知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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民主主義とポピュリズム


サッチャー、レーガン、小泉らのいわゆる新保守主義的な政権が、一方ではポピュリズムの性格を持っていたことはよく指摘されることである。ポピュリズムの定義は必ずしも明らかではなく、民主主義との関連も多義的であるが、ゆるやかに解釈すると、政治と民衆とをストレートにつなげようとする動きだといえよう。民衆の要求をストレートに政治に反映させようとする点で、民衆による下からの運動という形態をとることもあろうし、あるいは民衆の要求を上から吸い上げる形をとることもあろう。いずれにしても、政治を民衆にとって身近なものにする試み、それがポピュリズムだと言えなくもない。

大嶽秀夫や森政稔といった日本のポピュリズム研究者は、レーガンや小泉らの新保守主義的なポピュリズムを19世紀アメリカのポピュリズム運動や20世紀半ばの中南米のポピュリズムと比較しながら、その特徴を分析している。19世紀アメリカのポピュリズム運動は、西部や南部の農民を主体にした運動で、工業化の進展から取り残され貧困化していく人々の経済的な要求を中心としたものだった。アルゼンチンのペロン政権に代表される20世紀半ばの中南米のポピュリズムは、大衆に直接訴えかけ、その要求を直接汲み取ろうと約束することに特徴があった。これらのポピュリズム運動は、下からの直接的な運動という形をとるにせよ、指導者による組織化という形をとるにせよ、大衆の下からのエネルギーに支えられていたと言える。

これに対して、新保守主義的な新しいタイプのポピュリズムは、上から大衆のエネルギーを操作するという特徴を色濃くもっている。大衆の下からのエネルギーに支えられているというより、そのエネルギーを自分の権力のために上から利用するという側面が露骨に表れているのである。

古いタイプのポピュリズムにおいては、具体的な政治的・経済的な要求が運動を突き動かしていた。なぜならその担い手が、工業化に取り残された農民層であったり、発展途上国の貧しい民衆であったりすることから、勢い具体的な要求が前面に出てきたわけである。ところが、新しいタイプのポピュリズムは、発展途上国ではなく、先進資本主義国を中心に起きている。大衆を構成するのは一枚岩の階層ではなく雑多な階層であり、彼らの政治的・経済的利害も多様である。そうした大衆を相手にしてポピュリズム的な操作を行うためには、特有のレトリックが必要となる。

そのレトリックとは、大衆の誰の目にもわかりやすい敵を示してやることである。その敵は、社会のどの階層にとっても共通の敵であることが必要である。共通の敵に対しては、人間というものは共同して当たることができるからである。そのような敵として、サッチャーはイギリス病の元凶となった福祉社会とその推進者たちをあげ、レーガンはアメリカのよき伝統を破壊したリベラルたちを上げ、小泉は既得権益にしがみつく抵抗勢力をあげたわけである。こうした敵は姿もはっきりしていて、しかも、叩きやすいという側面を持っていたので、大衆は喜んで敵のつるし上げに参加できたのである。

しかし、覚めた目で見れば、大衆が共通の敵であると思っていたものが、じつは実体のはっきりしない幽霊のようにも見えてくる。たとえば小泉の言った抵抗勢力。これを小泉は社会全体の敵であるかのように表現していたわけだが、よくよく見れば、小泉にとっての当面の敵であったにすぎないと、今となっては言うこともできる。なんのことはない、大衆は小泉のレトリックに乗せられて、幽霊に過ぎないものを実在する怪物と取り違えていた可能性が大きいのである。

確かなこととして言えるのは、小泉がポピュリスト的マヌーバーを駆使して実行した政策が、社会の諸階層に不均等な効果を及ぼしたということである。その新自由主義的な政策によって、金持ちたちは投資機会が拡大して金儲けに繋がっただろうが、勤労者のほうは、非正規雇用が拡大するなどして、貧困化する事態に直面した。このように、もっぱら不利益ばかり蒙ることになる階層からも支持を集めている、というのが新しいポピュリズムの特徴なのであるが、なぜそんなことが可能なのか、それはよくわかっていない。

もうひとつわからないのは、新しいタイプのポピュリストたちが、どちらかというと尊大な姿勢をとり、大衆を見下すような態度をとっているにかかわらず、大衆がそれを問題にしないことである。古いタイプのポピュリストは大衆におもねることが最大の特徴とされたが、新しいタイプのポピュリストは、必ずしも支持者の利益におもねるわけではなく、むしろ犠牲を要求するなど高慢な態度をとることもある。それを大衆は黙々として受け入れる、という光景は尋常の眺めとは言えないだろう。

次に問題なのは、こうしたポピュリズムが民主主義にとってどのような意味を持つのかということである。ポピュリスト的指導者は、自分が民衆の要求にストレートに応えていることを理由に、それが民主主義だという言い方をするが、彼らの実施する政策が、民衆の間に均等な効果を及ぼさず、むしろ不平等を拡大する傾向が強いことは上述したことからもわかる。つまり、ポピュリストたちは、民主主義の名のもとに大衆を動員しながら、実際に行っていることは、民主主義の地盤を掘り崩すようなことだ、と言えなくもない。

このことに関連して、森政稔は「民主主義的な支持を利用する非民主的な体制」について論じている。「歴史上、社会の諸利益が政治へ表出される安定した通路がうまく機能しなくなったときは、権威主義的な体制が成立しやすいことが知られている。社会の諸利益を超出して、そのいかなる利益にも属さないことを標榜するカリスマ的指導者が、自分こそが全体の利益を体現する者であるとして、党派を超えた支持を獲得するケースである」(変貌する民主主義)といって、ポピュリズムが全体主義を呼び込む危険性について言及しているわけだが、たしかにそのような危険性については十分に考慮する必要があろう。

更に、なぜ現代の先進資本主義社会にポピュリズムがあらわれたのか、ということが問題になる。これについては、上述のように、「社会の諸利益が政治へ表出される安定した通路がうまく機能しなくなった」事態と関連していると、とりあえず指摘することができようが、その背景には、新自由主義を中核とする新保守主義的な風潮の蔓延と、それを梃子とするグローバル化の進行があるものと考えられよう。グローバル化の進行は、一見国境の壁を壊すかのように見えるが、その実あらたな形のナショナリズムを生み出している、ということについては前稿で触れたとおりである。ナショナリズムは、味方と敵の二項対立を強烈に意識させるものであり、その点でポピュリズムと親縁の関係にあるといってよい。

グローバル化とナショナリズムが奇妙に絡み合った現象として、森政稔はサッカーのフーリガンを上げている。いまやサッカーほど国際的なスポーツはなく、したがってグローバル化の時代におけるもっともポピュラーなスポーツであるわけだが、ここに登場したフーリガンと呼ばれる群集が、国際化時代におけるナショナリズムの感情をもっとも強烈な形で表出しているというのである。彼らは敵と味方を峻別し、敵に対しては徹底的に不寛容である一方、味方の敗北に対しても不寛容である。このようなフーリガンたちの熱狂とシニシズムの共存は、政治の世界におけるポピュリズムと通じ合っている、と森はいうわけなのである。





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