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ソクラテスの弁明を聞く


プラトンの著作「ソクラテスの弁明」については、既に別稿において、その概要と解説とを披露したところだ。今度はもう少し踏み込んで、テクストを逐次的に読み込みながら、この著作の全容について明らかにしたいと思う。とりあえずタイトルを「ソクラテスの弁明を聞く」としたが、それはこの著作が、文字通りソクラテスの弁明から成り立っているからであって、それを読むことはまさに、「ソクラテスの弁明を聞く」ことになるからだ。あるいは、「ソクラテスの弁明読解」とすることもできよう。

プラトンがこの著作を書いたのは、ソクラテスが刑死した直後である。時にプラトンは28才であり、ソクラテスが刑死したのは70歳の時だった。70歳といえば、当時としては高齢で、ギリシャでは古希という言葉はないが、非常にまれな年齢であったことは間違いない。だが、体力はともかく、頭脳はまだ明晰だっただろう。その明晰な頭脳でソクラテスが従事したのは、法廷の席上で、自分自身を弁明することだった。というのもソクラテスは、メレトスとかその背後にいるアニュトスとかいった連中から、死罪に相当する罪を以て訴えられていたのである。古代ギリシャの裁判においては、被告は直接自分自身を弁護する慣習があったようで、この著作は、訴えられたソクラテスが自分自身を弁護した記録なのである。その結果、ソクラテスの自分自身についての弁明は功を奏さず、ソクラテスは有罪となり、しかも求刑どおり死刑の判決を受ける。その判決をソクラテスは泰然と受け入れ、自ら毒盃を仰いで死んだことは、歴史上有名な事柄である。もっともこの著作では、ソクラテスが毒盃を仰ぐところは触れられていない。その直前のシーンで筆が擱かれているのである。

犯罪の訴求に対する弁明であるから、訴求者が主張する犯罪の事実に対する反駁が主な内容であり、ソクラテスの思想そのものは、付随的に触れられるにすぎない。それ故、この弁明を聞くことによって得られるのは、ソクラテスの行動についての情報であって、思想についての情報は、ソクラテスの行動を裏付けるものとして付随的に語られるにすぎない。しかし、そこにはソクラテスの生き方にかかわる基本的な考え方が盛り込まれているので、我々はソクラテスの思想の一端、それもかなり重要な部分について知ることができるだろう。

プラトンは、その著作のほとんどすべてについて、ソクラテスを登場させ、ソクラテスの口を通じて、さまざまなことを語った。プラトンの著作において、前面に立つのはつねにソクラテスであり、プラトンは一切登場しない。つねに背景に退いている。この「弁明」においてもプラトンは、ソクラテスから名指しされはするが、自分からは何も発言はしない。そんなこともあって、我々は、どこまでがソクラテスの意見であって、どこからがプラトンの考えなのか、はっきり区別することができないというのが現状である。この「弁明」以後に書かれた比較的早い時期のプラトンの著作においても、ソクラテスとプラトンの区別をするのは非常にむつかしい。だがこの「弁明」は、すべてソクラテス自身の言葉と受け取っていいのではないか。プラトンがこの著作を書いた目的は、法廷におけるソクラテスの言動をつぶさに記録し、以て後世にソクラテスの正当性を訴えることにあったと思われるからだ。

さて、ソクラテスが死を以て訴えられたについては、それなりの背景がある。ソクラテスを訴えたメレトスとかその背後にいるアニュトスとか言った連中は、アテネの民主派のチャンピオンだった。彼らは三十人寡頭政治体制のもとで貴族派がアテネの政治権力を握ると、他国へ亡命したのだったが、民主派が勢力を奪還すると舞い戻って来て、貴族派を弾圧した。ソクラテスは貴族派の一員と見なされていたので、そのとばっちりを受けたというのが実情のようである。無論ソクラテス自身には党派的な野心などはなく、自分は党派を超えて、正義のために行動していると信じていたわけであるが、メレトスら民主派は、そんなソクラテスにあれこれ言いがかりをつけて、死を以て訴求したのであった。それに対してソクラテスは、アテネの法律にしたがって、法廷において、自分自身の弁護、すなわち弁明を行ったわけであった。この著作は、そのソクラテスの弁明の言葉を記録したものである。したがって発言者は専らソクラテス一人であり、その他の者は、ソクラテスの質問に答えるという形で、断片的な証言をするにすぎない。以下、ソクラテスの弁明の内容を、テクストにしたがって逐次追っていきたい。テクストには田中美智太郎による翻訳を使った。

「アテナイ人諸君、諸君が、わたしを訴えた人たちの今の話から、どういう印象を受けられたか、それはわからない。しかしわたしは、自分でも、この人たちの話を聞いていて、もう少しで自分を忘れるところでした。そんなにかれらの言う事は、もっともらしかたったのです。しかし本当のことは、ほとんど何も言わなかったといってよいでしょう」

ソクラテスの弁明は、この言葉から始まる。直前にメレトスらによる訴追の言葉が述べられたのであろう。それに対してソクラテスは、かれらの言葉は、自分でも我を忘れるほどもっともらしく聞こえたが、しかし本当のことはほとんど何も言わなかったと言って、全面的な対決姿勢をあらわにするというわけである。ソクラテスの反撃は、とりあえずは、相手方の主張が根拠のないものだということに向けられる。その相手は、ソクラテスのことを、用心しなければ容易に騙されるような、さもたいした弁論家のように言っているが、実は自分はそのような弁論家ではないと言って、相手の主張の根拠を崩そうとする。自分は相手が言うような弁論家ではないのだから、容易に人をだますような能力はないし、またその意図もないというわけである。もっとも、弁論家という言葉の意味を、かれらが言うような意味ではなく、真実を語る者の意味に捉えるなら話は別だ。なぜなら自分は真実だけを語るように日頃努めているのであるが、そのことで人を怒らせたことはあるかもしれない。したがって今回の自分に対する訴求も、自分が真実を語ったことで腹を立てた連中が、偽りの訴えを起こしたのかもしれない。ソクラテスはそう言って、メレトスらの自分に対する訴求が、不当な意図のもとに起こされているとの印象を、裁判員たちにもってもらうように努めるわけなのである。

ところでその訴求の内容というのは、「ソクラテスは犯罪者である。かれは天上地下のことを探求し、弱論を強弁するなど、いらざるふるまいをなし、かつこの同じことを、他人にも教えている」というものだった。



・ ソクラテスの弁明を聞くその二
・ ソクラテスの弁明を聞くその三
・ ソクラテスの弁明を聞くその四
・ ソクラテスの弁明を聞くその五


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