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疫病時の酒宴:プーシキンの短編小説


プーシキンの小編「疫病時の酒宴」は、1830年に書かれた「ベールキン物語」とほぼ同時に書かれたものである。その年の9月、プーシキンはボルヂノ村で「エヴゲーニイ・オネーギン」の最終章と、「ベールキン物語」の一部を書き、村を離れようとしたところ、折からコレラが流行していたため、交通が遮断され村に閉じ込められてしまった。そこでかれは、「ベールキン物語」の続きを書くとともに、この「疫病時の酒宴」を書いたのだった。

一幕ものの短い劇であり、テーマは疫病である。プーシキンは自分自身で経験したコレラ騒ぎの惨状をこの劇のテーマとしたのだと思われるが、劇の中では、コレラではなく、ペストが人々を襲ったというふうに変えてある。ロシア人にとって疫病といえば、ペストが代名詞のようなものだった。コレラは、19世紀になって始めてヨーロッパに蔓延し、1830年前後には第二次流行といわれる世界的な感染拡大を示したのだが、ペストと比べると、その規模は劣り、パンデミックとまではいかなかった。それでも深刻な病状は人々の恐怖心を掻き立てた。この劇はそうした人々の恐怖心を、ペストに託して表現したものである。

街路に設営された食卓を囲んで数人の男女が酒宴を催している。世話人、青年、メリー、ルイザである。青年が、ペストが才気ある人を連れ去ったといって嘆くと、世話人がメリーに鎮魂の歌を歌うように促す。メリーは、悲しい調べにのせて、鎮魂の歌を歌う(以下、引用部分は佐々木彰訳)。
  何もかも静かである
  ただ墓地だけがにぎわっている
  たえず死人が運ばれてきて
  生き残った人々のうめき声が
  死者の魂をしずめてくれるよう
  おずおずと神に祈りをささげる

するとルイザが失神する。正気に返った彼女は、亡霊たちの乗った馬車を見たという。それを聞いた青年は、「あの黒い馬車はいたるところ乗り回す権利があるのだ。通さないわけにはいかないだろう」と言っていよいよ嘆息する。世話人は、ペストに捧げる頌歌を歌おうと提案する。その提案を受けて、大勢の人々が現れる。「ペストに捧げる頌歌だって! 聞こうとも! ペストにささげる頌歌だって! すてきだ! ブラボー! ブラボー!」と口々に叫びながら。

  世話人がペストに捧げる頌歌を歌う。
  かくて 汝、ペストはほむべきなか!
  われらには墓場の闇もおそろしからず
  汝の呼びかけもわれらをあわてさせない
  いざ一斉に 酒杯を泡立たせ
  薔薇の少女の息吹を飲もう
  ペストに満ちているやもしれぬ 酒杯を

そこに牧師が現れて、かれらを非難する。「神を恐れぬ酒宴じゃ、神を恐れぬ馬鹿者ども! お前たちは酒盛りと堕落の歌で、死によっていたるところにひろまった、暗黒の静寂をあざわらっている」と叫びながら。

それにたいして世話人が、シニカルな口調で答える。「わたしを救ってくれようというお骨折りのほどはよくわかりますが、さあ、お帰りください。だが、あんたについていくものは、呪われるがいい」

じつは、この世話人は、妻をペストに奪われたばかりなのであった。妻をペストに奪われままにしたのは神なのだから、その神に何をもとめようというのだ、とこの世話人は言いたいようなのだ。

というわけでこの小編は、疫病に見舞われてなすすべもないロシアの人々の、絶望的な気持ちをテーマにしていると思える。その絶望のいくらかの部分をプーシキンも共有しているようである。

ともあれこの小編は、プーシキン自身の体験を踏まえて書かれている。プーシキンはその体験を、単に自分自身のこととしてではなく、ロシア人として受け止め、疫病に対するロシア人の対処のしかたの民族的な特徴というべきものを、書きたかったのではないか。プーシキンのロシア的なるものへの関心は、末尾の付録に引用された次のような言葉にもうかがわれる。

「古い歌謡や民話などを研究することはロシア語の諸特質を完全にするために必要である」




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