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丸谷才一「忠臣蔵とは何か」


丸谷才一の日本文学論の特徴は、民俗学の方法を日本文学の背景分析の手段として応用するところにある。前日このブログで取り上げた「恋と日本文学と本居宣長」とか「女の救はれ」といった文章は、日本文学が、師事した中国の文学と違うところは、男女の恋とか女人成仏とかいうことを大事にするところにあるが、それは日本人の間に女性崇拝の思想が働いている結果なのだとしていた。これは、その女性崇拝を太古の時代の母系制社会のあり方に遡って位置づけるというような民俗学的な方法を応用した見方なのである。

丸谷のこうした民俗学的な見方は、「忠臣蔵」のような、一見民俗学とは何のかかわりもなさそうなテーマにも及ぶ。丸谷によれば、忠臣蔵とは畢竟、日本人の御霊信仰が反映したものだというのである。でなければこの物語がこんなにも強く、かつ長く、日本人の心を捉え続けてきた理由が説明できないというわけである。

たしかに、忠臣蔵がただの仇討物語だったとしたら、こんなにも日本人の心を捉えることはなかったかもしれない。だがそこに日本人の太古に遡る信仰が関っていると考えれば、忠臣蔵が日本人に及ぼした働きの強さが理解できるというものだろう。

この御霊信仰を丸谷は、柳田国男や折口信夫に依拠しながら、とりあえず、「非業の最期を遂げた者、殊に政治的敗者の怨恨がたたって疫病その他の災厄をもたらすといふ日本の古代信仰」と定義している。このタイプの霊魂が神となった例として菅原道真が挙げられるが、道真の神格化は孤立した得意な現象ではなく、古代日本人の心性を反映した必然的な現象だったということになる。忠臣蔵の志士たちや、仇討という点ではその先輩格の曽我兄弟も、煎じ詰めればこの御霊にあたるということになる。ということは、彼らはあだ討ちを果たした英雄たるにとどまらず、自分自身が荒ぶる御霊だったということになる。そのような怨霊は、いつまでも日本人の心を不安にさせないでは置かない。曽我兄弟や赤穂の志士たちがいつまでも日本人の心を捉え続けてきたのは、そのような事情によるのだ、と丸谷はこの本の中で主張するのである。

しかし、御霊というものに拘泥している限りでは、忠臣蔵や曽我物語は日本という島国での特殊な現象ということになってしまう。それではすこし視野が狭すぎやしないか、こう丸谷は考えて、日本の御霊信仰を、世界的な視野で再構成しなおそうとする。その場合に丸谷が持ち出すのが、フレイザーらの民俗学的な方法論である。

丸谷の理解によれば、フレイザーの民俗学は、古代の人類に共通した世界観として、「死と再生」というものをとりわけ重視した。カーニバルなどは、この死と再生の考え方が形をかえて残ったものと言える。同じことは御霊信仰にも言えるのであって、これは死と再生とを日本的に解釈したものなのだ。こう考えれば、日本の御霊信仰を世界的な視野で再構成することが出来る。日本人は、孤立した特異な民族ではなく、無意識の深層においては、世界とつながっているというわけである。

このあたりの事情を踏まえ、丸谷は次のように言っている。「これは忠臣蔵という事件と芝居を江戸時代の現実のなかに据ゑながら、しかも、古代から伝はるわが信仰と関連付け、さらには、もっと普遍的な(全世界的と言っていいかもしれない)太古の祭とのゆかりを明らかにしたものである」

丸谷の気宇や壮大と言うべきである。




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