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ゴーゴリを読む


ゴーゴリの小説の特徴はいくつかあげられる。まず、ロシア的なものに徹底的にこだわったこと。これは、事実上の処女作である「ディカーニカ近郷夜話」から、最後の長編小説「死せる魂」まで、一貫した特徴である。ゴーゴリが生きた時代のロシア社会は農奴制社会として、階級間が分断された社会であって、ある種のカースト社会といってよかった。社会の上層には、地主や役人たちがおり、下層には百姓とよばれる農奴たちがいる。このうちゴーゴリが小説で描いたのは上層階級に属する人間、つまり地主や役人たちである。百姓たちは、地主の付属品という位置づけでしか出てこない。その地主や役人たちこそ、ロシアに固有の悪徳を体現しており、かれらを描くことは即ロシア的なものを描くことを意味する。ゴーゴリの小説に出てくるキャラクターは、どれもこれもみなロシア的悪徳の権化みたいな連中なのである。

地主たちは、百姓を農奴つまり奴隷として扱っており、地主と百姓との間には、人間的なつながりはない。地主は自分の奴隷である百姓たちを、勝手に処分することができる。百姓は百姓で自分のそうした境遇に反発することがない。弱いものは強いもののいいなりになるしか、生きる方便はないのだ。そうした社会関係をゴーゴリは描くのだが、そこには不思議なほど批判的な意識は感じられない。ゴーゴリは基本的には保守的な思想の持ち主であって、プーシキンやレールモントフのように農奴制社会を変革してもっとましな社会を作りたいという情熱には欠けていたようである。だから、百姓の立場に立つということもない。ゴーゴリの小説においては、百姓たちは何の役割も果たしていないのである。かといってゴーゴリが、ロシアの農奴制社会を擁護あるいは是認していたということでもない。ゴーゴリはロシア社会のあり方に正面から異議申し立てを行うかわりに、それを皮肉ってみせたのである。だが、その皮肉はかなりパンチのきいたものであり、大多数の上層の人間たちには我慢がならないものだった。じっさいゴーゴリは、ロシアの中に居場所を失い、生涯の大部分を外国で暮らしたのである(1837年から1849年までの12年間、ゴーゴリは43歳で死んだから、人生の盛りの時期を外国で過ごしたということになる)。

地主とともにロシアの上層を形成するのは役人たちである。当時のロシアには、まだ商人とか産業家と呼ばれる層は登場していなかったから、百姓を別にすれば、地主と役人しかいなかったのである。役人には武官と文官とがあるが、ゴーゴリが主に描いたのは文官の役人たちである。その文官というものは、厳しい身分秩序の中に生きていて、その点では武官である軍人と同様である。下位の軍人は上官にこびへつらい、上位の軍人は下僚を相手にいばりくさる。それと同じように、役人社会においては、下っ端は上役の顔色をうかがい、上役はふんぞりかえっているのである。一方、地主たちにあっては、農奴をより多く所有するものがえらいのであって、200人の農奴を所有する地主よりは、800人の農奴を所有する地主のほうが、慇懃な待遇を受ける権利をもつのである。

ゴーゴリの小説の第二の特徴は、超現実的なものをあたかも現実のように描くといった、リアリズムとは真逆な要素を抱えているということである。処女作の「ディカーニカ近郷夜話」では、悪魔たちが出てきて人間たちをたぶらかしたり、たぶらかされたりするし、「鼻」では、人間の鼻がそれ自体独立した人間の形をとってペテルブルグの町を徘徊したりする。こうした超現実性は、ゴーゴリがまず民話に取材した作品を描くことでキャリアを始めたことからも読み取れる。民話には、どの国のものでも、超現実的な話が多いものだが、そうした民話のもつ超現実性をゴーゴリは最大限生かしたといえる。もっともゴーゴリは、近代的な小説家であるから、その超現実性におぼれてはいない。単に超現実的な作風なら、それは古臭い作風だとして評価されなかったであろう。ゴーゴリは超現実的なことを、あたかもリアルなことがらとして、つまりリアリズムの手法をもちいて描いたのである。リアルな手法でシュルリアルなことがらを描くわけであるから、そこには異様な迫力が生まれる。そうした超現実性は、20世紀になっていよいよ世界の文学者たちを捉えるようになるので、その意味ではゴーゴリは、カフカ以降のシュルリアルズムの先駆者といってよい。

