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渓内謙「現代史を学ぶ」


渓内謙といえば、日本におけるロシア革命史の第一人者として、かつては一定の影響力をもっていた。そのロシア革命史観は、ロシア革命を社会主義革命のあるべきはずだった形態からの逸脱としながら、そこに社会主義の実現に向けての一定の役割ないし歴史的意義を認めるという点で、カーやドイッチャーと共通する立場に立っていた。彼の啓蒙的な著作「現代社会主義の省察」は、レーニンが始めた社会主義革命を、スターリンがゆがめたというという見方を展開して見せたもので、レーニンからスターリン体制への移行を、革命の知的巨人から「知的ピグミー」たちへの移行として捉えていた。

カーやドイッチャーが死んだ後、渓内は西側におけるロシア革命史研究をリードする立場に立った。渓内はロシア革命の歴史的な意義を研究するとともに、社会主義の未来についても強い問題意識を持っていた。ソ連の社会主義体制については、色々な問題を内在させながらも、崩壊する可能性はないし、今後、社会主義の望ましいあり方に近づいてゆく可能性もないわけではない、という見方をしていた。その点で彼は、自分の研究が時代の要請に応えるものだと自負していたといえる。ところがそのソ連の社会主義体制が、ほかならぬソ連自身の内在的な動きとして、崩壊してしまった。それはあまりにもショッキングな出来事として、渓内の目には映ったようである。

この本は、渓内が受けたショックがまだ十分に収まらない時期(1995年)に執筆されたものである。ソ連の社会主義体制が崩壊したことで、ロシア革命は現代につながるヴィヴィッドな事件としてではなく、遠い過去に起きた歴史的出来事として見なされるようになった。ロシア革命をめぐる清算主義的な見方が横行していたわけである。そうした清算主義は、西側にあっては党派的な見方として現れたわけだが、渓内は、ロシア国内でもそうした清算主義が横行していることに強い印象を受けた。むしろロシア国内でのほうが、そうした清算主義が強く主張され、その挙句にロシア革命など、あたかもなかったこととして扱われるようにまでなった。

渓内がこの本を書いたのは、そうした清算主義的な見方に対抗するためだったと思われる。渓内は、一方では「歴史は時代と共に書き換えられる」という箴言に敬意を表しながらも、あったことをあたかもなかったこととするようなやり方には反発するのである。そうした態度は多くの場合党派的な見方を反映している。党派的な見方では、歴史は正しく解釈できない。歴史を正しく解釈し、そこから未来へ向けての貴重な教訓を引き出すためには、曇りのない目で歴史に向き合わねばならない。歴史としての現代に立ち向かうときには、なおさらである。

以上のような問題意識から渓内は、ロシア革命史を現代史として捉える必要性を改めて強調しながら、なにがソ連の社会主義体制を挫折させたか、その要因をさぐり、そこから未来へ向けての教訓を引き出そうとする。だが、その目には深い憂いが漂っているように見える。ソ連体制崩壊のショックがあまりにも大きかったために、社会主義そのものの可能性が疑問視される傾向について、自信を以て反論できなかったからかもしれない。もしカーやドイッチャーがいまでも生きていたら、彼らは1991年のソ連崩壊をどのように受け止めるだろうか、と繰り返し自問しているところに、その自信の揺らぎを見ることが出来る。

そのカーやドイッチャーにしても、西側における歴史研究の異端者として、主流派の歴史学者からは目の敵にされていたわけであり、したがって彼らもまた党派的な攻撃には馴れていた。今日ロシア革命や社会主義の研究が党派的な思惑から攻撃されるのは、別に不思議なことではない。今日のような状況でこそ、曇りのない目で歴史に向き合うことが一層必要とされる。渓内はそのように自分に言い聞かせながら、この本を書いたのだろうと思う。

この本を書いて10年ほど後に渓内は死んでしまったが、彼の死後、資本主義には深刻な病状が見られるようになった。それにつれて、社会主義についての新しい議論も出てくるようになった。資本主義は、社会主義が厳然とした力を持っていた時期には、社会主義を意識したような政策をとっていたが、ソ連の体制が崩壊した後では、資本の論理をむき出しにした、いわば非人間的な政策をあからさまに追求するようになった。それに伴って、さまざまな矛盾が浮かび上がってきた。その矛盾を解決するための議論として、社会主義が選択肢の一つとして浮かび上がってきたのである。

渓内の議論はロシア革命とそれに続くソ連体制に限定されているので、そこから社会主義についての全面的な教訓を引き出すことには限界がある。しかし、議論の手がかりは得られるだろうし、ソ連型社会主義が同時代の資本主義にどのような影響を与えたかについては、豊富な検討材料を与えてくれるだろう。だから渓内が生涯をかけて研究してきたことがらには、十分な歴史的意義があるのだと、渓内に向かって言ってやりたい気がするのである。




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