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ショーブンさんの思い出 落日贅言 |
墨田区から東京都へ戻った小生は、清掃局本所清掃事務所管理係長を経て、衛生局医療福祉部業務課医療計画係長に転任した。本所清掃事務所では、色々なことがあったが、深川清掃事務所と重なる部分も多いので、あえて触れることはしない。そのかわり、本所在職二年間に受けた研修のうち、印象深かったものを紹介したい。小生ら若手対象の管理職選考合格者には、管理職候補者向けの研修プログラムが用意されていて、それを受講するのも仕事のうちだったのである。 最初に紹介したいのは、都市経営に関する研修である。これは各方面で活躍しているキャラクターを呼んで、色々勝手な話をさせるという面白いものであった。テーマの都市経営とは関係のない話もあった。むしろその方が多かった。なかにも印象に残っているのは、松下圭一の話である。松下は大衆社会論などで知られた学者で、美濃部都政にもかかわっていた。その松下が、われわれ研修生を散々に罵倒した。お前らは、都道府県の職員としても、基礎的自治体の職員としても中途半端だというのである。その理由は、都自体が都道府県としての自覚に欠けており、また、職員も特別区と都道府県の区別ができないでいることだ。その証拠に、お前らはみな特別区へ出向経験があるだろう。その経験がアダとなって、お前らは都道府県行政のエクスパートになれないのだ。そんなふうに罵倒されて、小生はいささか腹をたてたが、まあ、まったく当たっていないわけでもないと感じた次第だ。 英語のテクストを用いた地方自治研究というプログラムも印象深かった。小生は、家庭の事情もあり、外国に長期滞在するというようなことは考えていなかったが、外国の事情には関心があって、知識は取り入れたいと思っていた。そんな矢先に、イギリスの地方自治を英語で講習する研修があるというので参加した次第だ。講師は、名前は忘れたが、都立大学の行政学の教授。講習生は30名ばかりで、ほとんどは小生よりも若い世代の職員たちだった。特別区の職員もいた。Local Government in London という英文のテクストを用いてイギリスの地方制度の基本を学習した後、具体的な行政課題に即した分科会が組織された。小生は、廃棄物処理問題をテーマに選んだ。その分科会には、清掃局の職員が多数参加した。みな技術職である。その連中が、放っておくと勝手気ままな振舞いをするので、年長の小生が調整役を務めることとなった。そんな小生を講師が見て、こんなところでも人事管理に忙しいのですねと同情した。この分科会では、Disposal of Solid Waste in London というテクストを用いた。驚いたのは、ロンドンではごみの処分は海洋投棄が中心だということだった。清掃工場などは存在しない。ごみを船に積んで海洋に投棄するというのだ。一部、近隣の廃坑を利用してごみを埋め戻していたが、これはごくわずかな量ということだった。 研修以外では、人事部稲門会という団体とのかかわりが生まれた。これは人事部にかかわりを持った早稲田出身者の集まりで、本来は人事部の現役と出身者を対象としたものだったが、小生はさるコネを通じて参加した。そのコネとは、清掃局に在職したことのある人事部出身者である。小生は、どういうわけか、その人に気に入られ、その団体に加わったのだった。ところがこの団体というのが、非常にいかがわしいものだった。すでに部長級になっている連中が幹部を占め、その幹部らが実に傲慢なのである。若手のメンバーに向かっていばりちらし、態度が気に食わんとかどうとかわめき散らすのである。同窓の後輩に対してそんなことをするので、小生は、人事部というのは、人を堕落させるところだと感じたものである。 さて、本題の衛生局に戻ろう。衛生局への転任が決まったところで、小生は人事係の先輩Kさんをその職場に訪ねて報告した。するとK先輩は否定的な意見を述べた。だいたいローテーションの後期は、総務や財務など官房系に行くのが望ましい。それができなければ、原局に残って実力を蓄えたほうがよい。まったく関係のない事業局に行くのは、無駄というものだ、というのである。そういう見方もあるかと感心したが、小生は清掃局にはこだわりがなかったので、衛生局への異動に不満はなかった。 就任した医療計画係長というのは、都が行っている難病医療などの医療補助制度の企画立案、難病患者団体にとっての都の総合窓口、医療ソーシャルワーカーの育成などを担当していた。企画的な業務であるから、部下はわずか二人しかいない。その二人とは、公司にわたって仲良く付き合った。一人は中年女性、一人は小生と同年代の男性である。 係の仕事についてはおいおい述べるが、ここでは上司の業務課長について述べたい。この課長は「ショーブンさん」というあだ名で、局内では有名な人であった。都立病院の管理運営一筋に生きてきて、都立病院の医師の人事に非常に大きな影響力をもっているといわれていた。そのため、局の幹部から一目おかれ、副知事などからも信頼されていたという。別に人柄に大きな特徴があったわけではない。どちらかというと、ぶっきらぼうな印象を与えるタイプである。小生がこの課長に初対面したときには、小生の顔をまともに見ることもなく、まるで赤の他人を見下しているような感じを受けた。だから、小生のショーブンさんに対する初印象は、マイナーなものとなってよかったはずなのだが、どういうわけか、反感ではなく親近感のほうが強かった。 ショーブンさんは、部下に仕事をまかせるタイプの人だった。