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死刑を考える 落日贅言


いつ死んでもおかしくない、というのが小生の最近の口癖である。昨年の七月に満七十五歳の誕生日を迎えたのがそのきっかけであった。その年になったことで、小生は後期高齢者に分類された。後期高齢者とは曖昧な言葉だが、要するに生きている価値がなくなったのであるから、さっさと死んだ方がよいと、世間から促されているように感じる。そんなわけで、自分自身の切実な問題として、死を考えるようになった。先日はこのシリーズで「死の迎え方」と題した小文を紹介したが、いつ死んでもよいように常に死ぬ準備をしておく必要があると考えている。その延長で、強いられた死についても考えるようになった。用のない年寄りは早く死んだ方がよいと、総理大臣自ら言うような今の日本である。そんな今の日本では、どんな死も半分は強いられたものといえなくもない。その強制としての死のもっともドラスティックなものは、刑罰としての死、つまり死刑である。今や死刑廃止が世界の主流のあり方になっているそうだが、そんななかで日本がいまだに死刑に固執しているのは、社会にとって余計者は消してしまったほうがよいという思想が寝強く働いているからであろう。

死刑を考えるにあたってまず、死刑制度についての国際的な現状について確認しておきたい。アムネスティ・インタナショナルによれば、死刑を廃止した国は2023年現在144か国であり、死刑制度を維持している国は55か国であった。死刑を廃止した国には、韓国のように10年以上にわたって死刑を執行していない「事実上の死刑廃止国」も含まれているそうだが、いづれにしても死刑を廃止するというのが国際的な流れのようである。先進国の集まりであるOECD諸国38か国のうち、死刑制度のあるのは日本、韓国、アメリカの三か国のみだ。韓国は事実上の死刑廃止国であり、アメリカは州によって死刑を廃止しているところもあり、国全体として死刑制度を一律に維持しているわけではない。国全体として一律に死刑制度を維持している国は、先進国のなかでは日本だけである。

なぜ日本では死刑制度が維持されているのか。それを考える前に、死刑を廃止した国が、どのような理由で廃止したのかについておさえておかねばなるまい。理由があるから廃止したのであろうし、その理由が日本にも当てはまるのであれば、早晩日本でも死刑廃止の議論が盛り上がるであろう。実際はそうはなっていない。死刑制度を支持する日本国民は八割にのぼっており、国はそうした世論を踏まえて死刑廃止に消極的である。

法務省がまとめたところによれば、死刑制度を廃止すべきと主張するにあたって、その主要な論拠とされたのは、次のようなものである。実際に死刑を廃止した国々も、同じような理由をあげていた。
① 死刑は,野蛮であり残酷であるから廃止すべきである。
② 死刑の廃止は国際的潮流であるので,我が国においても死刑を廃止すべきである。
③ 死刑は,憲法第36条が絶対的に禁止する「残虐な刑罰」に該当する。
④ 死刑は,一度執行すると取り返しがつかないから,裁判に誤判の可能性がある以上,死刑は廃止すべきである。
⑤ 死刑に犯罪を抑止する効果があるか否かは疑わしい。
⑥ 犯人には被害者・遺族に被害弁償をさせ,生涯,罪を償わせるべきである。
⑦ どんな凶悪な犯罪者であっても更生の可能性はある。(以上法務省ホームページから、以下も同じ)

一方、死刑制度を存続すべきだと主張する主な理由は次のようなものである(以上述べた死刑廃止論者の理屈にそれぞれ対応している)。
① 人を殺した者は,自らの生命をもって罪を償うべきである。
② 一定の極悪非道な犯人に対しては死刑を科すべきであるとするのが,国民の一般的な法的確信である
③ 最高裁判所の判例上,死刑は憲法にも適合する刑罰である。
④ 誤判が許されないことは,死刑以外の刑罰についても同様である。
⑤ 死刑制度の威嚇力は犯罪抑止に必要である。
⑥ 被害者・遺族の心情からすれば死刑制度は必要である。
⑦ 凶悪な犯罪者による再犯を防止するために死刑が必要である。

以上、死刑への賛成・反対それぞれの理由についての法務省自身の意見は特に述べていないが、実際に死刑制度を存続させていることから見て、死刑賛成の世論に肩入れしていることは間違いない。もっとも、日本では2022年7月に秋葉原通り魔殺人事件の犯人を死刑執行して以来、これまでのところ死刑執行はなされていない。だが、そのことを以て、日本が事実上の死刑廃止国家を目指しているとはいえない。日本の死刑執行実務においては、時の法務大臣の意向に左右されるところが大きく、死刑執行に積極的な法務大臣が現われれば、死刑執行がなされる可能性が高まるのである。

