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半藤一利「日本の一番長い日」


「日本の一番長い日」は、日本の敗戦の日に焦点を当てた半藤一利のノンフィクション作品であり、半藤の一連の昭和史研究の出発点となったものだが、戦後二十年たった昭和四十年にこれを刊行したとき、半藤はなぜか自分の名を隠し、当時ノンフィクション作家として人気のあった大宅壮一の名前を借りた。名前を借りたというのもおかしな話だが、それ以上におかしいのは名前を貸した大宅の行動のほうで、今なら著作権のあり方をめぐって大騒ぎになるところだろう。

この本のテーマは、昭和二十年八月十五日正午の昭和天皇による敗戦詔勅のラヂオ放送はどのようなプロセスを経て実現したかということを、時間軸にそって、つまりクロニクルとして記録しておこうというにある。その過程で、敗戦に反対する勢力(若手将校たち)によるクーデターの計画とその挫折という事態もあったということを明らかにしている。そんなことからこの書物は、一方で(書物の前半で)日本の政治指導者たちによる敗戦決定のプロセスを追うとともに、(後半部分では)若手将校たちによるクーデター計画の動きを追っている。

日本の敗戦決定に至るプロセスについては、当時の日本の政治指導者たちはあまりにも無責任だったというのが半藤の受け止め方のようである。彼等は自らの責任において敗戦を決定することが出来ず、昭和天皇に決断を仰ぎ、その権威によって、いわばなし崩しに敗戦処理を進めようとした。その過程で、主に陸軍を中心とした反対勢力が、本土決戦を叫んで抵抗したが、その抵抗たるや、これもまた戦争指導者としての責任を自覚したものではなかった。彼等はまったく勝算もない中で、国民をいたずらに戦火の渦に引きずり込もうとしたというわけである。

軍部のトップは結局天皇の決断に従うことになったが、一部の過激な将校たちが、敗戦を認めず、本土決戦に向って国民を引きずっていこうとした。そのために彼等はクーデターを起こし、それによって全軍が決起するように促そうとした。しかし、彼等のクーデター計画は、計画の名にまったく値しないものだった。つまり行き当たりばったりだったのだ。そのため、クーデターは、わずか一晩ももたずに挫折し、日本国民は無事(といってはおかしいが)、昭和天皇による敗戦の詔勅を仰ぎ聞くこととなった。

以上の歴史的な出来事は、最後の一日に凝縮された形で進行した。それ故半藤は、これを「日本の一番長い日」と名づけたわけであろう。

この本を書くに当たって、半藤は直接の関係者をはじめ実に多くの人々にインタビューして、事実の聞き取りをしている。戦後まだ二十年しか経っていなかったから、それらの殆どは生々しさを失っていない。その意味からも、この本には歴史的な重みがあると言えよう。ただ、読み物として面白いかと言えば、そうとは言えないかもしれない。一応ノンフィクション小説の体裁をとっているが、小説としてはだらけすぎているし、かといって、歴史批判としてはいまひとつ突っ込みが足りない。半藤は基本的にはジャーナリストであり、小説家ではないのだから、彼一流のジャーナリスティックなタッチで書いたほうがよかったと思う。とはいえ、これは彼にとっては処女作のようなものだろうし、また、大宅の名前を借りた手前もあって、こんな中途半端なスタイルになったのだと思う。

政治指導者たちの無責任振りを強調する一方、クーデターを起こした青年将校たちについては、半藤は暖かいまなざしで見ているように受け取れる。彼等の計画は全く体裁をなしていなかったが、その動機は純粋だったと言いたいようである。この国でクーデターを起こそうとすれば、天皇を人質にして、その権威で命令しなければ進まないということは、青年将校たちにもわかっていたと思うのだが、そんな行為は臣下としては恐れ多いことである。したがって、自分の身を犠牲にすることによって、天皇の憐れみの情を期待する、そんな一方的な思い込みをもとに行動に走らねばならなかった。それは純粋な動機に出た行為とは言えようが、実際の効果を期待できる行為ではなかった。青年将校たちは、それをわかっていながら無謀な行動に出た。そこに自分は彼等の純粋さを感じて共感するのだ、そんなふうに半藤は思ったのかもしれない。

八月十五日正午の玉音放送に先立ち、朝方ラヂオを通じてその予告がなされた。これを聞いた人々は、それが敗戦の詔勅だということを直感した。ところがそのしばらく後に大本営発表があり、日本軍が米軍と交戦し、多大な戦火をあげたと放送した。それを聞かされた人々は、もしかしたら玉音放送とは、本土決戦の決意を天皇みずから国民に訴えるものではないかと、不安な気持ちになった。そんなことが、さりげなく書かれているのが面白い。これは、この時点で、日本の統治機構が完全に麻痺していたことを物語るものだろう。

敗戦が決まった瞬間、国民の間には様々な反応が見られたわけだが、この本はそこには触れていない。ただ、軍部の連中もほとんどが敗戦を喜んだ、と語っているばかりである。もはや本土決戦を夢見るような軍人は、愚か者以外にはいなかったと言わんばかりに。




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