知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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アリストテレスの論理学:演繹的推論と三段論法


アリストテレスが後世に影響を及ぼした業績の中でもっとも重要なものは、形式論理学である。カントは、アリストテレス以来論理学は進歩も退歩もしなかったといっているくらいである。今日においては、集合論の見地から、アリストテレスの論理学は乗り越えられ、また彼の追及した推論の形式が論理的思考の一部に過ぎないことが明らかになってきたが、それにもかかわらず、アリストテレスの論理学が歴史上に果たした役割は偉大であった。

アリストテレスは論理学を形而上学と切り離せないものとして扱っているが、「オルガノン」において、集中的な考察を試みている。それは第一の書「カテゴリー論」、第二の書「命題論」、第三の書「分析論」からなっていて、三段論法に集約される推論に関する議論は「分析論」において取り扱われている。

アリストテレスは推論を、厳密に論証されうる確実な真理を含む「必然的推論」、蓋然的で異論のある真理をあつかう「蓋然的推論」、誤ったものを正しいものに見せかける「詭弁的推論」に分け、「蓋然的推論」については「トピカ」において、「詭弁的推論」については「ソフィスト的陥穽推理」という書物の中で議論を展開している。彼が、論理学の主要な対象とするのは「必然的推論」である。

アリストテレスのいう「必然的推論」は三段論法によってもたらされる。三段論法とは演繹的推論を定式化したものであって、大前提、小前提、結論から成り立っている論証法である。たとえば、次のようなものがあげられる。

 すべての人間は死すべきものである(大前提)
 ソクラテスは人間である(小前提)
 ゆえにソクラテスは死すべきものである(結論)

三段論法にはさまざまな種類があり、スコラ学者たちはそれを精密に定式化した。大前提が肯定的な命題であるか否定的な命題であるかによって、肯定的三段論法と(上の例はそれ)、否定的三段論法に分類したほか、定言的三段論法、仮言的三段論法、選言的三段論法に分類したりもした。アリストテレスが展開しているのは、もっぱら定言的三段論法に関する議論である。

アリストテレスは、すべての演繹的推論が厳密に述べられた場合には、三段論法になると考えた。それはなるほど形式的には厳密なものであったし、人間の推論を定式化する上で偉大な業績でもあったといえる。だが、今日では三段論法以外の演繹的推論が存在することが知られており、また演繹的推論は大前提が妥当なものである限りで真理となりうるという了解がある。これらを忘れて三段論法を論じても、あまり意味がないことがわかってきたのである。

バートラント・ラッセルはアリストテレスの三段論法説に潜む問題点として、次の三点を挙げている。

たとえば「すべてのギリシャ人は人間である」という大命題があるとした場合、それは「ギリシャ人は存在する」と「もし何者かがギリシャ人であれば、それは人間である」の二つに分ける必要がある。「すべてのギリシャ人」という言葉の中には、「ギリシャ人は存在する」は当然のこととしては含意されていない。それをわれわれに納得させるのは経験に基づく帰納の結果なのだ。このことを忘れて三段論法をもてあそぶと、幽霊の類にも実在性を付与しかねない。これがラッセルのアリストテレス批判の第一点である。

次に、三段論法は演繹的推論の一つであるに過ぎない。「馬は動物である。ゆえに馬の頭は動物の頭である」という推論は三段論法ではないが、演繹的な推論にはなっている。また、数学における推論の多くは三段論法的ではない。カントはそのことを認めたうえで、数学は論理以外の原理、つまり直感を用いていると考えたのだが、ラッセルはそれを、アリストテレスに惑わされた結果の誤謬だと批判している。

さらに、アリストテレスは演繹を過大評価している、推論は演繹のみで成り立つわけではないということを、アリストテレスは閑却しているというのがラッセルの批判の第三の眼目だ。「すべての人間は死すべきものだ」という場合、われわれが本当に知っているのは、百年前にうまれた誰それは何年前に死んだ、そのほかのあるものもやはり死んだ、という個別的な知識の集積なのであって、われわれはそれらに基づいて、人間というものは死すべきものだという信念を抱いているに過ぎない。本当にそれがもたらすのは確からしさであり、蓋然的な言明なのである。だがその信念は帰納による裏づけを有している。人間の知識を増大させるのは、演繹よりも帰納のほうなのだというのが、ラッセルの意見である。

だが、演繹のみで成り立つ推論が存在することもたしかだ。その代表的なものは法律と神学であって、それらは成文法規とか聖書といったものを疑い得ない第一原理としてもち、そこからさまざまな事象について演繹的な推論を行なうのである。たとえばある国の刑法で「人を殺したものは死刑に処す」と書かれておれば、実際にその国で人を殺したものには、その法規が適用されて死刑に処せられるのである。




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