知の快楽 哲学の森に遊ぶ
HOMEブログ本館東京を描く英文学ブレイク詩集仏文学万葉集漢詩プロフィール掲示板


スティグリッツ教授の経済教室


「スティグリッツ教授の経済教室」(藪下史郎、藤井清美訳、ダイアモンド社)を読んだ。スティグリッツ教授が、2003年から2007年にかけて、週刊ダイアモンド誌に月一回ペースで寄稿した記事を中心に編集したものだ。

この時代、アメリカはブッシュ政権のもとにあり、イラク戦争やグローバリゼーションを遂行するかたわら、環境問題には後ろ向きの姿勢をとり、知的財産権の過度の保護などに見られるように、貧しい国々の健康を向上させることよりも、アメリカ資本の利権を守ることに汲々としていた。この本に収められた記事は、そうした問題について、スティグリッツ教授一流の鋭い批判を展開したものである

スティグリッツ教授のブッシュ政権批判は実に徹底している。前著「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」では、IMFの市場原理主義的な政策がいかに後進国を破たんさせてきたかについて、徹底的な批判を行っていたものだが、この本ではその批判の矛先がブッシュ政権に向けられているわけなのだ。

とにかく、生半可な批判ぶりではない。教授はブッシュ政権を、「アメリカ史上最も腐敗した最も無能な政権」と断定し、その政策の誤りを徹底的に批判しているのである。

イラクへの侵攻は何の根拠もない事実をもとにしており、しかも国連の意向を無視し、単独行動主義に基づく違法な侵略行為を行った。しかもイラク人捕虜に対して非人道的な拷問を行いながら、それを恥じようともしないなど、最低のモラルしか持ち合わせていない

ブッシュの経済政策は、減税一点張りだ。減税によって国民の支出意欲を引き出すというのがその理屈だが、減税はもっぱら金持ちに有利なようになっていて、国民の消費拡大には結びつかず、政府の赤字を増やしただけだった。ブッシュはクリントン政権から受け継いだ膨大な黒字をあっという間に食いつぶしてしまったのだ。

ブッシュ政権を支えた経済官僚たちは市場原理主義者の集まりだが、彼らのやったことといえば、金融資本に儲けさせることと、グローバリゼーションと称して、アメリカン・スタンダードを世界中に、それも後進国に押し付けてきたことだ。その結果、後進国は1990年代に引き続き、アメリカからひどい目に会わされている。

グローバリゼーションといいながら、アメリカ自身が不公平な貿易政策を取っている。その最たるものは農業補助金などで、国内の農業生産物が貿易競争に耐えられるようにハンデをつけてやりながら、後進国の農産物には高い関税を課したりもしている。つまり言うこととなすこととが、アメリカほど一致していない国はないのだ。

地球環境問題では、EUや日本が中心になって京都議定書を取りまとめたが、アメリカはそれを無視している。アメリカの一国中心主義は環境問題にとどまらず、あらゆる分野で顕著であるが、それを一層推し進めてきたのがブッシュ政権なのだ。

許せないのは、地球温暖化の結果北極の氷が解けている事態を前に、アメリカの石油業界の責任者がこれは新たなビジネスチャンスだとはしゃぎだし、ブッシュ政権がそれに同調していることだ。アラスカや北極圏の自然を破壊する権利を議会に請願しなくても、海底を自由に開発できるからというわけだ。

ブッシュ政権は民主主義の拡大を外交政策の中心に据えているが、実際にやっていることは、民主主義に敵対するようなことばかりだ。たとえばサウジアラビアで女性の権利がふみにじられている事態には目をつぶり、パキスタンの軍事独裁者を支持している。ロシアにおけるメディアの集中化については懸念を表明するが、イタリアのそれについては沈黙している、といった具合だ。そこからして教授は、ブッシュは民主主義を理解していないと断罪した。

こんな具合で、ブッシュ政権に対するスティグリッツ教授の攻撃は相当に辛辣だ。それは、教授が民主主義の価値について、あるいはあるべき経済政策のあり方について、確固とした信念を持っているからだ。教授はその信念に照らして、ブッシュ政権の非民主主義的な政治体制や、市場原理主義的な経済政策を批判するわけなのだ。

教授のそうした態度を見て、筆者などは社会科学が持つべき党派性の一つの模範を見る気がしたものである。政治学や経済学は、社会科学である限り、科学としての学問性に考慮を払うべきであり、したがって党派的な態度を持ちこむことは望ましくないとの考えが強い中で、あえて党派性を持ち込むことで、社会科学に時代を批判する力を持たせようとする教授の姿勢には、共感できるものがある。




HOME経済を読む






作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2013
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである