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青銅の騎士:プーシキンの叙事詩


プーシキンの叙事詩「青銅の騎士」は、1824年にサンクト・ペテルブルグを襲った洪水をテーマにしている。その洪水が起きたのには理由がある。それはネヴァ川の湿地帯に無理やり都市を作り、自然の摂理を無視したために、自然から、ということは神の意志によって、しっぺがえしを受けたということである。プーシキンは、一方ではピョートル大帝による都市建設の偉業をたたえながら、自然の摂理を無視したその傲慢さを批判するのである。それゆえこの叙事詩は、ロシアの専制権力への厳しい批判という面をもっている。

三部構成になっており、序章ではピョートル大帝によるペテルブルグ建設の意義について歌われ、第一部ではペテルブルグを襲った洪水の恐ろしさが歌われ、第二部で洪水が引いた後の都市の再建の様子が歌われる。全体を通じて、エヴゲーニイという名の主人公の目に寄り添う形で展開していく。

ペテルブルグが建設されたネヴァ川の河口のあたりは、かつてフィン人が暮らしていたところだ。その経緯は次のように歌われる。「かつては、フィンの漁夫が、自然の哀れな継子が、独り、低地の岸辺で、底知れぬ水に、己が古びた網を投げかけていた処、今や、そこには、活気づいた両岸には、宮殿や、また高塔の、姿よい巨大な建物が櫛比し、船舶が群れなして、あらゆる地の果てから、この豊かな埠頭をめざして来る」(谷耕平訳)

かくて建設されたペテルブルグの街を、プーシキンはたたえる。その部分は、ロシア人たちによって今も、ロシアの偉大さを象徴するものとしてうたわれているという。原文は次のとおりである。
  Люблю тебя, Петра творенье,
  Люблю твой строгий, стройный вид,
  Невы державное теченье,
  Береговой её гранит,
  Твоих оград узор чугунный,
  Твоих задумчивых ночей
  Прозрачный сумрак, блеск безлунный,
  ・・・
  Люблю зимы твоей жестокой
  Недвижный воздух и мороз,

この部分は、谷耕平訳では次のようになっている。「汝を愛す、ピョートルの作れるものよ、汝のおごそかにも姿のよい眺めを、ネヴァの威力ある流れを、その岸のみかげ石を、汝の柵の鋳鉄の唐草模様を、汝のものおもわしげな夜の、透明な闇、月なき夜の輝きを・・・わたしは愛す、汝のきびしい冬を、さゆらぎもしない大気と極寒を」

そのペテルブルグの街を洪水が襲う。「ペテルブルグの都は、トリトーンのごとく、腰までつかった水の上に浮かんだ」。町の中心にあるピョートル広場は湖と化し、その真ん中に青銅の騎士の像が浮かび上がる。ピョートル大帝の像だ。この像はいまでも、サンクト・ペテルブルグの中心部デカブリスト広場に立っている。前足をあげた馬の背にまたがった姿で。

洪水が引いた後、町の復興がはじまるが、ひとりエヴゲーニイだけは、受けた打撃から立ち上がれない。家は流され、許嫁のバラーシャは死んだ。その打撃があまりにも大きかったからだ。打撃にうちのめされたエヴゲーニイは、狂気にさいなまれる。かれは狂気のなかでも、この町を無理に作ったピョートル大帝への憎しみがわくのを感じる。<よし、驚くべき建設者よ!~憎しみにふるえて彼はつぶやく~今に見ろ!> こういうことでかれは、ピョートル大帝への復讐を誓っているようである。

ピョートル大帝は、ロシアにとって民族の英雄だから、それを非難することは許されない。そんなわけでこの叙事詩は、プーシキンの在世中は発表されることがなかった。

ともあれ叙事詩一編は、次のような悲しい結末で締めくくられる。「この春のこと、この小屋を、平底の荷船が積んではこび去った。その小屋は空っぽで、こわれはてていた。しきいのそばに、わが狂人が見つかった。彼の、冷たい骸はその場に、情をこめて葬られた」




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