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デフレとバランスシート不況の経済学


リチャード・クー著「デフレとバランスシート不況の経済学」を読んだ。この本が書かれたのは2003年のことだが、その時点で日本はすでに10年間にもわたる長い不況にあえいでいた。その不況の根本的な原因を、著者のリチャード・クー氏は企業のバランスシートの悪化に求めた。

バランスシートと言えば、企業経営のイロハには違いないが、経済のマクロな動向とはあまり関係ないように見える。しかし大多数の企業が、なにかの原因で悪化したバランスシートを修復させようとして、一斉に調整行動に走ると、経済全体にとんでもない影響を及ぼし、その結果深刻な不況が起こる。氏はそう指摘したわけである。

そんなわけで、この本は、従来の経済学の常識では見えなかったことを、見えるようにしたという点で、画期的な業績だと思う。

リチャード・クー氏の議論は非常に単純である。日本は1990年代の最初の日に資産価値の暴落という事態に見舞われた。バブルがはじけた結果である。そのため株価は数分の一に下落し、土地の価格は86パーセントも下落した。それは当然企業のバランスシートの悪化という事態をもたらす。悪化したバランスシートを修復するために、企業は積極的な投資を一切やめ、もっぱら借金の返済に向かう。それが資金需要の不足をもたらし、深刻な不況を引き起こしたという議論である。

日本の企業は80年代までに、借金をして積極的な投資を行ってきたおかげで多額の負債を抱えてきた。一方では国民による高い貯蓄性向、他方では企業による意欲的な投資という両輪が絡み合って、日本経済は高い経済成長を実現してきたわけである。

ところが、一瞬にして資産が大幅に縮小した。その結果企業のバランスシートが悪化するのは当然である。そこで良心的な経営者ほど、負債を減らしてバランスシートを修復しようとする。これはミクロの視点では正しい行動だが、企業全体が同じ行動に走ると、合成の誤謬が働いて経済は大恐慌に陥る。

企業が一斉に借金の返済に向かうと、家計が貯蓄したお金を借りる企業がいなくなる。貯蓄されたお金はそのまま銀行に滞留して、世の中にでまわっているお金が減少する。これがデフレ・ギャップである。

デフレ・ギャップの発生によって所得がうまく流れなくなると、経済は縮小均衡への悪循環に陥る。このプロセスは誰もが貯蓄できなくなるほど貧しくなるまで続く。この縮小均衡が行き着いた地点を普通、恐慌と呼ぶ。大多数の企業がバランスシートの問題から解放されないうちは、経済の自立成長は望めない、と氏は言うのである。

氏は1930年代のアメリカの恐慌を、日本のバランスシート不況の先輩事例とみている。1929年に始まった株価の大暴落によって、当時のアメリカ企業も深刻なバランスシート問題に見舞われた。その結果、今日の日本経済と同じく、企業は債務の縮小に走り、それが需要の縮小をもたらし、経済は縮小均衡のプロセスをたどった。

悪いことに、当時のアメリカ大統領フーバーは、景気の悪化はバブルに踊った腐った部分のおかげであり、これを淘汰するのが先だとして、景気対策をうつことを拒否した。それが不況を更に深刻化させ、大恐慌と呼ばれる事態につながった。それに対して日本の場合には、比較的早くから政府による財政出動が行われた結果、1930年代のアメリカほど深刻な経済の縮小を招かずに済んだ。もし日本の政府がフーバーと同じ政策をとっていたら、ゼロ成長どころか深刻なマイナス成長を記録していただろう、と氏は言うのである。

氏の議論は単純なだけに、強く考えさせるところがある。第一、経済のマクロな動きを説明するのに、バランスシートというミクロの指標を用いるなどとは、これまで誰も考え付かなかったことだ。氏のユニークなところは、ミクロの指標が合成の誤謬を通じてマクロの部分にマイナスの効果を及ぼすことを喝破した点にある。

これまでミクロ経済学とマクロ経済学は、別々の学問分野のように扱われていたが、氏のモデルでは一体のものとして統一されるわけである。

また、ケインズ理論とマネタリズムの対立についても、一定の橋渡しをすることができる。ケインズ理論では、需要を重視するあまり、経済が好調な時点でも積極的な財政政策を主張するようなところがある。それがマネタリストの反発を買うわけだ。

マネタリストの言い分は、経済活動は市場に任せておけばうまくいくのであるから、政府はなるべく干渉を慎むべきだというものである。この主張は経済がうまくいっている時には正しい。そのような時には、経済は完全雇用に近く、資源はうまく配分されているのだから、そこに政府が介入すれば、いわゆるクラウディングアウト効果が生じて経済活動にマイナスになる。しかし、経済がうまくいかず、明らかに需要が不足しているような状態では、不足した需要を政府の支出によって補わない限り、景気は回復しないのである。

このように、需要が不足しているときにはケインズ経済学が威力を発揮し、完全雇用に近く経済が活況を呈しているときにはマネタリストの主張が正しい。というわけで、氏のモデルは、ケインズ派とマネタリストの役割分担に的確な線引きをするものなのである。

もう一つ、氏のモデルの非常に優れた点がある。それは何故需要不足が生じるかを明らかにしているという点だ。

マネタリストたちの議論にとっては、需要不足といった事態はそもそも問題とならない。一方ケインズの影響を受けたマクロ経済理論はどれも需要の不足を重視する。だが需要の不足が何故起こるかについては、必ずしも明確ではない。

筆者が今まで読んできた経済理論の中で、それを最もわかりやすく説明していたのは小野善康氏であるが、小野氏の場合には、需要の不足は、人々が財よりもお金を選考するからだと考えている。何故そうなのか、それは経済が成熟して人々の欲望が満たされているからだ、というのが答えなのである。

この考え方に立てば、人々の経済活動上の性向に大きな変動が生じない限り、新たな需要が大規模に生まれることはないという、いささか悲観的な結論となる。

ところがクー氏の理論によれば、バランスシート問題が解決すれば、経済は自然に回復に向かうということになる。回復後に大きな成長をするかどうかはわからないが、少なくとも縮小均衡のプロセスからは解放されるはずだ。というわけである。




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