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プーシキン「大尉の娘」:プガチョフの乱を描く


「大尉の娘」は、プーシキンにとって最初で最後の本格的な小説である。この小説をプーシキンは37歳の年の秋に書き上げたのだったが、その三か月後に決闘を挑まれて殺されたのであった。決闘の原因は、プーシキンがある男の養父を侮辱したことだったが、その背後には、プーシキンの妻をめぐるその男との三角関係があったといわれる。プーシキンは、妻を寝取られまいとして、体をはって戦ったということだろう。

分量は、日本語の翻訳で、原稿用紙160枚程度であるから、長編小説とまではいえない。いまなら中編小説に分類されるだろう。プーシキンはもともと詩人として出発し、その傍ら戯曲を書いたりして、散文作品は、数編の短編小説を書いた程度だった。もしかれが長生きしていたら、本格的な長編小説に手をだしたかもしれない。

この小説のテーマは、プガチョフの乱である。農民戦争ともいわれるこの乱は、1773から1775年にかけて、ウラル地方南部を舞台に起こった。農奴制のくびきにあえぐ農民たちが、プガチョフを指導者にいただいて起こした大規模な反乱である。当初は、専制権力をおびやかすかに見えたが、ツァーリの軍隊によって粉砕され、指導者のプガチョフは八つ裂きの刑に処せられた。そのプガチョフを中心とした反乱を、ツァーリの軍人の目から見たという体裁をとっている。

プーシキンがこの小説を書いたのは1836年のことで、プガチョフの乱が鎮圧されてから六十年くらいしかたっていなかった。だから、遠い過去の歴史的な事件としてよりは、身近な出来事という受け止められ方をされていたようである。農民たちにとっては、現在の状態はプガチョフの時代とそう変わっていなかったから、プガチョフの行動は自分たちの利害を代表したものだと思われたことだろうし、ツァーリの権力にとっては、絶対に許せない暴挙だった。それゆえこの乱を肯定的に評価したり、ツァーリの圧政を批判したりすることは厳禁だった。プーシキンはそうした事情を考慮して、官憲の検閲を免れるための工夫をいろいろとしている。

その工夫の最たるものは、語り手を地主階級出身のツァーリの軍隊の士官としていることである。つまり権力の側からの視点で、事件を見るという形をとっている。それでいて、この語り手の士官は、ちょっとした偶然からプガチョフその人と個人的に親しい関係にあるものとして描かれている。そういうわけだから、基本的には農民たちの暴動に強い嫌悪を覚えながらも、プガチョフその人には親愛の情を示している。そうすることで、プガチョフの乱を全面的に否定するのではないというメッセージを発している。悪いのはプガチョフではなく、プガチョフの威光を利用して、私利を追求しているやからなのだと言っている。そういうことで、プガチョフの乱をある程度評価してもいるのである。ただその評価が、官憲の怒りをかきたてないように、微妙な表現をとっている。

そのプガチョフの乱のテーマに、語り手自身の恋物語を絡ませている。語り手は、タイトルにある「大尉の娘」と深い恋に陥るのだ。語り手が派遣された辺境の要塞を、ある大尉が司令官として守備していたのであるが、その一人娘に語り手は恋をする。プガチョフの乱にまきこまれて、大尉とその妻は殺される。娘は身分を偽ってなんとか生き延びる。その娘と語り手とが、いろいろ工夫をして乱を切り抜け、乱が終わったあとで無事結ばれることを匂わせるところで小説は終わるのだ。

語り手は十代の若者として小説に登場する。登場したての頃は、向こう見ずで、人をはらはらさせることばかりしでかすのであるが、向こう見ずな性分が幸いし好ましい人間関係を築いたりする。その人間関係の一つとしてプガチョフとの出会いもあるのだ。始めてあったときのプガチョフは、ただの農夫のように見えたが、反乱の指導者となってからは、思慮深い人間となっていた。プガチョフの公式のイメージは、無情な殺し屋といったものだったから、それを思慮深い人間として描くことは、プーシキンにはちょっとした冒険だっただろう。

とはいえ、この戦争を見る語り手の視点は、当時の貴族層の常識にたったものだ。貴族の特権は神の意志によるものであり、おかすべからざる権利である。農奴が地主のために働くのは、これもまた神の思し召しであり、それを不満に思うことは、神をおそれぬ態度である。そういった偏見を、語り手は体現している。だから、語り手の目から見た反乱は、基本的に地上の秩序を破壊するものだということになる。それがこの小説の限界だとする見方もあるが、プーシキンなりの韜晦ぶりの現れだとする見方もある。当時のロシアの状況を踏まえれば、プガチョフの乱を肯定的に描くのはご法度であった。だから、貴族の視点から事件を見るといったややこしい工夫を介さなければ、事件を批判的に描くことはできない。そうした計算があって、プーシキンはこのような書き方をしたのであって、なにも作者が語り手と同化しているわけではないのである。

語り手に思うように語らせているという体裁からしても、この小説の描写ぶりはかなりのびのびとした印象を与える。詩情を含んだ散文のお手本といえるであろう。




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