知の快楽 哲学の森に遊ぶ
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内田樹、鈴木邦男「慨世の遠吠え」


鈴木邦男といえば、良識に富んだ知性的な右翼と言う定評だ。その鈴木が、これは今や日本の代表的な左翼の理論家として知られる内田樹と対談したというので、その対談集を興味深く読んだ。これを読むと、日本の右翼と左翼は互いにわかりあえるのだという確信にまでは至らないが、対話が成立しないことはない、ということは感じさせられる。

対談が実現したのは、鈴木からのモーションによるらしい。鈴木がなぜそのような動機を抱くに至ったか、あまり明瞭にはなっていないが、鈴木も内田も一連の対談を結構楽しんだようだ。

呼びかけた形の鈴木のほうは、対談の中では主に聞き役に回っている。聞き役と言うか、話の引き出し役と言ってよい。それに答えるようにして、内田が日頃の持論を述べる、というのがこの対談集を読んでの大雑把な感想だ。

内田が次から次へと述べ広げていく持論を、鈴木が辛抱強く聞いている、という光景が浮かんでくる。時折大声を上げながらうなづいていることから、鈴木が多少は内田に共感しているところが伝わってくる。右と左の両極端の対談だから、完全に同調すると言うことはありえないが、その同調できる部分は、理屈ではなく、センスがものを言う領域なのだろう。

対談の大部分は、内田の言葉に鈴木がうなづくと言う形をとっているが、反対に、鈴木の言葉に内田がうなづく場面も、少ないが、いくつかある。そのうちの一つ。レーシスト団体によるヘイトスピーチを鈴木が批判したところだ。鈴木は、ヘイトスピーチそのものは強く批判しつつも、それを法律で規制するべきではないという意見だ。「この先どう使われるかわからない規制は危ない」という理由からだ。「今の警察や政府を信用すること自体が危険」というわけである。

これに対しては内田も、法規制には反対だと言ってうなづく。そして鈴木が言うように、「ヘイトスピーチというのは政治的に間違っているというよりも、端的に人間として下劣な振舞だと思う。人間にとって下劣な振舞は法律で規制するものではなくて、常識で規制すべきものだと思う」と言う。筆者も同感である。

今の政府、つまり安部晋三政権のことを、二人とも厳しい目で見ている。内田が安部晋三政権を、対米従属しながら主権国家のふりをしているとして、その偽善ぶりを批判すれば、鈴木は鈴木で、安部晋三政権とそれを支える右翼勢力は、北朝鮮が嫌いだと言いながら実は日本の北朝鮮化を目指している、と言って批判するような具合だ。




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