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猪木武徳「戦後世界経済史」を読む


猪木武徳氏の「戦後世界経済史」(中公新書)を読んだ。20世紀の百年間を展望しつつ、1945年からの約半世紀の間に世界で進行した経済発展の状況を俯瞰したものだ。地球規模の発展というグローバルな視点からの概観を縦糸に、欧米、アジア、社会主義経済圏といった地域的分析を横糸に、この半世紀に世界経済がどのように発展してきたかを総合的に解釈したものだ。

一言でいえば、この期間は経済が地球規模で飛躍的に発展した時期だ。この期間における経済発展のすさまじさは、人口の爆発的な増加に読みとることができる。国連の人口統計によれば、1950年から2000年までの半世紀に地球上の人口は25億人から60億人に増加した。実に50年間に2.4倍になった計算だ。これは人類の歴史上かつてなかった爆発的な増加だ。こうした増加が可能になったのは、いうまでもなく経済の発展が伴っていたからだ。

戦後世界経済の歴史は、こうした事態を可能にした直線的な発展の過程だったかと云うと、著書はそう簡単なものでもないという。たしかに経済は拡大に向かって発展してきたが、その拡大が各国に均等に行き渡ったわけではなく、また先進資本主義国の内部においても、ストレートに前進してきたわけではない。そこには過剰と不足の共存と云った事態があり、また格差の拡大といった事態があり、それらが世界の経済と政治に様々なインパクトをあたえ続けてきた、こう理解するわけである。

著者が戦後の世界経済の発展を分析する際に意図的に適用した視点が五つあるという。それらの視点を常に意識しながら、世界経済の動きを縦糸と横糸それぞれにそって腑分けしていこうとする姿勢である。

一つ目は「市場化の動きと公共部門の拡大」というものだ。これは、それまで市場の外で動いていた経済活動(家計部門はその典型)が市場の中に取り込まれる現象、つまり市場化の拡大がどのように進んできたかに目を向けつつ、その過程で政府部門がどのように肥大化してきたかを分析する視点である。

この半世紀の世界経済の動きをもっとも要領を得た言葉で特徴づけると、市場化の拡大と政府部門の肥大化ということになるのだろう。いまや、市場化の動きはかつての家事労働の部門を呑み込むような勢いだ。人間の経済生活で市場の外にある部分は次第になくなりつつある。

一方で、政府部門の役割が肥大化してきている。アメリカについてみると、一般政府収入の総計は20世紀初頭にはGDPの一割に満たなかったものが、20世紀末には4割近くまで肥大化している。ちなみに日本は過去20年についてみると、OECD諸国中政府部門の割合が最も低いグループに属する。その日本を含めて、20世紀後半の半世紀は、全体の趨勢として政府部門の肥大化が見られたと結論付けることができる。

二つ目はグローバリゼーションの動きである。20世紀前半が保護主義の支配するブロック化経済の時代であったとすれば、後半の半世紀はグローバリゼーションの進行する時代であったということができる。

グンローバリゼーションはたんに貿易の自由化にとどまらず、資本や労働をも含めてあらゆる経済関係に国境の壁をなくそうというものである。これはアメリカの経済力とある程度リンクしながら起きてきた。ドルが基軸通貨となるに従い、アメリカは世界中を市場として経済活動を展開するようになり、これがグローバリゼーションの進行をもたらしたことは否めない。

近年になると、旧社会主義経済圏が崩壊し、東アジアや中国などの経済力が飛躍的に高まってきたことを背景にして、グローバリゼーションは新しい様相も呈してきた。

しかしグローバリゼーションは、地球上から国家と云う枠組みがなくならない限り、資本の論理と政治の論理との軋轢を生みだすことにもなる。国家を超えたものや金の自由な動きが、ある国に対してはプラスの効果をもたらし、ある国に対してはマイナスの効果をもたらす。その結果グローバリゼーションが自分にとっては貧困化の符牒となる、そう感じる人々も現れるわけだ。

今問題となっているTPPを巡る動きなどは、その矛盾が噴出していることの端的な現れだろう。

三つ目は所得分配にかかわるもので、所得分配の不平等がどのように格差を生み出し、それが階層や社会集団といったものにどのような影響を与えてきたかというものだ。

格差の拡大が消費活動のパターンの変化などを通じて経済活動に一定の影響を与えることは注目されている。それ以上に格差の拡大は、社会の不安定化につながる要因となる。安定した社会とは中産階級が多数を占めるような比較的等質な社会だという理解は、いまや各国の政治家たちの大前提にもなっている。

格差の拡大をもたらす最大の要因として、グローバリゼーションをあげる人々がある。先進国においても、新興国からの輸入の増加が、先進国内部の低賃金労働への需要を減少させ、その結果、先進国の労働者の賃金水準がますます低下させられると、彼らは見ている。ここから反グローバリズムを標榜する様々な運動が育ってくるわけである。

四つめは、グローバリゼーションとも関連するが、グローバル・ガバナンスをめぐる問題である。グローバル・ガバナンスとは、各国間の経済活動のルールを策定・監視するような役割である。現在では、国連、IMF、世界銀行と云った国際機関が、このグローバル・ガバナンスにあたっている。

グローバル・ガバナンスを担当する国際機関の最大の問題は、悪しき官僚制だといわれる。こうした国際機関では民主的手続きのルールは不完全で不透明であり、たびたび癒着や賄賂と云ったことがおこる。これは過去30年間ほどの間に生じたアメリカの政治的・経済的地位の相対的低下と関連している、と著者はみている。

五つめは、市場の設計と信頼の問題である。資本主義的自由経済の本質的な要素は、経済活動の参加者たちが市場に寄せる信頼であるという信念は、アダム・スミスの時代から経済学の出発点ともいえるものだった。計画経済や専制社会では、ルールを決め命令するのは為政者たちだ。そこには猜疑心や無力感が支配し、人々の間で真の信頼関係が成立することはない。ところが自由な経済活動は、互いの間の信頼関係があってこそ初めて成り立つ。

この問題を戦後半世紀の世界経済に当てはめてみるとどうなるか。一方ではグローバリゼーションが進行して、国境を超えた信頼関係の構築が求められるとともに、国家の役割が肥大化して、計画経済的な要素も拡大してきた。社会主義経済の壮大な実験も行われた。

その結果を踏まえ著者は、市場がうまく機能し、それへの信頼が大きな社会ほど経済的な発展を遂げてきたと結論する。経済と云うものは、人間の知恵に余る怪物なのであり、しかも自律的な動きをするものだ。その動きを踏まえた活動こそが、発展をとげることができる。

以上五つの視点は、著者が縦糸、横糸を論ずる際に耐えず参照されているといえる。たとえば社会主義圏の経済の動きを分析するに際して、社会主義経済がいきづまったのは、それが市場の不在に基づいたものだったから、それ故経済活動に信頼というものが欠けていた、そこが今般的な問題だったと評価する場面などである。

またEUの最近の動きについては、それが一種のブロック化として始まりながら、地球規模のグローバリゼーションの流れを前にして、いつまでも内向きの体制でいられるはずがない、したがって必ず他の経済圏との間で開放的な関係を築いていかざるを得ないはずだ、そういった展望にもつながっているようなのだ。




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