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権力の分立(チェック&バランス):ロックの政治思想


国家権力の構成要素は、立法、行政、司法の三権からなるが、これらを異なる機関に分担させ、相互の間に牽制とバランスを計ろうとする思想は、近代の民主主義政治にとって基本的な枠組になっている。それはイギリスの政治的伝統から生み出されてきたものであり、今日ではアメリカを典型として、民主主義を標榜する世界中の国々の政治体制に組み込まれている。

ロックは、この権力分立の思想を始めて明確に主張した人物だった。とはいえロックが念頭に置いていたのは、立法と行政であり、司法のことはほとんど問題意識になかったといってよい。

ロックはなぜ権力の分立にこだわったのか。それは国王による専制政治への深い反省の上に立っていたのである。イギリスの政治的伝統にあっては、行政権は長い間国王が独占していた。これに対して民意を代表するのが議会であった。議会は歴史の節々で国王への反抗を試み、国王による専制を阻止してきた。だから権力の分立とはロックにとって、国王による行政をなるべく民意に基づかせるための保証であったといえる。

ロックの先駆者で社会契約による国家の形成を説いたホッブスは、契約の結果いったん国家が成立すると、権力は絶対的なものとなり、なんら外的な制約をうけないとする立場をとった。ホッブスにとっては、権力は一体的であって、内部に分裂ないし分立の要素はもたない。この点で権力に対する両者の見方は180度異なる。

この相違は、国王の政治権力に対する両者のスタンスの違いに基づいている。ホッブスもやはり、議会による国王の牽制ということには気づいていたが、それがよいこととは考えなかった。逆にピューリタン革命の混乱が生じたのは、権力が国王と貴族・人民との間に分裂していたからだと考えた。ホッブスは権力の分立が無政府状態をもたらし、その結果内乱がおこるようなことになるのだから、そのような事態を封じるためにも、権力は一体でなければならないと主張したのである。つまりアナーキーよりはできの悪い専制国家のほうがましだと思ったわけである。

これに対してロックは、国王による専制の方が我慢できなかった。専制の最たるものは、人民の同意なしに財産を取り上げることである。ロックは財産を故なき略取から守るために、議会による国王の牽制が十分に働くことを期待した。

こうしたロックの考え方は、18世紀フランスの啓蒙思想家たちに大きな影響を与え、その運動のなかからフランス革命の精神が育っていく。とりわけ重要なのはモンテスキューの理論である。モンテスキューはロックが取り上げた立法と行政の分立に加え、司法をも取り込んで、三権の分立を説いた。

もっともフランス革命の結果は、ジャコバンによる立法の独裁とも言うべき事態をもたらした。モンテスキューの思想は、続いて起こったアメリカ独立革命の精神の中に引き継がれるのである。

ところでその後の歴史が明らかにしていることは、行政権が専制君主の手から離れていったということである。アメリカには始めからそんなものは存在しなかったし、イギリスでは行政権は議会から選出された代表者が行使するようになった。だから立法と行政のチェック&バランスはロックの時代とは様相を異にするようになった。それに司法が独自の権威を主張するようになったので、今日の三権分立のあり方は、ロックやモンテスキューが考えていたものとは大いに違った内実を持つようになったといわねばならない。





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