知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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アメリカの保守とリベラル


西欧諸国の今日における政治状況をごく大まかに定義づけるとすれば、保守主義対社民主義の対立ということになろう。この場合、社民主義には各国を通じて理念の共通性を指摘することが出来るが、保守主義と言うのは、各国それぞれに多様でありうる。というのも保守主義と言うのは、伝統的な価値観を尊重するということを最大の特徴としており、その伝統的な価値観と言うものが、国によってそれぞれ異なるからである。したがって、社民主義者は国境を超えて団結することができるが、保守主義者はかならずしもそういうわけにはいかない。

とはいえ、西欧の保守主義にも最低限の共通性を指摘できないわけではない。それは、平等よりも個人の自立を、自由よりも権威を重視するという立場だ。これを始めて唱えたのはエドモンド・バークだった。バークは、フランス革命の混乱を批判する中から、自由と平等の行き過ぎに警鐘を鳴らし、民主主義による混乱よりも伝統的な価値観にもとづく社会の安定と言うものを優先させたのであった。以後バークのこの考え方は、西欧諸国の保守主義にとって、最大公約数ともいえる思想となった。

ところが、この西欧的な意味合いにおける保守主義というものは、アメリカの政治状況では成立しえなかった。何故なら、アメリカは自由と平等、人民主権を建国の理念として成立した人工国家であり、そもそも西欧の保守主義者たちが強調した古い伝統とか権威主義的な社会秩序といったものは存在しなかったからである。

こういっているのは、保守の論客として名高い佐々木毅氏である。氏は、「アメリカの保守とリベラル」と題する著作の中で、アメリカの保守思想のユニークさと、その対立軸としてのリベラリズムがいかに西欧の社民主義とは異なった役割を果たしてきたかについて、歴史的なパースペクティブのもとに展開して見せてくれる。

氏によれば、「アメリカの保守主義という場合、それは自由主義や人民主権と言う大前提を否定するものではなく、むしろ、それを受け入れる形で成立してくるという構造になる。いわば、リベラリズム対保守主義という対立はこの一つの共通の大原則を受け入れた上での対立であり、他の国とは議論の位相がずれていたのであった」ということになる。

つまりアメリカの政治状況は自由と民主主義と言う共通の土台の上で、個人と政府との関係をどうとらえるか、という問題を巡って展開してきたということになる。そうしたなかで、個人の自由を強調し、政府の役割を最小限にとどめようとする方向が保守主義、格差をなくし個人間の平等を実現するために政府の積極的な役割を認めようとする方向がリベラル、という形になってきた。その過程で、西欧では保守主義と結びつきやすいリベラルと言う言葉が、アメリカでは社民的な政策と結びついてきたわけである。

それ故、政府の役割を最小化し、個人の自由放任を強調するミルトン・フリードマンのような男は、アメリカでは保守主義者ということになる。ところがフリードマン本人はこの言葉が気に入らない。個人の自由を尊重する自分のようなリベラルな人間が、何故保守主義者と呼ばれるのか、理解できないというわけである。それはフリードマンが、保守主義とリベラルの対立を西欧風のコンテクストで解釈していることによるのであり、アメリカ人でありながら、アメリカの政治状況が良くわかっていなかったということを物語っている。

その辺の事情について氏は、「アメリカにおけるこの保守主義とリベラルの対立は19世紀ヨーロッパにおけるその対立とは全く違い、広い意味での自由主義原理の解釈と理解をめぐる対立であり、その意味でアメリカ独特の構造を持っていた。いわば、自由主義の内乱・内紛であり、その正しい理解をめぐる熾烈な戦いであった」と総括している。

以上のような問題設定に立ったうえで氏は現代アメリカの政治状況を、保守=共和党とリベラル=民主党の対立と政権交代を軸にして分析していく。共和党政府のもとでは小さな政府が目指され、減税と支出削減が叫ばれる一方、民主党政権のもとでは大きな政府が目指され、福祉政策と増税が進行するという、あのおなじみの構図が繰り返されるのを、われわれ読者は改めて指摘されるであろう。

この著作はクリントン政権の登場の所で終わっているが、その時点での氏の問題意識は、冷戦が終了したことによる、アメリカ政治の変質ということであった。つまり、ソ連と言う敵を失った結果、アメリカの保守主義に深刻な影響が及び、その結果保守の解体と言うべき状況が現れつつあるという問題意識である。クリントンの登場は、保守の解体のみならず、リベラルの変質をももたらした。それは保守でもリベラルでもない第三の政策をと訴えたクリントンの言葉にも表れている、と氏は指摘する。つまりアメリカは、冷戦後の世界秩序を踏まえて、新たな対立軸の構築に向かって、歩み始めたのではないかというわけなのである。

この本は広いパースペクティブから書かれているので、それを読むと政治について様々に考えさせられる。西欧とアメリカの政治状況の分析からは、いきおい日本の政治状況への問題関心がそそのかされる。西欧が保守対社民、アメリカが保守対リベラルの対立構図を取っているとしたならば、日本についてはどうなのか。

自民党政権下では、日本の政治状況には政党間の有効な対立軸は存在しなかったといってもよい。自民党だけが圧倒的な存在で、野党はついに政権をとれなかったことにそれは表れていた。しかし政党間の有効な対立軸がなかったかわりに、自民党内には様々な政治勢力が共存し、そこから疑似対立軸というようなものが生まれてはいた。つまり、党内派閥間の抗争と言う形で、保守主義者たちとリベラリストたちがしのぎを削っていたわけである。他の先進諸国では、政党間に割り振られた政治理念のメニューを自民党が一括販売していたようなものである。

2009年の民主党政権の登場は、自民党の自滅による敵失の結果ではあったが、日本にも欧米並みの対立軸が出来上がるかと期待させたところだが、結局それは期待外れに終わった。それは民主党の方も自民党に劣らぬほど雑多な勢力の寄り合い所帯で、政治理念を明確に示せなかったことの結果だったといえる。

さてアメリカに話をもどすと、最近では共和党の混迷ぶりが目立っているように思える。その混迷は、共和党内の保守勢力がますます影響力を高めてきていることによるのだと思われる。共和党内の保守勢力は持てる者の既得権をことさらに強調する一方、人工妊娠中絶や同性愛の問題をめぐってますます頑迷化している。そのことで国民政党としての体裁を失いつつある。いまや共和党は富める者の政党と言う意味で、一種の階級政党に傾いているといえる。

さて、日本の今の自民党政権をアメリカの政治状況にことよせてみれば、一方では伝統回帰を強め、その点では右傾化と言ってもよいような保守化現象を示していながら、経済政策ではリベラルがやるようなことをやっている。そういう意味では非常にわかりづらいし、国際的な常識からも逸脱しているといえる。伝統的価値観を強調し国民の自主自立を云々するのであれば、小さな政府とか財政規律を重視するのが当たり前であるのに、安倍政権は政府の歳出規模を際限なく拡大しようとしている。国際的な感覚からすれば、安倍自民党政権は保守とリベラル(あるいは社民)が同居した鵺のような形に見えるのに違いない。




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