死刑制度についての小生自身の考えはなかなか一筋縄にはいかないものがある。若い頃は、死刑制度賛成論者であった。小生の死刑制度賛成の理屈は、日本人の伝統的な精神・心情を踏まえたものだ。日本人は、応報の意識が強く、凶悪な犯罪つまり殺人を犯した者は、死を以て償わせるべきだという観念を強く抱いている。研究者の中には、平安時代には死刑がなかったという理由で、死刑が日本の伝統であることを否定する向きもあるようだが、鎌倉時代以降にはずっと死刑制度が維持されてきたのである。犯罪を死で償わせる方法は二通りあった。一つは殺されたものの家族による復讐すなわち仇討ちであり、もう一つは犯罪者に対して権力が死を賜うこと、すなわち公による死刑である。後者は主に庶民を対象に行われていた。そこには、名誉と結びついた仇討ちの思想というよりは、国家権力の刑罰権の行使という色彩が強く見られた。権力が庶民を支配・統制するための有力な手段として死刑が利用されたわけである。


しかし、国家の刑罰権という思想は、さすがに現代の世界には通用しないであろう。敗戦までは、大手を振るっていた思想であるが、いまでは誰も主張するものはいない。だからこそ、国家の刑罰権としての死刑が、他の多くの国で廃止されたのであろう。刑罰権が自然法のような堅固な基礎を持たない限り、それを合理化することは難しくなる。一方で、応報原理に基づく復讐の権利は、結構支持されるのではないか。国民はその復讐を国家が代行してくれることを前提にして、自らの復讐権を手放したのであるから、国家がそれを実行しないならば、自ら復讐する権利を復活させるべきだという意見を、ほとんどの日本人は持つのではないか。それほど日本人の死刑への支持は根強いものがある。

小生が若い頃に死刑を支持していたのは、応報原理に基づいていた。親や子を殺されたら、誰だってただですますわけにはいかない。本来なら殺した相手に復讐する権利、それは自然権といってよい、その権利を放棄したのは、国家がその権利を代行してくれると思うからだ。国家がその権利を代行しないならば、自らそれを行使することに、誰が異存を唱えることができよう。

ところが小生は年齢を重ねるにつれて、死刑にかならずしもこだわらなくなった。さすがに積極的に死刑を廃止すべきだとは言わないが、事実上廃止に近いことは容認できそうだと考えるようになった。そうした心情変化の最大の原因は、冤罪があまりにも多すぎるという事実に、深刻に向き合わざるをえなくなったからだ。死刑判決を受けながら再審無罪となった例が相次いだ。いまも、袴田事件の再審が日程に上っていて、無罪判決が出ることがほぼ確実視されている。そういう事情が小生をして、日本の死刑制度に疑念を抱かせたのである。

すでに死刑を執行された人の中にも、冤罪のケースがあるかもしれない。それを思うと、すくなくとも日本のような国では、死刑は問題を多く抱えているといわざるをえない。冤罪の可能性が全くなく、すべての死刑犯が事実に基づいて裁かれたのであれば、死刑に反対する理由はない。法務省は、冤罪はほかの罪状についてもありうるのであるから、何も死刑犯についてだけ特別扱いする必要はないなどと言っているが、それは心得違いである。法務省がそんな主張をするのは、おそらく国家刑罰権に毒されているからだろう。

日本に冤罪が多いのは、司法システムが人権尊重ではなく、国家の刑罰権を優先していることの結果だと小生は考える。一審で無罪になったケースでも、日本では検察側に上訴する権利が与えられている。英米はじめ西側諸国では、一審で無罪になった場合、検察側には上訴する権利がない。それは、英米等の司法手続きが陪審制をとっていることと関係があるが、日本でも、近年は一種の陪審制である裁判員制度が導入されたことでもあり、欧米同様の運営をしてもおかしくはない。検察側に上訴権を幅広く認めるのは、やはり国家刑罰権を前提にしているとしか考えられない。陪審制のもとでも冤罪が完全になくなるとは言えないかもしれないが、日本のように冤罪がしょっちゅう起こるという事態は回避できるはずだ。

となりの韓国で死刑が事実上廃止されるようになったのは、金大中が大統領の時以来のことだ。韓国では政治的な思惑から死刑判決が出るケースが多かった。金大中はその象徴的な例だった。そうした政治的な刑罰はやめようというので、死刑が事実上廃止されたのであった。日本では、政治的な思惑で死刑が乱用された例は、大逆事件や戦後の一連の不可解な事件などがあげられるが、最近はないようである。もう一つの隣国である中国では、死刑が幅広く行われている。なにしろ経済犯罪にも死刑が適用されるのである。これは国家刑罰権の乱用といってよいだろう。そのためか中国には、執行猶予付き死刑判決という奇妙な制度がある。




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