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ボリス・ゴドゥノフ:プーシキンの王権劇


「ボリス・ゴドゥノフ」は、詩人として出発したプーシキンにとって、散文による最初の本格的文芸作品である。これをプーシキンは、戯曲の形に仕上げた。プーシキンは若い頃からシェイクスピアの戯曲を愛読しており、この作品にはシェイクスピアの影響があると思われる。若い頃からといったが、この戯曲を書き上げた時、プーシキンはまだ二十六歳であった。

ボリス・ゴドゥノフは、ロシアの歴史上実在した人物である。リューリック王朝が滅びた後、自分が王位につき、また息子のフョードルにその王位をつなげたが、息子は反乱者によって殺され、彼の始めた王朝はわずか二代で絶えた。彼自身王位についたのは、陰謀によって簒奪したからだと噂された。唯一の正当な王位継承者である王弟ドミトリーが不審な死に方をしたのであったが、それは実はボリス・ゴドゥノフの仕業だと多くの人々が信じたのである。そこで、ボリス・ゴドゥノフが王位に就くと、ドミトリーを名乗る人物が現れて、王位の奪還を狙う。これを偽ドミトリーというのであるが、この男もまた、速やかに失脚する。その後、ロシアの王位は安定せず、さまざまな人物が王位をめぐって争うようになる。これをロシア史では大空位時代といっているそうだ。その空位時代は、ミハイル・ロマノフが皇帝となりロマノフ王朝を開いた1613年まで続く。ボリス・ゴドゥノフが王位に就いたのは1598年であったから、空位時代は15年間続いたわけである。

プーシキンがこの戯曲で描いたのは、偽ドミトリーがボリス・ゴドゥノフに挑む様子であって、ボリス・ゴドゥノフ自身はわき役になっている。そのボリス・ゴドゥノフをプーシキンは、リチャード三世のような悪党としては描いていない。シェイクスピアの王権劇では、リチャード三世を始め、欲望をむき出しにした悪人が登場するのであるが、プーシキンの王権劇にはそうした悪党は基本的には出てこない。まるで、ロシア人には悪党はいないといわんばかりである。

一方、この戯曲の表向きの主役である偽ドミトリーは、なかば道化のような存在として描かれている。修道士上がりでありながら、権力をあざわらうばかりか、自分自身がその権力を握ろうなどと考えるのは、道化以外にありえない。その道化が中心になっているわけだから、この戯曲はかなり異様で変則的な構成だといえる。

偽ドミトリーの道化ぶりは、とくに二つの事象に強く現れている。一つは、ロシアの皇帝を倒すために、ポーランド人をそそのかして、けしかけるところだ。外国人の力をかりて、その国の権力を掌握しようというのは、普通の人間に思い浮かぶことではない。しかもこの偽ドミトリーは言葉巧みに外国人を扇動し、強大なロシア軍と互角に戦ったうえ、ついには打ち破る。それをこの偽ドミトリーは、自分自身の舌一枚で成就するのである。道化ならではできないわざである。

もう一つは、偽ドミトリーは女に目がないことである。シェイクスピアの道化たちも、女には眼がなかったが、その女たちに騙されるようなお人好しな面もあった。ところがこの偽ドミトリーは、ボリス・ゴドゥノフの娘を凌辱し、一定の満足を味わうと、無慈悲に殺してしまう。つまりこの道化は、悪党でもあるのだ。そんなわけで、プーシキンの描いた王権劇は、図らずもプーチンの思惑を超えて、悪党が跋扈する世界に化しているのである。

なお、ムソルグスキーの有名なオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」は、プーシキンの原作から、いくつかの迫力あるシーンを抜萃して曲をつけたものである。それには、偽ドミトリーとマリーナとのやり取りを描いた部分もある。この部分は、全体の進行上なくてもさしさわりのないものなのだが、道化とやりて女の知恵比べがモチーフとなっており、偽ドミトリーの道化ぶりを理解するうえではそれなりに意義がある。




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