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たいくつな話:チェーホフを読む


チェーホフの短編小説「たいくつな話」を、ドイツの文豪トーマス・マンは、「まったく異常な、そして魅惑的な作品であり、その特徴をなすしずかな、もの悲しい調子は、あらゆる文学にほとんど比類を見ないものだ」(木村彰一訳{チェーホフ論})と絶賛し、自分の最も愛する作品であるといっている。

この小説は、六十歳を超えた一老人の手記という形をとっている。この老人は、世間的には成功した人生を送ってきており、大学の教授で高名な学者であり、セ間からは「閣下」と呼ばれ、自分でも時折自身のことをそう呼んでいる。「わが閣下」という具合に。しかし、彼にはそうした自分の生きざまが不満である。世間的には成功したとはいえ、そうした成功は外面的な成功に過ぎず、真に満足できるものではない。そこでかれは自分自身に不満を持つばかりでなく、自分をとりまくあらゆるもの、家族を含めてのあらゆる人々に我慢がならない。唯一の例外は、幼い頃から養女として育てて来たカーチャだけである。

この老人はなぜ、自分自身や世間に対してかくも否定的なのか。それは、彼自身の言葉でいえば、彼がおよそ一切のものに関して作り上げる思想や感情や概念について、それらすべてをひとつの全体にまとめあげる「一般的なあるものが欠けている」からだという。「あらゆる思想、あらゆる感情が、私のなかで互いに何の関係もなく、別々に生きているのだ。そして科学や演劇や文学や学生たちに関するいっさいの私の判断、私の想像力が描き出すいっさいの情景の中に、いわゆる一般的理念、すなわち生ける人間の神を見出すことは、いかに巧妙な分析を以てしても結局不可能であろう・・・もし人間があらゆる外界の影響よりも力強いものを自分のなかに持っていないなら、その人間は、早い話が、ちょっとたちのわるい鼻かぜをひくだけで、もう精神のバランスを失い、どんな鳥でも梟に見え、どんな音でも犬の鳴き声にきこえるようになる」(チェーホフからの引用も木村彰一訳)

つまりこの老人は、自分の生き方を導く一般的な理念、それを人生の指針と言い換えることができるようだが、そうした指針を持たないために、自分が生きていることの意味を把握できないというわけなのである。その結果彼は、「私は敗北した。これ以上続けてもものを考える必要はない。自問自答する必要もない。何が起こるか、じっとすわって待つことにしよう」というような、捨て鉢の達観を抱くようにもなるのである。

老人のこうした達観は、我々日本人も含め、人類に属する多くの人々には、極端な思い込みに見えるのではあるまいか。多くの人々は、何もそうした「一般的な理念」を持たないでも生きていけるだろうし、じっさい殆どの人は、そんな「一般的理念」など意識しないで生きているのである。ところがこの老人にとっては、そうした理念なしで生きていることは、生きていないことと同じなのだ。これはこの老人に特有の受け止め方なのだろうか。それともロシア人というのは、多かれ少なかれそうした傾向をもっているのだろうか。

この老人のこうした考え方に、トーマス・マンは理解を示している。ロシアのような国においては、多少でも良心を持った人間は、自分の生き方に責任を持とうとすれば、いきおい色々なことを考えるようになるし、その考えを筋道をもったものにしようとすれば、いわゆる「一般的理念」が必要になる。その一般的理念にもとづいて自分の思想や感情、概念などを一貫した基準にしたがって展開することで、初めてぶれない生き方ができる。そういう理念が欠けていれば、いきあたりばったりな生き方しかできないし、したがって自分自身に自信も持てない。だから、ロシアのような国においては、多少でも良心を持った人間は、自分が生きている世界の意味を把握しようとして、一般的な理念を探そうとするわけだし、幸運に探し出せたにしても、そうでなかったにしても、「尊敬すべき不眠症」に陥らざるを得ない。そうマンはとらえて、この小説の語り手である老人に理解を示し、それを書いたチェーホフにも共感を抱くのだ。

チェーホフがこの小説を書いたのはまだまだ二十代のときだ。二十代の若さで、六十過ぎの老人の思想や感情を、それも見事に描き出したについては、チェーホフの才能ということもあるが、やはり当時のロシア社会を虚心に捉えようとすれば、少なくとも良心を持った作家なら、このような書き方になるのは、ある意味必然というふうにマンは考えたようである。チェーホフは、狭い田舎町から大都市に出て来て作家活動に入ったわけだが、その若いチェーホフが、ロシア社会の現実に直面してどのように感じたか。「当時のロシアの生活のなかでは、胸いっぱいに呼吸することなどは思いもよらぬことであった。それは窒息するような、無感覚な、卑屈なまでに従順な、官憲の暴力によってうちのめされおびやかされた生活であった」

そういう状況のなかに身をおいてみれば、チェーホフが同時代のロシアに対して批判的になるのは理解できるし、その批判的な意識を、この小説の老人に投影したことも、プロセスとしてよく理解できる。そのようにマンは考えたようである。そうした捉え方が、この小説のなかの老人と、その老人を介してチェーホフと、その両方に対して、マンが同情したことにつながったのではないか。

小説の最後で、人生につまずいたカーチャが、老人に問いかける場面がある。彼女は「私はどうしたらいいんでしょう? ニコライおじさま、後生ですから、せめてひとことでもおっしゃって。私はどうしたらいいでしょうか?」と問う。それにたいして老人は、「私にはわからない、カーチャ。良心に誓って言うが、私にはわからないのだ」と答える。

これは、人生をあまりにも深刻にとらえていることの結果である。彼は人生をきわめて真面目に考えているおかげで、自分自身に対して自信を持てないことを、人に向って、しかも愛する者に向ってすすめることが、良心にかけてできないのだ。それを行き過ぎた優柔不断ととるか、あるいは良心のうずきととるか、それは読者それぞれの受け止め方如何の問題かもしれない。




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