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土井敏邦「アメリカのユダヤ人」


著者の土井敏邦は中東問題に詳しいジャーナリスト。イスラエルやパレスチナに滞在して、現地の状況を肌で観察してきたようだ。その結果抱いた印象は、「武力にものを言わせて、パレスチナ人を高圧的な態度で尋問し、暴行を加え、明確な理由もなく連行し、いとも簡単に銃口を住民に向ける、高慢で傍若無人の若いユダヤ兵」の姿に集約されるという。「この占領の実態を知れば知るほど、"ホロコースト"の悲劇を世界に向けて訴え続けるユダヤ人たちの声が、現在進行しているパレスチナ人に対する抑圧をカモフラージュするための"攪乱の叫び"のようにさえ聞こえてくる」というのだ。

イスラエルのそうした傲慢さを支えているのはアメリカだ。アメリカはイスラエルに対して巨額の援助をするほか、ほとんどあらゆる点で、イスラエルを応援している。それがパレスチナ人はもとより、アラブ世界全体に対するイスラエルの優位をもたらしている。その背景には、アメリカの政治へのユダヤ人の影響があるのだと土井は見ているようだ。ユダヤ人はアメリカ国民のわずか三パーセントを占めるに過ぎないが、アメリカの中東政策を左右している。それは何故可能なのか。そういう問題意識から、土井はこの本を書いたようである。

ジャーナリストであるから、関係する人々へのインタビューを中心にした直接の取材をもとに書いている。だから臨場感がある。時には、著者自身の感情もリアルに伝わって来る。著者は、ユダヤ人とアラブ人のどちらの立場にも偏ることなく、なるべく公平にものを見ようと心掛けている様子が伝わっても来るが、なにせ事柄の性質からして、ユダヤ人とイスラエルに厳しく傾くことは避けられない。事柄の性質というのは、イスラエルが一方的にパレスチナ人を迫害していることの非人道性ということだ。

著者はまず、ユダヤ人の団結に注目している。イスラエルの力の源は、ユダヤ人の民族的なアイデンティティと団結に根差していると見ている。それがあるために、アメリカのユダヤ人はアメリカ政府に働きかけて、イスラエル寄りの姿勢を取らせることに成功しているというのだ。アメリカのユダヤ人は、さまざまな手段を通じてアメリカの政治に影響を及ぼしている。なかでももっとも注目すべきは、政治家への献金と反ユダヤ的な政治家の排除だという。イスラエルに好意的な政治家に多額の献金をする一方、イスラエルに批判的な政治家は、さまざまな手段を使って排除しようとする。それは常に成功するとは限らないが、標的とされた政治家にはかなりのダメージになる。そんなことから、アメリカの政治家たちは、ユダヤ人勢力に対して恐怖を感じるというのだ。つまりアメリカのユダヤ人は、アメとムチの両方を通じて、政治家たちをコントロールしているというのだ。

アメリカのユダヤ人たちがイスラエルの擁護に熱心になるには、それなりの背景があると土井は見ている。アメリカのユダヤ人たちは、ヨーロッパでの迫害を逃れてアメリカへやってきたということもある。そういう立場から見れば、イスラエルは、ユダヤ人が最後に頼れる安全地帯なのだ。いつ何時、ふたたびユダヤ人への迫害が大規模に起こらないとも限らない。そういう時にイスラエルは避難場所になれるというのだ。彼らにとってイスラエルは、民族が最後のよりどころとできる地なのである。だからイスラエルはあらゆる犠牲を払っても死守せねばならない。アラブ側は何度負けても復活できるが、イスラエルは一度負ければ最後だ。地中海に追い落とされてしまう。そういう恐怖があるから、イスラエルのユダヤ人は死に物ぐるいで戦うのであるし、アメリカのユダヤ人もそれを応援するというわけである。

とはいっても、それはパレスチナ人への抑圧を正当化できるわけではない、と土井は考えているようだ。しかし、イスラエルのユダヤ人にしても、アメリカのユダヤ人にしても、そのほとんどはパレスチナ人のことなど考えていない。自分たちユダヤ人の都合にとって、パレスチナ人のことなど全く問題にならない、といった態度をとっている。その一つの典型として、土井はアメリカのユダヤ人団体の幹部の意見を紹介している。その幹部は、パレスチナ人はほかのアラブ国家に吸収されるべきであって、イスラエルからもその占領地からも消えてしまうのが正しい、というふうに考えている。つまり自分たちがパレスチナ人に対して侵略者として振る舞っているという意識はなく、パレスチナ人がユダヤ人の幸福の為に消えていなくなることは当然だと考えているのである。

アメリカのユダヤ人の中には、パレスチナ人に同情的な人もいる。イスラエルは1967年に占領した土地をパレスチナ人に返して、イスラエルとパレスチナとの共存を図るべきだと主張する人もいるが、しかしそういう意見は、アメリカのユダヤ人の中でも少数意見だ。だから、イスラエルによる西岸とガザの占領はなかなか終わらない。著者の土井としては、イスラエルとパレスチナの二国家共存がもっとも現実的で、また望ましい解決策であるが、主にイスラエル側の勝手な行動によって阻まれていると土井は考えているようだ。

土井がこの本を書いたのは1991年のことだ。当時は第一次インティファーダの直後で、パレスチナ問題について世界的に関心が高まっていた。そのすぐあとの1993年にはオスロ合意がなされている。そういう時期にもかかわらず、パレスチナ問題の解決は非常にむつかしいと、土井のような人にも思われていたということが、この本からは伝わってくる。まして21世紀の現在においては、パレスチナ問題の解決はいっそう遠のいてしまったようである。ネタニヤフのイスラエルには、パレスチナ人国家を認める気持ちはいささかもないように見受けられる。




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