法者」の烙印を押され、いわば犯罪者のように、法の範疇からはずされることになる。そうした無法者については、従来のようなゲーム感覚は通用しない。ただ殲滅の対象になるだけである。 これは地球上に普遍的な正義が打ち立てられた理想状態であるとする見方もあるが、シュミットは、それは欺瞞だという。正義といい、それを体現した国際機関といい、実は世界大戦で勝ち残った国々(戦勝国)の利害を反映したものでしかない。彼らは自分らがこの正義を独占し、それに逆らうものを無法者として殲滅する権利を手に入れたと思い込んでいる。いや思い込んでいる振りをしている。その思い込みを振り回して、ドイツのような敗戦国を自分たちの都合に合わせようとしているだけだ、そうシュミットは批判するわけなのである。 シュミットを積極的に評価する人々は、シュミットのこうしたスタンスに注目する。仲正もその一人のようだ。彼は言う、第一次大戦後成立した不戦条約によって、「戦争禁止を原則として、擬似的な平和状態を作りだし、その"平和"を破るものを犯罪者扱いし、刑法的な意味で制裁を加えることを正当化する体制が出来上がった。その体制が、ヨーロッパの大地の秩序を壊してしまったのです」と。 第一次大戦後にこの普遍的な正義を体現したのは英仏などの戦勝国であったが、第二次大戦後にはアメリカがその地位を受け継いで、いまや世界の警察官としての役割を果たしつつある。こうした事情のもとでは、シュミットの議論は非常な有効性を持っていると、積極的評価論者は主張するわけである。 仲正はシュミットのこうした議論を、いわゆるポストモダンの議論と関連付ける。ポストモダンの連中は、1990年代に入ってアメリカの一極支配を批判する文脈で、アメリカが普遍的正義を振りかざして無法者に対する聖戦を仕掛けると、そうした武装勢力との間で果てしのない戦いへと発展してゆくと主張したわけだが、そうした主張の先駆者としてシュミットが再評価されるようになったと見るわけである。「ポストモダン左派がシュミットを評価するのは、アメリカ中心の国際秩序のように普遍的正義の名の下に、"敵"のない世界を作ろうとすると、"敵"が全面的に異分子化、非人間化され、それに対する闘いが余計に過酷になっていくことを、彼(シュミット)がいち早く見抜いていたからです」というわけである。 仲正はフーコーをポストモダンにくくる一方で、フーコーが権力によって普遍的な価値が占有されてゆくプロセスを論じたのは、シュミットが一国家による普遍的正義の占有を論じたこととパラレルだというような言い方をしている。そうすることで、シュミットをフーコーの先駆者のように位置づけているのだが、フーコーがシュミットを参照したという証拠はあるのだろうか。フーコーの議論はマルクスのイデオロギー論を踏まえているのであって、そこには社会についてのシュミットとは根本的に異なった見方が反映しているのではないか。 この本のなかで仲正は面白いことを言っている。「シュミットのように、『政治的単位』がある限り、『友/敵』関係は実在するという議論に対しては、だったら、世界全体を包摂するような国家を作ればいいではないか、それが絶対不可能とは言えないだろう、という反論がでてきそうですね」といっている部分だ。なかなか面白い着眼点と思うのだが、仲正は問題提起にとどめ、議論を進めることをしていない。 なお、ヨーロッパ公法の政治的意義の後退という点については、さまざまな見方がある。シュミットのように、それを国家間関係を律する現実的な前提として復活させたいと考える立場もあれば、ヨーロッパ公法は意義を失ったのだから、それにまつわる様々な歴史的な概念、たとえば交戦権とか、捕虜の待遇とか、あるいは戦争犯罪とかいうものについて、抽象的な議論をしても始まらないといった冷めた見方もある。 |
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