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プーシキンンの抒情詩


プーシキンは非常に早熟で、少年時代から詩を書き始めた。現在残されている彼の詩のもっとも古いものは1814年、15歳の年のものである。かれは1836年の1月に決闘で死ぬのだが、その直前まで詩を作りつづけた。かれはいまや、ロシア最初の偉大な叙情詩人と呼ばれている。

外国の大詩人と呼ばれる人たちが、主に男女の恋愛をモチーフにしていたのに対して、プーシキンの詩は、ロシア社会の野蛮さへの反発をうたったものが多い。プーシキンの青年時代は、デカブリストの乱にみられるように、正義感にあふれた青年達には生きづらい社会であった。青年といっても、ロシア社会にとって問題となるのは、主として裕福な貴族層の子弟たちである。かれらは、ロシア社会の変革をめざして様々な運動を担った。デカブリストの乱はその最たるものであり、その運動を担った青年たちはデカブリストと呼ばれた。

プーチンは、デカブリストとの間に精神的なつながりを感じていた。彼自身、貴族的な地主層の出身という点では、多くのデカブリストたちと共通の基盤をもっていた。だから、デカブリストが弾圧され、迫害されるたびに、プーシキンは義憤を感じた。


プーシキンの代表的な詩には、デカブリストへの共感をうたったものが多い。無論、ほかの分野にも優れた詩はあるが、ここではもっともプーシキンらしい詩として、デカブリストへの共感を歌った詩をとりあげてみたい。それらはみな、プーシキンなりの抒情詩と呼ぶことができる。

まず、「チャダーエフへ」と題した一編。チャダーエフは初期のデカブリストの一人で、プーシキンとは、年齢が近いこともあって親しくしていた。1820年のセミョーノフスキー連隊反乱事件に連座したらしく、おそらくそれがもとで一時ヨーロッパに逃避していた。この詩は、逃避中のチャダーエフを励まそうとして書かれたようである。デカブリストを中心に熱血的な青年たちに評価され、手書きのものが回しよみされたという。

  愛や 望みや しずかな栄光の
  偽りは長くはわれらを慰めなかった
  夢のように 朝の狭霧のように
  消え果てた青春のよろこびよ
  けれどなお われらの胸には望みがもえる
  いらだつ思いをいだきながら
  われらは祖国の呼びかけを聞く
  恋にこがれる若者の
  たのしい逢瀬をまつごとくに
  われらは望みに疲れ果てて
  聖き自由のときをまつ
  われらの胸に自由がもえて
  心がほまれに生きるかぎりは
  友よ 祖国にささげよう
  われらの若い魂の
  うつくしいほとばしりを
  友よ 信ぜよ やがてこよなき幸の
  星のかがやきのぼることを
  そしてロシアは夢からめざめ
  うち砕かれた専制政治のなごりのうえに
  われらの名前の書かれることを!(金子幸彦訳、以下同じ)

ロシア語原文は次のとおりである。

  К Чаадаеву

  Любви, надежды, тихой славы
  Недолго нежил нас обман,
  Исчезли юные забавы,
  Как сон, как утренний туман;
  Но в нас горит еще желанье,
  Под гнетом власти роковой,
  Нетерпеливою душой
  Отчизны внемлем призыванье.
  Мы ждем с томленьем упованья
  Минуты вольности святой,
  Как ждет любовник молодой
  Минуты верного свиданья.
  Пока свободою горим,
  Пока сердца для чести живы,
  Мой друг, отчизне посвятим
  Души прекрасные порывы!
  Товарищ, верь: взойдет она,
  Звезда пленительного счастья,
  Россия вспрянет ото сна,
  И на обломках самовластья
  Напишут наши имена!

次は「シベリアへ」と題した一編。1825年にデカブリストの乱がおこり、すぐに鎮圧された。乱に参加したものは無論、日頃官憲ににらまれていた者たちが処罰された。シベリアに送られ、強制労働に従事させられたのだ。この詩はシベリアで耐え忍んでいるデカブリストの若者たちを励まそうとして作ったもの。1827年の作品である。

  シベリアの鉱山の奥そこに
  たかい誇りをもってたえ忍べ
  君たちのかなしいはたらき
  思いのけだかい願いは亡びない

  幸なき者の心かわらぬ妹
  のぞみはくらい地の下にも
  はげみとよろこびを呼びさます
  まちわびた日がおとずれるだろう

  愛と友情はくらいとびらを通じて
  君たちのもとにとどくだろう
  いまわたしの自由の声が君たちの
  苦役のひとやにとどくように

  重いくさりは地の上に落ちて 
  ひとやはくずれ 戸口で自由が
  よろこびにみちた君たちを迎え
  兄弟がつるぎを渡すだろう

  Во глубине сибирских руд
  Храните гордое терпенье,
  Не пропадет ваш скорбный труд
  И дум высокое стремленье.

  Несчастью верная сестра,
  Надежда в мрачном подземелье
  Разбудит бодрость и веселье,
  Придет желанная пора:

  Любовь и дружество до вас
  Дойдут сквозь мрачные затворы,
  Как в ваши каторжные норы
  Доходит мой свободный глас.

  Оковы тяжкие падут,
  Темницы рухнут -- и свобода
  Вас примет радостно у входа,
  И братья меч вам отдадут.

最後に無題の一編。Exegi monumentumと書した副題がついている。死の前年の夏(1836年8月)に書かれた作品である。

  わたしはおのれに人業ならぬとこしえの記念碑を残す
  そこに民のおとないは絶えぬであろう
  それはアレクサンドル帝の記念柱よりも
  なお高く 屈することなくそびえたつ

  いな わたしのすべては亡びない
  しかばねは灰になり また朽ち果てるとも
  わがたましいは尊き竪琴にやどり 月の下に
  ひとりの歌人の生きる限り わが栄光は亡びない

  わがうわさは大いなるロシアの国原にあまねく伝わるだろう
  そこに住むすべての民がわが名を呼ぶであろう
  誇り高きスラヴの子孫も フィンランドの民も
  今は未開のツングースも 荒野の友なるカルムイクも

  わたしはすえながく民のいつくしみをうけるであろう
  竪琴をかなで よき心を呼びおこし
  わがきびしき世に 自由を与え
  たおれた者へのなさけを呼びかけたゆえに

  おお ミューズよ 神のこころにしたがえ
  さげすみをおそれず ほまれを求めず
  うつけき者の言葉に耳をかすこともなく
  たたえの声も またそしりもひややかに聞け

  Я памятник себе воздвиг нерукотворный,
  К нему не зарастет народная тропа,
  Вознесся выше он главою непокорной
    Александрийского столпа.

  Нет, весь я не умру -- душа в заветной лире
  Мой прах переживет и тленья убежит --
  И славен буду я, доколь в подлунном мире
    Жив будет хоть один пиит.

  Слух обо мне пройдет по всей Руси великой,
  И назовет меня всяк сущий в ней язык,
  И гордый внук славян, и финн, и ныне дикой
    Тунгус, и друг степей калмык.

  И долго буду тем любезен я народу,
  Что чувства добрые я лирой пробуждал,
  Что в мой жестокий век восславил я Свободу
    И милость к падшим призывал.

  Веленью божию, о муза, будь послушна,
  Обиды не страшась, не требуя венца,
  Хвалу и клевету приемли равнодушно
    И не оспаривай глупца.

こうして見ると、プーシキンは悲憤慷慨型の詩人のように見えるが、そんなに単純な生き方をしたわけでもない。世の不合理に憤りながら、それをかえるためには、合理的で周到な準備が必要なことを、十分理解していたように思える。




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