知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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フリーダとベーピー:カフカ「城」を読む


カフカの小説に出てくる女性には、一定の共通パターンがある。どの女性も、主人公にとってゆきずりの関係にある。複数の女性たちが出てくる中で、群を抜いて重要な役割を演じる女性はいるにはいるが、それらの女性にしても、最後まで主人公と運命を共にしない。だいたいが途中でいなくなってしまうのだ。それもかなり唐突な感じで。「アメリカ」の場合には、主人公の保護者を買って出たホテルの年長の女性がそうだし、「審判」の場合には弁護士の看護婦を勤めているレーニがそうだった。「城」の場合には、フリーダがそれにあたる。フリーだがいなくなった後はベーピーがその穴を埋めるように登場するが、これも主人公にとっては決定的な意味を持つ女性にはなりえず、いつの間にか消えてゆく運命にあるように思われる。唯一の例外は「変身」の妹だが、これはたまたま同胞としての役柄なのであって、かならずしも女性である必然的な理由はないように思われる。こんなわけでカフカの女性たちは、主人公の運命にとっては、ゆきずりの非本質的な役割にとどまっているように見えるのだが、しかしもし彼女らが存在しなかったとしたら、小説はかなり味気ないものになっただろう。その意味では、小説に一定の効果を及ぼしてはいる。もっとも、効果のない人物像など、すぐれた小説に入り込むよりはない、といってよいのだが。

主人公の K がフリーダと男女の関係になるのは、打算にもとづいてのことだった。フリーダは、城の麓の町の酒場に勤めていて、城の重要な官職にあるクラムの情婦ということになっていた。そのフリーダにKが近づいたのは、フリーダを通じてクラムに近づくことが出来るだろうという思惑からだった。なんとか城との連絡を取りたいKにとって、クラムは最大限に重要な人物だったのだ。そのクラムは、他の男を使ってKに連絡を取った後は、意識的にKを避けているように思われた。そんなクラムに近づいて連絡を取るためには、フリーダは重要な存在になるはずだった。一方フリーダのほうは、打算ではなく純粋な愛からKを受け入れ、結婚の約束まで交わす。彼女なりに K を愛しているのだ。

ところがそのフリーダは突如Kを捨ててしまう。その理由は、K が別の女性たち、オルガとアマーリアの姉妹と仲良くなったことにあった。これは単純な嫉妬からではない。オルガとアマーリアは、ある事情があって町の人々から差別されており、その差別意識をフリーダも共有しているのだった。なぜフリーダがそんな差別意識を持つようになったか、小説は詳細に語ることはない。ただ、アマーリアが城の役人の愛情を拒んだことが、彼女のみならずその一家の不届きな行為と見なされ、それが城のみならずこの町全体の非難の対象となったようなのだ。非難は差別につながり、彼女らの一家は町全体から排斥されるようになる。いわば非人あつかいされるわけである。そういう差別意識をフリーダも共有している。そんな彼女にとって、恋人が非人に接することは絶対に許せることではなかったのだ。彼女がKを捨てた理由はだから、個人的な理由からというより、Kが町の掟を破ったという公的な出来事に根ざしていたということになっているわけだ。

オルガ姉妹の一家が、町全体から差別されるに至った経緯については、別途オルガの口からKに詳しく語られる。そこで明らかにされるのは、オルガの一家が権力に無闇な挑戦をしたことで、権力から断罪されるとともに、その権力にひれ伏している普通の人々からも排斥されるようになったということである。権力というものがいかにしてその地盤を固めているか、そしてその地盤とは権力が支配している人々の権力に対する自発的な服従に基礎を置いている、ということが、この話を通じて解明されるわけである。

フリーダは、カフカが晩年に付き合っていたミレナの面影を強く反映していると指摘されることがある。カフカは他の小説でも、自分が付き合っていた女性たちの面影を盛り込んでいたと思われないでもない。フリーダを含めたそうした女性たちは、主人公の目から見て非常に受身な立場にある。フリーダの場合には、自発的な意思からKを捨てるわけだから、受身ばかりとは言えないが、すくなくとも彼女が K と結ばれる経緯においては、彼女は K によって一方的に利用される存在として描かれている。しかもKは、フリーダに捨てられたことを、自分の愛の破滅だとは考えずに、不面目な出来事くらいにしか受け取らない。その意味でKとフリーダとの間には、正常な恋愛の関係は成り立っていないようである。これは他の小説の中の男女についても同様で、カフカの小説の中に出てくる男女たちは、決して愛し合うことができないのだ。

男女がまともに愛し合えないという関係は、カフカ自身が体験していたことでもあった。カフカは、フェリーツェと不可解な関係をかなり長く続けた後、二三の女性と付きず離れずの関係を持ち、最晩年には、これもやはり不可解な関係をミレナとの間でもったことが知られているが、それらの愛はとても男女の正常な恋愛とはいえないものだった。そうした自分自身の恋愛についての不燃焼というべき感情を、カフカは小説のなかに持ち込んでいると思えるフシがある。

フリーダがKを捨てて去った後に、その穴を埋めるようにベーピーが登場する。彼女もフリーダと同じ酒場兼ホテルに勤めていて、もともとは客室の清掃係だったものが、フリーダが K とともに去った後に、フリーダの後釜として酒場の女給になっていたのだった。彼女の意識の中では、酒場の女給は客室清掃係よりはるかにランクが上なのだ。その仕事をフリーダがいなくなったことで獲得できたのだが、フリーダが復帰するとその職を奪われることになる。だからベーピーはフリーダに複雑な感情を抱いている。そのフリーダに捨てられた形のKに対しても、彼女は複雑な感情を抱くのだが、その複雑さのなかで最も複雑なのは、フリーダに捨てられた形のいわば負け犬である K を、やはりフリーダの後塵を拝している自分が大事に思うようになることだ。そこでこれは純粋な愛なのだろうか、という疑問が読者の頭には浮かぶのだが、作者のカフカにはもともと、男女の純粋な恋愛についての関心などはないに等しいわけだから、この疑問に対してカフカが答えてくれる可能性はないといってよい。

ともあれ、ベーピーは K に対して、共同生活をしようと呼びかける。それに対して K は明確な返答はしないものの、とりあえず彼女の住んでいる部屋の居候になろうと決意する。小説はそこのところで中断してしまうので、ベーピーとKとがその後どのような関係を持つことになるかは、明らかではない。おそらくフリーダ同様ベーピーも途中でいなくなってしなうのではないか、と思われるのだが、その辺も無論明確ではない。

ところで、フリーダにしろ、ベーピーにしろ、カフカは彼女ら女性たちをあまり輝くようなものとしては書いていない。むしろ惨めで卑小な存在として描いている。フリーダについてはベーピーの視点から次のように描写している。「フリーダときたら、きれいでもない、すこしふけてしまった、やせた女の子で、短い、毛の少ない髪をしており、その上気心の知れぬ女で、いつも何かしら秘密を持っている。そのことはたしかにあの人の容貌ともぴったりあっている」(原田義人訳)。そういうベーピーにしても、一張羅の衣装を着て女給から客室清掃係のみじめな境遇に舞い戻る憐れな女でしかないのだ。しかしそんな憐れな女でも、男を愛することはできる。むしろ男を愛することによって、女として生まれてきた喜びを自らの手で勝ち取るのだ、そんな思いがこのベーピーからは伝わってくる。




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