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佐高信・寺島実郎「この国はどこで間違えたか」その2


先日、佐高信と寺島実郎の対談「この国はどこで間違えたか」を取り上げた際に、辛口の評を投げてしまったが、この対談には、耳を傾けるべきところもある。筆者が特に裨益されたのは、イギリスと日本の比較文化論だ。

ネルソン・マンデラがイギリスからの独立を勝ち取った時、彼はそれまでの支配者だったイギリス人を追い出す代わりに、新しい国造りに協力してくれと頼んだ。そのことを取り上げて寺島は、イギリスと日本の植民地に対する接し方を比較して、日本の稚拙さを自己批判するわけなのだ。

マンデラがこういったわけは、無論マンデラ自身の包容力ともかかわるが、それ以上にイギリスに相手から許されるような力があるからだと寺島はいう。それに対して日本は、かつての植民地から許してもらうどころか、いまだに憎まれている。台湾などは、親日的な面が強調されているが、実際には日本に対する憎しみがいまだ消えていないし、シンガポールなどは、日本の支配に対する反日的なモニュメントは沢山あるのに、大英帝国の支配に対する反英的なモニュメントはどこにもないといって、その違いは何に根差しているのかと問うている。

それは、植民地化した国に対する責任感の違いだろうと寺島はいう。この責任感があるから、植民地支配にも、支配される者に対する寛容の精神が働くし、そこから支配する者と支配される者との間で一定の信頼関係も生まれる。つまり、イギリスの植民地支配は、収奪の側面だけではなかったのだ。これに対して、日本の植民地支配はどうだったか。最近は、いわゆる靖国史観が脚光を浴びてきて、日本のアジア進出は、西欧の支配からアジア諸国を開放するための正義の行為だったなどという議論が横行するようになったが、支配された国の国民はそんなふうには受け止めていない。日本は支配どころか、彼らの民族的なアイデンティティさえ抹殺しようとした。こんなわけだから、台湾、韓国、中国を始め、日本が支配したアジアの諸国からは、いまだに憎まれているというわけである。

たしかに、そうかもしれない。筆者は寺島のように豊富な国際体験があるわけではないが、それでも、たとえばインドネシアは親日的だなどと言う言説がまがいものだというくらいはわかる。筆者がインドネシアを訪れたのは、四半世紀以前のことだが、その際に様々な人々と会話をするなかで、彼らの言葉の端から、日本に対する嫌悪感のようなものを感じたものだ。厚かましい日本人は、いまだに自分たちはオランダからインドネシアを開放してやったなどというが、我々からすれば、赤い鬼(オランダ人)が去って小人の鬼(日本人)がやって来たという違いしかない。つまり、日本も侵略者という点ではオランダと同列なのだ、というような話まで聞かされたことがある。

日本は、最後に登場した帝国主義国として、近隣諸国を次々と植民地化したわけだが、その支配には、相手国に対する尊重の念が一切なかった。それは、被支配者に日本語を強制し、日本の神社を押し付けたようなことに現れている。同じく植民地支配と言っても、英国の場合は相手の文化を一応尊重したうえで、それにイギリスの支配を重ねるという、いわば間接統治のような形を取ったのに対して、日本の場合には、相手の文化に対する尊重もなにもなく、全面的に日本的な統治スタイルと価値観を押し付けた。自国の価値観を踏みにじられることほど、民族にとって屈辱的なことはない。日本はその屈辱感を、植民地の人々に植え付けて来た。その結果が、いまだに近隣諸国から信頼されず、憎まれ続けているという、不幸な事態につながっている、と彼ら(佐高と寺島)は言うわけなのだ。

これに対して、大英帝国の植民地だった国で、イギリスに対して激しい憎しみと嫌悪感をもっている国はない。むしろ、イギリスの残していった文化的な遺産を国造りの上で活用している。マンデラも、そうした文化的な遺産や法的なシステムが、新たな国造りの上で役立つと思ったから、イギリス人を追い出すようなことをせずに、かえって国造りへの協力を申し出たのだろう。

日本の場合は、これとは全く反対のことが起こった。植民地が基本的には自分から独立していった大英帝国の場合とは異なり、大日本帝国の植民地は、日本の敗戦の反射的な利益と言うかたちで独立したこともあって、植民地支配に対する清算がほとんどなされなかった。そういう混乱のなかで、支配者たる日本人たちは、命からがら逃げ出していったというようなことになった。そんな日本人を引きとめて、国造りに協力してもらいたいというような植民地はひとつもなかった。ここに、日本とイギリスとの決定的な違いがある。

同じく相手を植民地として支配しながら、一方は、被支配者から一定の尊敬を受ける、もう一方は全面的な拒絶と憎しみを受ける。この違いはどこから来るのか。それを日本人はよく考えたほうがよい。そうこの二人は言うのである。これには筆者も同感できるところがある。

最後に、責任感ということについて一言。イギリスに限らず、かつてのヨーロッパの帝国主義国家は、いまだに旧植民地との関わりが深く、それらの国の人々を沢山受け入れてもいる。たとえば、ロンドンにいけばインド人や南アフリカ人の姿を多く見るし、パリではアルジェリアやベトナムの人びとを多く見かける。日本人がパリを歩いていると、ベトナム人と間違えられることが多いくらいだ。

これに対して、日本ではどうか。日本国内には、かつての植民地だった朝鮮半島や台湾の人々が多く住んでいるが、彼らはどちらかといえば、歓迎された人々ではなく歓迎されざる人々の扱いだ。日本人の中には、これらの人々に対して露骨なヘイトスピーチを浴びせる者もいる。一層よくないのは、日本政府がそれを野放しにしていることだ。これでは日本政府もヘイト・スピーカーと、本音では同じ考えなのではないかと、勘繰られても仕方がないところだ




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