知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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エマニュエル・トッド「『ドイツ帝国』が
世界を破滅させる」


この刺激的な題名は、ユダヤ系のフランス人である著者が、ドイツ帝国の復興に、経済的・政治的そして文化的にも深刻な懸念を抱いていることのあらわれだということが、この本を読むと自から了解される。エマニュエル・トッドによれば、いまやドイツはヨーロッパの支配者になりつつあり、やがてはヨーロッパのすべての国々を隷属させるようになるだろう。そうなれば、トッドの生きているフランスもドイツの奴隷となり、ユダヤ系の家系に生まれたトッドは、自分の身に深刻な危機がせまるのを覚えるようになる、そういう人類学的な恐怖心がこの本には含まれているようである。

もしフランスがドイツの奴隷になったら、トッドはどこかに亡命を余儀なくされるだろう、そんなことまでこの本ではシミュレートされている。トッドによれば、将来に見込みを持っている国にはロシアも含まれるが、トッドの家系の伝統からしてロシアへの亡命は考えられない。とすれば、アメリカに亡命せざるを得ないだろう。アメリカは、必ずしもトッドの好きな国ではないらしいが、他のどの国に比べても、相対的にはましだ、というわけである。

トッドがこんな心配をしなければならないほど、事情は切迫しているのだろうか。そのとおり、ドイツ帝国の復活で、世界は危機に瀕しているといってよいほど事情は切迫している、とトッドは言うのだ。ドイツ人というのは、直系家族の伝統をいまだに保持しているが、その伝統は規律と上下関係、つまり権威主義的な人間関係を特徴としている。その権威主義的なドイツがヨーロッパ諸国を隷従させるようになれば、フランスや西北ヨーロッパ諸国のような自由主義的人間関係の国も権威主義的に支配される。それは、自由と平等を何よりも愛するトッドのようなコスモポリタンには耐え難い事態だ。それ故、ドイツに支配されたヨーロッパは悪夢以外の何者でもない、というわけである。

トッドは、こうした見込みを彼の人口社会学的なモデルにもとづいて展開している面もあるのだが、どうもドイツ批判がテーマになると、学術的な根拠よりも、感情論のほうが先走るようである。それほどトッドは、ドイツ嫌いなのだろう。

ドイツの台頭は、グローバリズムにうまく乗ったことに起因しているとトッドは分析している。グローバリズムというのは、要するに国際的な金融資本が世界の富を独占するということなのだが、ドイツの金融資本はこの国際的な金融資本のなかでももっとも成功した連中ということになる。今や、世界の現状は1パーセントの金持ちが99パーセントの人々を支配し、搾取しているという構図になっている。その1パーセントの金融資本の間でも、ドイツの金融資本は一段と強力な立場にある。つまり世界は、1パーセント対99パーセントの間の階級対立であるとともに、1パーセントの内部でも、階層秩序的関係が生じている。その階層秩序のなかでドイツの金融資本は頂点に位置している。それ故、世界はドイツの1パーセントによって支配されつつあると言ってもよい。こうトッドは断言する。

この断言の背景には、マルクス流の階級史観が働いていると言える。トッドもそれを隠していない。トッドによれば、いま世界で生じていることを正確に理解するには、マルクスの視点が必要だと言うのだ。だが、トッド自身はマルクス主義者ではないし、ましてや共産主義者でもない。「私は左翼プチ・ブルジョワ風の平等意識を持っており、ある種の社会意識に執着しています。この程度のことですから、私は革命家ではないのです」と言うのである。一方、彼は「非常に穏健な考えを非常に過激に表現する」ので、誤解されやすいのだとも言うのである。

この本の副題は「日本人への警告」となっているが、トッドは我々日本人に何を警告したいのだろうか。ドイツのようになるな、と言いたいのだろうか。しかしドイツのようになると言うのが、周囲の国々を隷従させるということを意味するなら、それは別に避けるべき悪いことではない。それとも、ドイツのようになって、日本も周囲の国々、たとえば中国や韓国、そしてアジアの国々を隷従させるべきだと言いたいのだろうか。しかし、これは日本人には出来そうもない。ドイツの場合には、周囲の国々との和解と協働を通じて実力を蓄え、ついには周囲の国々を支配するように進化したわけだが、日本には、中国や韓国と和解・協働するというような芸当はなかなかできない。それどころか、いまだに歴史認識をめぐっていがみ合っている始末である。だから、ドイツのようにはなれないわけだ。

トッドは、ドイツと日本とでは似ているところがある、とも言っている。それは直系家族の伝統を持っているということだ。この伝統のおかげで、日本もドイツのように規律と上下関係を重視する権威主義的な文化を持っている。その権威主義的な文化は、対外的には攻撃的な態度として現れる。これは今のドイツにはプラス方向に作用しているが、日本にはそうはならない可能性が高い。つまり、周囲の国々との間で摩擦ばかり引き起こすことで、自国にとってマイナスに作用することのほうが多い。だからドイツ風の権威主義は、日本の場合にはうまく働かない。そうトッドは言いたいのかもしれない。そういう意味でなら、エマニュエル・トッドのこのドイツ嫌いの本を「日本人への警告」として読むこともできるだろう。




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