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シオニズムの反倫理と資本主義の精神 落日贅言


前稿「ハンナ・アーレントとユダヤ主義の精神」で、全体主義についてのアーレントの分析がそのまま現在のイスラエル国家にも通じることを指摘した。ナチスがかつてユダヤ人やほかの「劣等な」人間を相手にやった残虐極まる行動を、現在のイスラエルのシオニスト政権も行っている。そのシオニストに抵抗するパレスチナ人を欧米の諸大国はテロリストといって非難するが、アーレントの定義によれば、イスラエル国家こそがテロリストである。なぜなら、恐怖を利用して相手を無力化させようとするのがテロルの本質であり、そのテロルをもっとも有効に利用しているのがイスラエルだからだ。イスラエルは自らのパレスチナ人への暴力を抑止力と言っているが、暴力で相手を屈服させ、そのことで反抗する意欲をなくさせようとすることは、アーレントのいうテロルそのものにほかならない。当事者であるイスラエルのシオニストらが、自分らがやっているのはテロルだと認識しているのである。

だいたい以上が前稿で主張したことだが、まだ言い足りないものが残っている気がして、続編を書く気になった。言い足りなかったことの第一は、なぜいままでイスラエルのテロがまかりとおり、今回ガザで行っているジェノサイドが止められないのか、その疑問に答えることである。イスラエルが国際社会の面前で堂々とジェノサイドの残虐行為を行えるのは、そうしてもたいした不都合は被らないからだ。その証拠に、アメリカは人道を云々しながら、パレスチナ人を殺すための武器をイスラエルに提供し続けてきた。ドイツやイギリスも同様である。国連がほとんど機能しない中で、欧米の有力な国の後ろ盾さえあれば、イスラエルは好き勝手なことができる、そうシオニストは思っているに違いない。だから、ジェノサイドは止む気配がないのだ。

イスラエル国家がそこまで勝手なマネができることの背景には、欧米諸国の間で、ユダヤ人コミュニティの影響力が高まっていることがある。さらにその背景にはユダヤマネーの存在がある。欧米諸国におけるユダヤ系の経済力は、ここ半世紀ほどの間に飛躍的に高まった。特に近年はユダヤ系の躍進が大きい。その背景には、欧米資本主義諸国のなかで金融資本の比重が大きくなっていることがある。イギリスはその典型で、従来の産業重視型資本主義から、金融重視の資本主義へと変換した。アメリカにおいても、産業への投資は縮小し、金融資本の支配力が強まった。その金融の分野では、もともとユダヤ系は強い存在感を見せてきており、とくにアメリカでは、投資銀行分野を中心にして、ユダヤ系の影響力が高まっている。そうした影響力を背景にユダヤ系は各国の政治についても影響力を行使するようになった。今般ガザ問題をめぐってイスラエル批判が高まると、アメリカでは反ユダヤ主義取締法成立への動きが見られたほどである。そうした動きは、ユダヤ系やそれと深いかかわりをもつ政治家が進めている。

要するにユダヤ人は、世界の資本主義システムがグローバル化・金融資本主義化するなかで、そのもっとも有力な担い手となり、その経済的な実力をイスラエル国家の存続のために使っているのである。アメリカでは、イスラエルに対して批判的な言動をする政治家は、ユダヤ系の政治団体によって激しく攻撃され、次の選挙には勝てないというふうに言われている。今回も、イスラエルへの軍事援助に反対した議員は、そうしたユダヤ系による落選運動の標的にされるという。ユダヤ系は、そうした標的に対して、巨額の資金力にものをいわせて、有無をいわさず落選するように仕掛けるのである。たとえば、テレビや新聞を使った大規模なネガティブキャンペーンをしかけるといったことである。その背景には、アメリカの選挙が金によってかなり左右されるという事情があるようだ。なにしろ大統領選の勝敗も、資金力が左右するといわれるほどなのである。

