知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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ソクラテスのディアレクティケー:帰納と概念的知


ソクラテスの方法はディアレクティケー(弁証法)と呼ばれるものである。この言葉は近代に至ってヘーゲルが自分の方法として用いるようになったので、また別の色合いを持たされるようにもなったが、もともとは弁論・弁証を通じて、真理とは何か、徳とは何かについて、考究しようとする方法であった。

これは、人々の抱いている観念や知識というものを巡って、それらの中に含まれているさまざまな要素について、互いに比較して言説相互の矛盾を抉り出したり、共通すると思われるものを括ったりしながら、誰にとっても反駁し得ないような、普遍的でかつ理念的な知を求めようとする態度である。

ソクラテスはこの方法を、エレア派から学んだらしい。プラトンの対話編「パルメニデス」は、若きソクラテスがパルメニデスとその弟子ゼノンに出会うところを描いているが、その際ゼノンはソクラテスを相手に弁証を繰り広げた。ソクラテスはそのときにゼノンから蒙った弁証術を、その後自分の方法として取り入れたと思われるのである。

ソクラテスの方法を著しく特徴づけているのはエイロネイア(アイロニー)である。ソクラテスは対話の相手が疑いがないと信じている事柄について、ひっきりなしに質問を浴びせかけ、そこから思いもかけぬ結論を導き出したりして、相手を混乱させる。そのあげく相手は答えに窮して、自分は実は本当のことについて何も知ってはいなかったのだと悟らせられる。

このように、世の中に流布している思い込みを打破するところにエイロネイアの意義がある。相手は何も知っていないのに対して、質問するソクラテスのみは、自分が何も知らないということを知っている限りにおいて、人びとに勝っている。これがエイロネイアが導き出した帰結である。この結果ソクラテスが多くの人を敵に回したのは、歴史が教えるところだ。

他方、ソクラテスは相手にひっきりなしに質問しながら、相手の抱いている観念を分析し、その中から当人が認識していなかった思想を生み出すのを助ける。最初は身近な事象から出発し、個別的なものを相互に比較して、偶然のものを本質的なものから分離し、普遍的なものを抽象しようとしたのである。

これは今でいう帰納法と同じ精神のものである。つまり眼前の個別的事象の中から、共通するものや相違するものを取り分け、そこから普遍的で一般的な知を導き出す。個別から普遍へ、特殊から一般へ、具体的なものから抽象的なものへと向かう精神のこの運動は、概念的知を目指すものだといえる。

概念的な知は、人々の表象の中から現れ出てくるものである。すでに人びとの意識の中にあって、しかもそれとははっきりと認識されていなかったものを、明瞭な概念にもたらす作用である。そのことからソクラテスは、この作用を産婆術に喩えた。もともと相手が持っていたものを、形あるものとして生み出すためのお手伝いをするというわけだ。

ソクラテスが、概念的なものを真理のありかたとする態度は、エレア派と共通するものである。エレア派はあるものとしての存在と、あらぬものとしての現象との間に、橋渡しをすることができなかったが、ソクラテスは帰納に似た弁証法を駆使することを通じて、個別具体的な現象から普遍的なものを導き出したのである。

その普遍的なものはまた、イデアとも呼ばれる。ソクラテスにとってイデアとは、人びとの意識の中に現れてくるものであった。やがてプラトンは、そのイデアに客観的な実在性を付与するようになる。





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