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エミール:ルソーの教育論


ルソーの「エミール」が教育論として画期的だったのは二重の意味においてである。一つは教育の目標として人間の自然性という概念を持ち込んだこと、もう一つは教育の対象としての「子ども」を発見したことである。

人間の自然性とは、人間の本来のあり方、あるいは人間の本質と言い換えてもよい。教育とは、人間に人間本来のあり方を身に着けさせ、人間としてふさわしい生き方ができるように導くことだ、ルソーはそう主張した。そして教育 Education というフランス語は、ラテン語の「引き出す」あるいは「導き出す」という意味の言葉を語源としているといった。つまり人間として本来誰にもそなわっているもの、それを引き出すのが教育というわけである。

ここで主張されている人間のあり方とは、「学問・芸術論」や「人間不平等起源論」で展開された自然状態における人間、すなわち「自然人」とパラレルなものと考えてよい。

ルソーは、人間は自然の状態では自由でかつ平等であったが、社会を作り、文明を進化させることで、堕落したと考える。この堕落したあり方から立ち直り、人間本来の生き方を取り戻すためにはどうしたらよいか。

「社会契約論」は、政治体について、人間が失ったものを取り戻して自分自身の主人となり、しかも互いに平等でかつ自由な生き方が保障されるような制度がどのようにして可能かを論じたものであった。この「エミール」は、今の社会が見失った自然人としての人間のあり方を、個々の人間においてどのようにすればとりもどせるかを論じたものだ。両者はそれぞれ、政治と教育と云う別の切口から、人間本来のあり方、つまり人間性を考究したのだと考えることができる。

このように整理すれば、「エミール」の冒頭を飾る、次のような挑発的な文章もよく理解できよう。

「万物をつくる者の手を離れるときすべてはよいものであるが、人間の手に移るとすべてが悪くなる・・・こんにちのような状態にあっては、生まれたときから他の人々のなかにほうりだされている人間は、だれよりもゆがんだ人間になるだろう。偏見、権威、必然、実例、わたしたちを押さえつけているいっさいの社会制度がその人の自然をしめころし、そのかわりに、なんにももたらさないことになるだろう」(今野一雄訳、以下同じ)

人間が人間を堕落させると主張するこの文章は、文明が人間を堕落させると主張する「学問・芸術論」や、「人間は生まれながらにして自由であるが、しかしいたるところで鉄鎖につながれている」と主張する「社会契約論」の文章と響きあっている。

何故人間は堕落したのか。人間が社会制度のなかに埋没し、一人の自立した存在、つまり絶対的な単位であることをやめ、社会の単なる一員、つまり全体の中でのひとつの相対的な存在に成り果てたからである。

「自然人は自分がすべてである。彼は単位となる数であり、絶対的な整数であって、自分に対して、あるいは自分と同等の者に対して関係を持つだけである。社会人は分母によって価値が決まる分子にすぎない。その価値は社会という全体との関連において決まる。立派な社会制度とは、人間をこのうえなく不自然なものにし、その絶対的存在をうばって、相対的な存在を与え、自我を共通の統一体の中に移すような制度である。そこでは、個人のひとりひとりは自分を一個の人間とは考えず、その統一体の一部分と考え、なにごとも全体においてしか考えない」

社会のなかにおける人間は、自然人とは異なって、つねに他者との関係性の中で生きなければならない。その関係性は、偏見や屈従といったもので彩られている。

「わたしたちの知恵と称するものはすべて卑屈な偏見にすぎない。わたしたちの習慣というものはすべて屈従と拘束にすぎない。社会人は奴隷状態の中に生まれ、生き、死んでいく」

社会人が奴隷状態に陥るのは、社会の中に不平等が蔓延し、主人と奴隷の対立が生じてくるという事態とともに、社会人が自然人として持っていた自立性や尊厳の感情を失い、いつも周りの目を気にしながら生きなければならなくなった状態をさしている。

世間の教育といわれるものも、こうした奴隷状態を助長するばかりだ。それは「いつも他人のことを考えているように見せかけながら、自分のことのほかにはけっして考えない二重の人間をつくるほか能がない」

しかし人間には、人間としてふさわしいあり方を取り戻すことができないわけではない。人間に自然にそなわっている本来のあり方を、隠されていた場所から導き出し、個人にそれを身に着けさせる、それが教育の役割だ、とルソーはいう。それ故、自然な状態における人間、つまり自然人とはいったいどの様なものか、それをよく理解しなければならない。

「自然の秩序のもとでは、人間はみな平等であって、その共通の天職は人間であることだ。だから、そのために十分に教育された人は、人間に関係のある事ならできないはずがない・・・わたしたちが本当に研究しなければならないのは人間の条件である」

こうしてルソーは、自然の秩序のもとにおける人間のあり方やその条件についての自分のイメージを示し、それに沿って特定の個人を教育していく様子を、読者に見せようとする。「エミール」は、ルソーが描いた自然人のイメージを、特定の個人が身に着けていく過程なのである。したがってそれは、社会契約論においてのように、失ったものを取りかえすというよりは、本来備わっている美質を失わないためにはどうしたらよいか、極めて実践的な課題を追及しているわけである。

ところで、ルソーがみずから教育しようとしている個人とは、さしあたっては子どもである。ルソーは生まれたばかりのエミールを引き受け、彼が青年期になって一人の自然人として自立するまでの間、エミールに付き添って、教育を続ける。だからこの本は、子どもはいかにして大人になるか、というテーマも内在させているといえる。

この「子ども」に焦点をおいて、教育を論じるという方法は、現代人の我々にとっては珍しいアプローチではないが、ルソーの時代にあっては、かなりセンセーショナルであったはずだ。なぜなら、子どもが子どもとして意識され始めたのは、やっとルソーが生きた時代でのことに過ぎなかったし、ましてその子どもを対象に教育を論じるなどは、それまで考えられもしなかったことだからだ。

アリエスによれば、中世のヨーロッパには「子ども」という概念はないに等しかった。子どもは人間が成長期においてとる一時的で、弱々しいあり方だという意識は存在しなかった。子供は、大人とは次元の違う存在なのではなく、大人とは程度の差で結びついている存在として意識された。子供はせいぜい大人としての人間の未熟な状態、あるいはできそこないの人間=大人として意識されていた。

だからそこには「子どもらしさ」という概念は成立しようがなく、したがって今日の大人たちが子どもらしさと結びつけているあらゆること〜子どもらしい装い、子どもらしいしぐさ、子どもらしい遊び〜といったものもなかった。子どもの服装は大人のそれを縮小しただけのものだったし、子どもの遊びは大人の遊びの延長だった。子供は大人と一緒に酒場に入ってビールを飲んだものだし、こどもだからといって、二級扱いされることもなかった。

こうした子ども像に変化がおきるのは、アリエスによれば、16世紀から17世紀にかけてである。それはまず服装や遊びの分野であらわれたようで、様々な図像がそれを物語っている。

しかし教育の分野に子どもの概念が持ち込まれることは、ルソーの時代までなかったはずだ。ルソーの時代の公教育といえば、神学上の教義問答や修辞学のテーマを暗証させることで、本来大人のために作られたカリキュラムをそのまま子どもに適用しただけのものといってもよかった。

そこにルソーは、子どもの発達上の限界をよく考え、子どもの能力に応じて、それにふさわしい教育をすべきだというテーゼを持ち込んだ。それ故、彼の教育論は、教育の歴史を画するものだったと評価してもよい。



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