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レールモントフを読む


レールモントフは、プーシキンの崇拝者として文学的な人生をスタートさせた。そのプーシキンが37歳の若さで、決闘で死んだとき、かれはすぐさまプーシキンの死を悼む詩を書き、プーシキンを死においやったロシア社会の野蛮さを告発した。その時のかれはまだ22歳だった。彼自身、プーシキン以上に長く生きることはなかった。かれもやはり決闘で死ぬのだ。わずか26年間生きたに過ぎなかった。

プーシキンを敬愛したレールモントフだが、その作風には微妙な違いがある。プーシキンの作品は、ロシア社会への批判がある一方、ロシアの未来について楽観的なことろがあった。ところが、レールモントフにはそうした楽観性は感じられない。かれの作品には、ロシア社会に対する絶望的な悲観が感じられる。それは二人が生きた時代の相違に根ざしていると考えられる。プーシキンは、同時代の社会改良運動家であるデカブリストたちとの間に強い精神的な絆をもっていた。その絆がかれを、ロシア社会に向かって開放的な姿勢をとらせた。一方、レールモントフのほうは、プーシキンとはわずか15歳しか離れていないのに、その生きた時代はプーシキンの時代とは様変わりしていた。デカブリストは弾圧され、ツァーリ権力はますます抑圧的になり、社会には重苦しい雰囲気が垂れこめていた。その重苦しい雰囲気の中で、レールモントフは窒息しかけつつも、批判の言葉を吐かずにはいられなかった。その言葉は、権力の圧力を意識すれば、公然たるものにはなれず、斜に構えた皮肉な調子を帯びざるを得なかった。

レールモントフの文業は、抒情詩と若干の短編小説のほか、「現代の英雄」と題した長編小説一編があるのみである。詩は、プーシキンの死を悼んだもののほかに、同時代の社会的な雰囲気を否定的に歌ったものが多い。だが、プーシキンンと比べると、社会批判の姿勢はストレートには現れていない。抑制されたタッチで、斜めから社会の腐敗を指摘するといったものが多い。短編小説は、いすれも習作的なもので、かれの才能が十分に盛り込まれてるとはいいがたい。

レールモントフはやはり「現代の英雄」の作者として記憶され続けるだろうと思う。これは、同時代に生きるロシア人青年の一つの典型をテーマにしたものだが、その青年は、多面的な性格を感じさせる一方、正義とか名誉とかいったものにはあまり関心を払わない。それでいて、社会の大勢に流されることなく、自由気ままに生きている。そういう人間像は、専制権力が猛威を振るった19世紀前半のロシア社会では、ある意味、もっとも時代適合的なものだったかもしれない。時代の環境に埋没せず、しかも己の矜持に反しない生き方をしようとすれば、勢い、「現代の英雄」であるペチョーリンのような生き方を選ぶほかはない。そういう意味では、ペチョーリンは、レールモントフの生きた時代における、もっとも英雄的な生き方をしたと言えなくもない。レールモントフがペチョーリンを「現代の英雄」と呼んだ所以であろう。

レールモントフは、26歳の若さで死んだこともあって、その文業は未熟さを感じさせもするが、なぜか不思議に人を鼓舞するところもある。それは、一つには若さの勢いのあらわれであり、もう一つには、人間を社会との関連において捉えようとする姿勢に基づくといえる。


レールモントフ「現代の英雄」を読む

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