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保守革命と新保守主義


冷戦終結後に登場したサッチャーやレーガンの政権を、「新保守主義」ということができる。新保守主義はやがて国境を越えて広がり、日本にも押し寄せてきた(小泉政権)が、その登場は革命的といってもよいような衝撃を伴っていた。その衝撃の大きさを、政治学者の森政稔氏は「保守革命」と表現している(「変貌する民主主義」)。

「保守革命」という言葉には二重の意味が込められているようである。ひとつには、その結果現れた「新保守主義」が、伝統的な保守主義と断絶しているということ、もうひとつには、それまで誰の目にも明らかだと思われていた歴史の潮流が、これをきっかけに大きく流れを変えたということだ。

冷戦時代までの伝統的な保守主義は、ある程度社民的な政策を受け入れていた。福祉国家的な政策は、決して望ましいものではないが、しかし、それで社会の安定が図れるのであれば、それに協力するのは、貴族や富者の「高貴な義務」だと考えたわけである。ところが、「新保守主義」では、こうした社民的な考え方が、世の中を堕落させるものだとして、改めて攻撃の対象となったのである。

また、冷戦時代までは、歴史の大きな流れは、社会的な権利の拡大とそれを支える政府の肥大化として捉えられてきた。ところが、「新保守主義」は、小さな政府と個人の自立を主張するようになる。つまり歴史の流れを、まるで反対の方向に誘導しなおそうとするわけである。

「新保守主義」のこうした立場が、冷戦の崩壊によって、社会主義の脅威を恐れる必要がなくなったことに起因しているという筆者の見立てについては、前稿で指摘したとおりである。

このような「新保守主義」の特徴を、森氏は次のように要約している。

「新保守主義は、安定を失った社会への批判にさいして、家族・宗教・コミュニティ・女性の伝統的役割といったノスタルジーを喚起しやすい対象を持ち出す点で文化的保守主義の傾向を持つと同時に、経済政策においては大きな政府の批判、規制撤廃、民営化などを要求する新自由主義としての側面を兼ね備えている」

こうした側面は、サッチャーやレーガンの政権を特徴付けていたほかに、2000年代の日本の小泉政権の特徴でもあり、現在の安倍政権も、それを部分的に引き継いでいる。部分的にというのは、安倍政権は自民党のお家芸であった公共事業のばらまき政策を棄てきれないと見えて、一方では規制緩和や小さな政府に繋がる政策をぶち上げながら、あいかわらず大きな政府を許容しているからである。

興味深いのは、この文化的保守主義と経済的な新自由主義とが、かならずしもしっくりと融合していないことである。たとえば、新自由主義的な政策によって、資本主義的衝動を無制限に開放すれば、家族、コミュニティ、宗教といった、伝統的な文化的保守主義が擁護していたものの地盤を掘り崩すことにつながる。

また、新自由主義は、政府の介入を敵視するあまり、政府そのものの存在を否定するような極論を生み出す素地があるといえるが、そうした側面はアナーキズムの許容と国家の否定につながりかねず、その点で、伝統的保守主義の中核的な理念である、国家を中心にしたナショナリズムと衝突することともなる。

このような矛盾がありながら、新保守主義がますますはびこるようになったのは、矛盾しあうさまざまな要素が、かえって多様な階層から支持を得る上でプラスになったからだと森氏は分析している。新保守主義にとっては、当面の敵としてリベラルや左翼の連中を名指し、これらの敵との間で差別化をはかることが唯一の行動基準となる。政策の具体的な中身ではなく、敵か味方かという選択肢が行動の規範となるわけである。味方のすることはすべてが正しく、敵のすることはことごとく間違っている、というわけである。こうした単純な選択肢は、日本の小泉政権も好んで活用したところであり、いまの安倍政権もその轍を踏んでいる。こうして見れば、新保守主義は、ポピュリズムとしての性格も備えているといえそうである。

ともあれ、保守革命による新保守主義の登場は、「左右の対立軸、争点の構成のされ方、さらにそれらの背景にある文化的要因において、決定的な断絶をもたらした」と森氏は結論付けている。なぜそうなったかについては、多言を要しないと思う。結局、社会主義というもうひとつの体制が消えて、我が身を客観的に見る上で有用な参照軸がなくなったおかげで、資本主義が暴走を始めたということなのだろう。新保守主義とは暴走する資本主義の自己主張といえるのではないか。





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