知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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オクラホマの野外劇場:カフカ「アメリカ」


カフカの小説「アメリカ」の最終章である第八章は「オクラホマの野外劇場」と題されている。その題名にある「オクラホマの野外劇場」に就職しようとするカール・ロスマンを、この章は描いているわけだが、一読してすぐわかるように、小説のこれ以前の部分と大きく断絶している。ほとんどつながりがない。オリエンタル・ホテルのエレベータ・ボーイ仲間がちょっと出てくるだけだ。それも、あってもなくても違いがないような、ぞんざいな扱い方だ。それゆえ読者はこの部分を、独立した短編小説として読んでも、なんらの不都合を覚えないだろう。短編小説としてなら、それなりにまとまった筋書きになっている。

カール・ロスマンが、前後の脈絡もなく登場して、求人ビラを見ることから話は始まる。そのビラは、ある街角に貼られていて、クレイトン競馬場において、オクラホマの劇場つき座員を採用するから、芸術家志望のものは、本日の真夜中までに申し込みたまえ、と書かれていた。そこには肝心な報酬についての記載がなかったのだが、それゆえ胡散臭いものがないわけではなかったのだが、カールは激しい誘惑を感じた。そこでなけなしの金をはたいて列車に乗り、クレイトンの競馬場までやってくるのである。

競馬場の入口の前には長い舞台がしつらえてあって、そこに置かれた台座の上に大勢の女たちが奇妙な姿で立って、ラッパを吹いていた。どうやら景気づけのようである。カールがそこへ近づいてゆくと、「カール」と呼びかける声が聞こえた。「天使が呼んでいるのだ。カールは上を見上げた。そして、びっくりはしたものの、嬉しさのあまり思わず笑い出した。ファニーだったのだ」(中井正文訳、以下同じ)

このファニーがどういう素性の女なのか、小説は何も触れない。いきなり出てきて、いつのまにか消えてしまう。彼女がこの長編小説の中で出てくるのは、ここ限りなのだが、カールが「嬉しさのあまり思わず笑い出した」ほど親しみを感じる人なのに、カールが何故そんな親しみを感じているのか、小説はなにも語らないのである。実に意外なことだ。

ファニーが吹いていたラッパで、自分でも「どこかの酒場でいつか聞いたことのある、歌のメロディを、胸いっぱいに息を吸い込んで吹いた」あと、カールはファニーに、僕でも就職できるかどうか聞いてみる。するとファニーは、「もちろんよ、まちがいっこなしだわ」と保証してくれる。その言葉に励まされて、カールは採用受付のあるところへ進んでゆくのだ。

受付にはすでに大勢の志願者がつめかけていた。人事主任がいて、その志願者たちを、各窓口に振り分けている。募集する職種はいくつもあって、それごとに専用の窓口が用意されているのだ。その窓口というのが、競馬場らしく、馬券売り場を転用したものだった。カールがまず案内されたのは、技師の窓口だった。そこでカールは身分証明書の提示を求められるが、正直に持っていないと答える。それでも、係員は問題とせずに手続を進めてくれる。ただ、カールが身分証明書不所持であることを、書類に記載することは忘れない。おそらく官僚体質の現われなのだろう。

技師はカールがかつてなりたいと思った職業だが、いまはまだなっていないので、技能者関係の窓口にまわされる。そこでかつて中学に在学していたことがあると申告すると、すぐさま中学卒業者のための窓口へまわされる。ところが同じ中学でもヨーロッパの中学だというと、こんどはヨーロッパの中学卒業者のための窓口に回される、といった具合で、窓口をたらいまわしされた挙句、カールは採用されることになる。それも、正規の手続を踏んだ上でのことではなく、書記がつい口をすべらした結果といったような具合なのだ。

いずれにせよ採用が決まったカールは、本名を言うように求められるが、なぜか偽名を使う。その偽名というのが、ニーグローというものだった。その名前を書記たちは不可思議に思ったが、その名前で採用決定を出してくれ、採用責任者である支配人に引き合せてくれた。支配人はどういうわけか、審判官席というものに座っている。その支配人の前でカールは、色々と質問に答える。その質問には、「君は失業していたのですね?」というのもあったが、カールはあっさり一言のもとに、「そうです」と答えただけだった。しかし、最後に勤めていたところについて聞かれると、カールは答えたくない気持になった。どうやら不快な記憶がまといついているらしいのだが、それが前の章のできごととどんな関係があるのか、小説からは何も伝わってこない。ただ、読者としては、直前のカールが、あの二人者の与太者に苦しめられていたことを知っているから、そのことと何らかのつながりがあるのではないかと推測するばかりである。

ここでカールは、ヨーロッパの中学校でのことを聞かれ、自分は技師になりたいと思って勉強をしていたと言ったところ、支配人はカールの職種を技術労務者に決定した。カール自身は俳優として採用されたつもりでいたのだったが、それは自分の思い込みだったわけだ。カールは、「ニーグロー、技術労務者」と書かれた掲示板を見て、そのことを認識するのである。

採用手続きが終わった人々は、競馬場の観覧席の一角に案内され、そこでご馳走の饗応を受けた。その席でカールは、オリエンタル・ホテルでエレベータ・ボーイ仲間だったジャコモと出会う。ジャコモを見たカールは、やさしくしてくれたコック長やテレーゼのことを思い出す。コック長は、ジャコモを評して、もう半年もしたら、骨組みのたくましい一人前のアメリカ人になるに違いないと予言したのだったが、目の前のジャコモはあいかわらずやせこけている。しかしどんな人間にせよ、オクラホマの野外劇場には使い道があるのだ。

ごちそうを貪り食っている人々を前に、人事主任が挨拶する。「さて、諸君は、われわれの歓迎の宴会に満足して下さったことを私は期待しております」と。それについてカールは思う。「それにしても、なんという貧乏くさい、怪しげな連中ばかりがここへ集まって来たことだろう。しかも、こんなふうに歓待され、保証されているのだ」と。

ご馳走を食い終わると、採用された人々は、オクラホマに向かう列車に乗せられる。そして、「二日と、二晩、列車は走り続けた。いまやっとカールにも、アメリカの広大さがわかってきた」というわけである。

この「アメリカ」と題する長編小説が、基本的には少年のイニシエーションの物語だと繰り返し言ってきたが、そのイニシエーションのとりあえずの到達点が、未知の国で世界の大きさを思い知ったということだったわけだ。小説の最後の段落は、その未知の世界を、カールを乗せて走り続ける列車の描写で終わっている。いわく、

「最初の日、列車は高い山脈のあいだを縫って走り続けた・・・川幅の広い渓流があらわれた。高低のはげしい川床の上を急速に流れるとき、大きな波をたて、幾千の泡だつ波にくだけ散りながら、列車がその上を走っている鉄橋の下へおどりかかってきた。あまりに間近だったので、それらの冷たいいぶきが顔にかかって、ふるえあがらせるほどだった」




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