議会対応は普通は課長の仕事だが、ショーブンさんは一係長の小生になるべくやらせようとしていた。最初のうちは、小生を伴って議員を訪ねるというやり方をとっていたが、そのうち小生を自分の代理として積極的に赴かせるようになった。議員とのやりとりは、なかなか気骨の折れるものである。議員の中には、善人ばかりではなく、悪人もいる。その悪人からあからさまに利益誘導的なことに巻き込まれないよう、気をつけねばならない。 ショーブンさんは、有力議員を上手に使うことにたけていた。当時は、部所管の難病対策について、医療補助の対象となる難病の範囲を拡大することが課題だった。それには有力議員の力を借りるのが早道である。そこでショーブンさんは、難病患者団体に命じて目立つ患者をつれてこさせ、この患者を直接有力議員に会わせるというやり方をとった。患者の様態にショックをうけた議員は、積極的に働いてくれ、その結果当該難病が医療補助の対象になったということもあった。 ショーブンさんという有力課長をバックにもっていることで、小生は仕事がやりやすく感じたことがある。小生の仕事のうちもっとも派手なものは、難病患者団体や障害者団体の窓口役を務めることであった。予算編成の時期になると、難病患者団体や障害者団体が予算要望のために会議の開催を要望してくる。その要望を受けるのが本職の役割で、本職が要望にかかわりのある都の部局の担当者(多くは課長級)をその会議に召集する。その会議の司会役も本職がつとめるわけだが、その進行ぶりは、とかく団体側の立場に偏りがちだ。それが都の連中にとっては癪の種である。いったいお前は誰のために働き、誰から給料をもらっているのか、と不満を感じるのも無理はない。だが、小生は自分自身の独断で仕事をしているわけではない。これは部の意向を踏まえたものであり、当然ショーブンさんの賛同も得ている。ショーブンさんの名望は、局を超えて都全体に響き渡っていたようで、そのショーブンさんの意向を踏まえた小生の行為には、誰も表立って批判できるものはいなかった。 ショーブンさんは、酒席で交友を深めるタイプの人ではなく、したがって赤ちょうちんに部下を連れていくことはなかったが、そのかわり、部下たちが職場内で飲むことは黙認していた。衛生局は独立庁舎に入っていて、それをいいことに、各部の連中は夜遅くまで仕事にかこつけて酒を飲んでいた。衛生局は島嶼保健所業務を抱えていたので、しょっちゅう島に出張する者らが、クサヤなどを土産に持ってくる。あるときは、小笠原に出張した奴がヒラマサを冷凍にしたのを土産に持ってきて、それをさばいて職場内で宴会を開いたこともあった。宴会のメンバーはだいたい決まっている。業務課の管理係長が中心で、かれのまわりに親しい連中が集まってくる。難病対策課の係長とか母子保健課の係長も常連メンバーだった。その連中が飲み騒ぐのを、ショーブンさんは横目で見ているのである。 島嶼保健といえば、小生は一度離島出張診療に従事したことがあった。これは局で診療チームをつくって、離島に送り込むというものである。小生は神津島へ診療チームを連れて行った。内科と整形外科の医師各一名、看護婦二名、医療ソーシャルワーカー一名である。島へはヘリコプターで往復した。消防庁のヘリを借りるのである。島につくと、村役場の担当者と連絡し、診療体制の準備をする。診療は二日目と三日目に行い、三日目の診療が終わるとヘリに乗って東京へ戻る。ヘリの飛行時間は一時間足らずである。診療所では、大勢の患者が集まってくる。なかには結構重症の患者もいて、東京の病院に入院をすすめられたりする。 ショーブンさんは、部下には甘かったが、上司には厳しかった。医療福祉部の部長は、厚生省から天下りしてきた医師で、じつに高慢な男だった。仕事をそっちのけにして、都の女性職員にうつつを抜かしているというので、ショーブンさんはその部長を毛嫌いしていた。そこで部の内部会議は部長抜きで行うなど、その部長を徹底的に排除した。その部長は、部外でも評判が悪く、普通なら局の技監(局長級)におさまるべきところを、体よく追い出されてしまった。 ショーブンさんは、根はやさしい人で、部下である小生の出世についても考えてくれた。管理職任用直前面接というものがあって、その場で小生は一面接者の機嫌を損ねたらしく、その面接者が小生の管理職としての資質に異議を唱えた。そのことを知らされたショーブンさんは、小生のためにだいぶ尽力してくれたようである。ショーブンさんはまた、小生を総務局に異動させる策動をしてくれた。その話を持ち掛けられたとき、小生はもうじき管理職に昇任できるだろうと考えて、今の仕事に満足しているので、いまさらほかに異動したいとは思わない、と答えた。しばらくして、やはり衛生局にローテーションで来ていた一年後輩の男が、小生のところにわざわざ挨拶にやってきて、人事部に行くことになったと報告した。小生が断ったので、かれにお鉢が回ったというわけだろう。もっともこの男は、小生同様要領の悪いところがって、折角のチャンスを生かして偉くなるということはできなかった。 これと前後して、ショーブンさんはさる看護学校の校長に昇任した。その看護学校にショーブンさんを訪ねると、ショーブンさんはかつ丼を二つ出前させ、小生と一緒に食べてくれた。そのショーブンさんは、かつ丼を食ってからしばらく後に、学校でとある医師と碁を打っていたときに、脳卒中に見舞われて死んでしまった。小生の喪失感は大きなものがあった。ショーブンさんの葬式には、現役の副知事も実行委員の一人として参加した。ショーブンさんがいかに人望あつかったか、よくわかるであろう。 |
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