第三の特徴は、語り口の融通自在さである。ゴーゴリの小説には、物語の語り手が舞台の正面に出てきて、観客つまり読者に向かって進行役のようなものを務める。読者は、小説の進行状況を直接認知するのではなく、語り手の声をとおして受け入れるのである。だからそこには、語り手による事態の切り取りが働いている。こういうスタイル(語り口)は、日本の(説教節などの)語りの文芸を思わせ、したがって民衆文芸の影響を感じさせるのであるが、じっさいゴーゴリは民衆の口承文芸(つまり民話)に大きな関心をもっており、民話の語り方を有効に生かしたといえる。そういう点では、ゴーゴリには、古さと新しさが混在しているといえる。古さとは、中世以来民衆のなかに伝わってきた土着の思考(野生の思考)をいい、新しさとは、それをリアリズムの手法で表現したということだ。

第四の特徴は、これは第一の特徴とも密接に関連するが、ロシア及びロシア人へのゴーゴリの嘲笑である。ゴーゴリは、どの小説においてもロシア人を嘲笑することを忘れない。ロシア人は身分の上下を問わず愚かな人間であり、やることなすことが支離滅裂である、といった嘲笑的な見方が支配している。その点はチェーホフの大先輩といえる。チェーホフもまたロシア人の愚かさを嘲笑しつづけたのであったが、その理由は、ロシア人が野蛮であるにかかわらず、文明人の真似をしているというチェーホフの自覚にあった。チェーホフはその自覚を、ロシア人への冷笑という形で表現した。それに対してゴーゴリには、チェーホフのような冷笑は見当たらない。ただただロシア人の野蛮さを、そっくりそのまま受け入れて、笑い飛ばしてしているのである(その点では、ラブレーやエラスムスの後継者といえる)。

ロシア人へのゴーゴリの嘲笑は、かれがウクライナの出身者であることに根差している、といった見方もある。とくに最近は、ロシアとウクライナとの間で大規模な戦争が起こり、ウクライナ住民のウクライナ人としての民族意識が高まっている。それを背景にして、ウクライナの人々はゴーゴリをロシア文学の祖としてではなく、ウクライナ文学の祖として位置づけなおす動きがある。だが、それはナショナリズムによる勇み足というべきだろう。ゴーゴリは完ぺきなロシア語で書き続けたのであるし、また、生涯ロシアにおける出版にこだわった。しかもかれはあくまでもロシア人としてのアイデンティティにこだわっていた。そのロシア人としてのアイデンティティが、かれをしてロシアに厳しい見方をとらせたのだといえなくもない。

なお、ゴーゴリのロシア人としてのナショナリズム意識は、ポーランドやトルコへの敵意とか、ユダヤ人への憎悪といった形で随所であらわれている。ユダヤ人嫌いという点では、ゴーゴリはドストエフスキーの偉大な手本であった。

ここではそんなゴーゴリについて、主要な作品を取り上げて、その魅力を読み解いていきたい。


ディカーニカ近郷夜話:ゴーゴリの出世作

ゴーゴリ「ディカーニカ近郷夜話」その二

ゴーゴリ「タラス・ブーリバ」:ウクライナ・コサックの戦い

ゴーゴリ「狂人日記」を読む

ゴーゴリ「鼻」を読む

ゴーゴリ「検察官」を読む

ゴーゴリ「外套」を読む

ゴーゴリ「死せる魂」を読む

地獄としてのロシア:ゴーゴリ「死せる魂」を読む

ゴーゴリの嘲笑的ロシア観:「死せる魂」を読む




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