ユダヤ系の人口は、世界中あわせても2000万くらいのものであろう。その人口で、いまや経済的にも政治的にも大きな影響力を行使している。歴史的にみても、ユダヤ系はヨーロッパの大国に対して政治的な影響力を行使してきた。ユダヤ系というと、ナチスによる迫害やフランスのドレフュス事件など、被害者としての面ばかりが強調されがちであるが、単に弱者だったわけではなく、抜け目なく政治的な影響力を行使したのである。その辺の事情は、アーレントも「反ユダヤ主義」の中で触れている。アーレントによれば、ユダヤ人は金は十分にもっているので、その金を有効に使える道に敏感である。ヨーロッパが多くの王や大公によって支配されていた時代には、王や大公に資金提供することで自らの存在意義を高めた。ところがヨーロッパがいくつかの大きな民族国家に再編されるようになると、ユダヤ人はかつて大公相手にやっていたような取引ができなくなり、逆に社会にとって余計者と思われるようになった。この余計者扱いが、反ユダヤ主義のそもそもの原因だとアーレントは分析している。面白いことに、ユダヤ人から多くの文化人が出るようになるのは19世紀以降のことで、それには、かつてのような有効な金の使い道を失ったユダヤ人が、有り余る金を子供の教育のために使うようになったという事情があった。それはだいだい反ユダヤ主義の高まりと連動していたのだが、ユダヤ人らは、教育こそが最後まで頼れる財産と心得て、子どもに惜しみなく金を注いだのである。その成果として、ユダヤ人から多くの文化人が育ったというわけである。

そういう事情であるから、現在の世界でも、ユダヤ人らは巨額な金の有効な使い道に敏感である。その金の使い道にはいろいろあり、資本として使う場合もあり、経済力にものを言わせて、社会におけるユダヤ系のステータス向上のために使うこともある。特に、政治の分野でのユダヤ人の活躍ぶりは顕著である。それを支えるのがかれらの豊富な資金力である。その資金力にものを言わせて、ユダヤ系はアメリカはじめ各国の政治に大きな影響力を及ぼしている。日本には、ユダヤ系の影響は直接的には及んでいないが、アメリカの属国という立場から、間接的な影響は受けている。今回の事態でも、日本政府はユダヤ系を批判するような行動はとらない。ハマスを非難する一方で、イスラエルには事実上の連帯を表明するありさまである。

ユダヤ人のそうした経済的な実力は、歴史によって育まれてきたものだ。ユダヤ人は、ヨーロッパ諸国に散らばって、金融業に従事することが多かった。シェイクスピアのシャイロックはその典型といえる。ユダヤ人はイスラム圏でも金融業に従事したようである。イスラムは利子をとることを戒めているので、イスラム圏では、金融業のライバルはいない。ヨーロッパ諸国でも、金融業はユダヤ人にまかせて、ヨーロッパ人は堅実な産業に従事した。そういう事情が変化するのは、資本主義システムによる。資本主義とは、金が金を生むシステムであるが、そのためには剰余価値の源泉としての自由な労働力の存在が前提である。ほかに使い道のない金が自由な労働力と結びつくことで、金が金を生むことが可能になるシステムが出来上がる。そのシステムが最初に可能性として現れた時に、金をもっていたのはユダヤ人だった。ユダヤ人はその金を自分で直接使ってビジネスを始めることができない場合が多いので、それを従来のように他人に貸し付け、それをもとに利子を得るという方法を追求した。高利貸しはユダヤ人の伝統的なビジネスであり、それで儲けるためのノウハウはもっていた。そのノウハウを生かして、金融資本家として一段の飛躍をしたわけである。

かつて資本主義のシステムを、プロテスタントの勤勉と結びつけて説明する学説がはやったものだが、それで説明できるのはプロテスタント諸国の資本主義だけだろう。それとは別に、貯蔵されていた金を他人に投資し、その他人の経済活動から生まれる剰余価値の一部を利子として手に入れるというビジネスモデルがある。そのビジネスモデルが、今日世界を席巻しているグローバルな資本主義の原点である。だから資本主義システムを整合的に説明するためには、プロテスタントの倫理などにたよらず、もっと現世的な動因に注目すればよいのである。小生はその動因として、ユダヤ系を典型とする金貸し資本が、自由な労働力と結びついたことで資本主義がシステムとして成立したと考える。そうだとすれば、資本主義は、或る意味、ユダヤ人の産物といえなくもない。たしかに、いま地球を席巻しているグローバル資本主護というべきものは、ユダヤ人にとってこそもっとも使い勝手のよいシステムである。それは国家とか民族とかにおかまいなく、最も有効な金の使い道を保証してくれるシステムである。

そのユダヤ人の行動原理として、小生は前稿で「ユダヤ主義の精神」という言葉を使ったのであったが、そのユダヤ主義は、どうやらシオニストによって牛耳られてしまったようである。だから今日、ユダヤといえばシオニズムということになる。そのシオニズムは、前稿でも触れたようにアンチヒューマニズムといわねばならぬから、シオニズムの倫理といえば反語になろう。アンチヒューマニズムは反倫理である。だからシオニズムと資本主義を結びつける言葉は、ウェーバーを意識して言えば、「シオニズムの反倫理と資本主義の精神」ということにならざるを得ない。




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