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柄谷行人の転向論:「ヒューモアとしての唯物論」から


転向の問題は、戦後日本の「文壇」において大きなトラウマとなったものであるから、日本の近代文学を読むことからキャリアを始めた柄谷のような男にとっては、当然避けてとおれることではなかったのであろう。柄谷自身は転向の当事者ではないので、第三者的に冷めた眼で見られる位置にいる。転向の当事者だったら、なにかしら苦い感情をともなわずに語れないことを、柄谷はそうした感情を抜きにして語れる。だが何らの参照軸もなく、だらだらと語っているわけではない。柄谷は、明示的には言っていないが、転向を倫理の問題としてとらえている。倫理とは、人間の生きざま全体にかかわるものである。単に政治とか文学の領域に限定されたものではない。人間としてのあり方そのものを規定しているものだ。そういう倫理観を柄谷はカントによって基礎づけている。だから、倫理の問題として転向を論じる柄谷は、カント主義者として語っている。

カントの倫理観は基本的には他者との関係において語られたものだ。他者を単に手段としてだけではなく、目的としても扱え、というのがカントの倫理観を明示的に語ったものだ。ところが転向の問題は、自分自身の内面にかかわることだというふうに提示されてきた。他者はとりあえず問題にならない。あくまでも自分自身に忠実であることの意味が問題とされる。そうした転向の極めて内面的で個人的な良心の問題を、他者を前提としたカントの倫理観とどのように結び付けるか。そこが、柄谷の転向論の核心的な問題となる。

「ヒューモアとしての唯物論」所収の小論「中野重治と転向」は、中野重治を材料にとって転向の問題を論じたものだ。この小論を柄谷は、大きな差異としての対立と微細な差異との区別に言及することから始めている。大きな差異としての対立は、たとえば政治と文学の対立という形をとる。転向の問題が「政治と文学の対立」をめぐるものとして始まったことからすれば、これは当を得た例題なのである。しかし中野は、転向をそうした対立の問題としては考えなかった。中野はそんな大きな差異よりも、微細な差異に拘った。同じ生き方を続けるにも、そこには微細な差異がありうる。その微細な差異を中野は「ちょっとの違い」と言っているが、そのちょっとの違いを大きな差異としての対立によって隠蔽するのは欺瞞的だと中野は言い、それに柄谷も同意するのである。。

何らかの形で転向の当事者となった文学者たちは、政治と文学とは別物であって、政治的に転向したからと言って、それは文学の価値とは関係がないと言った。そういうことでかれらは、自分自身の文学者としての価値を守ろうとしたわけである。そうした文学者の典型として柄谷は徳永直と林房雄を挙げているが、かれらは政治を排除することで文学が純粋になったと言って、自らの転向を合理化した。しかしそれは違う、と中野は考えたと柄谷はいう。転向とは、政治と文学の対立といった領域の問題ではなく、人間としての生き方に生じる微細な差異の問題だというのだ。その生き方というのは、自分に忠実であることを基準にしている。しかしその基準にもあるレベルの違いがある。そのレベルの違いを中野は「ちょっとの違い」と呼んだわけだ。ちょっとの違いですませられる間は、転向の問題に悩むことはない。しかしそれが大きな違いになると、良心がうずくような事態になる。だから転向とは単に政治と文学の対立といった外面的なことがらにかかわることではなく、自分の良心にかかわる内面的なことがらなのだ。それは、中野なりに倫理的な問題なのである。

そうした中野の問題意識を柄谷は、「何かを感じた場合、それをそのものとして解かずに他のもので押し流すことは決してしまい」という中野自身の言葉をもとに腑分けする。この言葉で中野が意味していることは、とりあえず転向に伴う良心の痛みを、政治と文学の図式の中に押し流してしまうことは欺瞞的だということであろう。良心の痛みを感じたなら、その痛みをそれ自体として解かねばならない。それを他のもので押し流すことは許されないと言っているわけであろう。

こうした中野の態度はそれなりに倫理的なものだ。そこに柄谷は倫理的なカント主義者として深い共感を覚えたのかもしれない。上述したように、カントの倫理観は基本的に他者を前提としており、したがって個人の内面は前景化しないように仕組まれている。個人の内面が前景化するのは、他者を媒介としてだ。他者を手段としてのみならず目的としても扱えというのがカントの倫理観の根本である。その根本に意識が揺らぐときにはじめて内面が前景化するようになっている。その内面はあくまでも絶対的な確率に忠実であることの上に成り立つ。他者との関係というのはとかく相対的に見られるものだが、カントの倫理的な確率は絶対的な命題という形をとる。その絶対性がカントをカントたらしめる要点だ。そうした絶対的な倫理に忠実たらんとする極めて禁欲的な姿勢を、柄谷はカントの基本的な倫理観と認め、自分もまたそれを共有していると感じるのではないか。

柄谷が中野に深い共感を覚えるのは、二人ともカント的な意味での絶対的な倫理観を共有していると感じるからだろう。中野にとっては、芸術に政治的価値と芸術的価値があるわけではない、芸術的価値の差異があるだけだ。その差異は生き方における「ちょっとした違い」に基づいている。芸術と政治とが相互に対立しあっていて、そのどちらを優先するかといった問題ではない。問題なのは、自分自身の生き方の基準である倫理観に忠実であることだ。

平野謙は、政治と文学との対立に拘った文芸評論家である。その平野がなんとか中野を理解しようとして、理解できなかったのは、中野がそうした対立の枠組みの外側に自分自身を置いていたからである。そう柄谷は言って、中野が戦後の文壇において非常にユニークな位置を占めていたと言うのである。戦後の文壇はこの(政治と文学の対立という)問題をめぐって長い間沸騰しつづけていた。この問題は、誰の目にも倫理的な性質を帯びていたので、そう単純には割り切れなかった。林房雄のように文学を政治に優先させることで対立から逃れようとするのも、平野のように政治を優先することで、非転向作家の誠実さを評価するのも、ともに問題の中心を外れている。問題は、そうした対立図式の外側に立って、その対立を無化することにある。そうした問題意識を中野は持ち続けた、と柄谷は言う。そのために中野は、なかなか理解されなかったが、そもそも理解されようとすること自体が、自分を既成のシステムの中に組み込まれさせることに他ならない。中野は政治と文学の対立というような形をとったある図式に集約されるようなシステムの外側にいることを選んだ、というのが柄谷の見立てのようである。要するに、システムについての柄谷独特の理論モデルを中野に適用したというのが、この小論の意義といえそうである。


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